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(投稿:by 僻地の産科医)
第15回 診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会
日本救急医学会の見解
同学会理事・堤晴彦氏の発言
本日は、この検討会にお招きいただきまして、ありがとうございます。検討会の委員の皆様方ならびに事務局である厚生労働省の担当者に御礼申し上げます。ただし、一言言わせていただければ、もう少し早い時期に呼んでいただければ、もっと良かったということでございます。
本日は日本救急医学会を代表して参りました。救急医学会の見解は、別紙に記載した通りであります。既にお読みいただいているという前提で、見解を述べます。
まず最初にお断りしておきますが、大綱案に関して、日本医師会や日本外科学会が賛成派で、救急医学会などが反対派というように、医学会が2つに割れて、対立構造にあるかのように言われておりますが、決してそんなことはありません。
私は、検討会の委員の高本先生や木下先生と話をしておりますが、本質的には意見の相違はありません。さらには、この検討会の議事録もものすごい文量がありますが、じっくり読ませていただきました。高本先生、木下先生、山口先生が医療側の意見をきっちり述べている、代弁されておられることを知っております。この場をお借りして御礼申し上げます。
それなら、なぜ最終的な見解が異なるのか。私自身も、実は良く分からなかったのですが、最近になって、賛成派の医師は性善説に立っており、反対派の医師は性悪説に立っている、という感じではないかと思っております。
つまり、賛成派の人は、この大綱案が、この検討会で議論された基本的な精神通りに運用されればうまくいくはずだと期待しているのに対し、反対派の人は、法律というのは、いったんできてしまえば、どのように運用されるか全く分からない、悪意を持つ人がいれば、何とでも変えられる、あるいは解釈できる、と疑っています。私どももその立場にあります。反対派というより慎重派と呼んでいただければと存じます。
私に与えられました時間は、わずか15分です。この検討会では1年以上議論してきており、15分とはややさびしいのですが、多くのことを述べることはできませんので、以下の5点に絞って意見を述べさせていただきます。
1.死因究明と責任追求の分離
2.医療事故における業務上過失致死の明確化
3.医療事故調査報告書のあり方
4.刑事事件と民事事件の明確な分離
5.今後の要望
まず、「1.死因究明と責任追求の分離」ですが、救急医学会としては、これが譲れない一線であります。医療安全を構築することと紛争を解決することの違いと言っていいかもしれません。このことは、この検討会の第1回目からずっと議論されていることです。この点を曖昧にしたまま、明確にしなかったが故に、本検討会が延々と迷走を続けているというのが私の印象です。
医療事故については、これまで十分に議論されておりますので、ここでは警察の捜査を例として説明したいと思います。
警察の内部でも、ある犯罪事件が起きて、犯人が逮捕できなかった時など、警察署内で様々な検討、反省がなされているのではないでしょうか。事件が起きた時の初動か悪かった、捜査の範囲を最初から絞り込みすぎたのでは、など、当然、多くの意見が出されていることと推察します。この場合、それらの検討内容を、文書化して、被害者のご遺族に公開し、説明されているでしょうか。あるいは警察の会議に、第三者の委員を入れて、客観的に中立的な立場で、事件の捜査が適正に行われたか否かの検討会が行われているでしょうか。
医療事故における死因究明による医療安全の構築と責任追及、警察における捜査の反省、すなわち捜査をより良きものにする立場と責任の追及は、各々、全く異なるプロセスで行われるべきということについては、警察・検察側も十分に理解しているのではないでしょうか。それなら、なぜ医療という分野だけ、原因究明と責任追及を同時に行う委員会を作らなければいけないのでしょうか。
もし、その考えが正しいのであるなら、私たち医療側は、一般国民の立場から、警察の捜査が適切に行われいたのか、第三者による評価を行うべきであると、主張せざるを得ません。すなわち「犯罪捜査適正検討委員会」の設置を求めることになります。そして、そこで検討された報告書を犯罪被害者および家族に渡して説明することを求めます。
もちろん、本気でそう考えている訳ではありません。なぜなら捜査をより良きものにする立場と、捜査の責任を追反することが、全く別のものであることを、われわれ医療側の経験から十分に理解できるからです。
大綱案に反対する医師の中には、「医療事故はすべて免責に」という意見が多く見られます。しかしながら、救急医学会は、そのような立場に立って反対しているわけではありません。「悪いものは悪い」という立場です。
自民党のある議員が、「救命救急医療に関連した医療事故は、すべて免責にする」というような見解を出されましたが、救急医学会はその見解には全く乗っておりません。救急医学会の中で、そのようなことが話し合われたことは一度もありません。もちろん、その国会議員は、救急医療を何とかしなければ、という思いから、そのような発言をされたことと理解しており、その気持ちはうれしく受け止めますが、救急医学会の総意・真意ではございません。このことは、明言しておきます。
救急医学会が問題にしていることが、医療の場合、何が業務上過失致死罪になるのかが、良く分からないということであります。それ故に、医療側は、不安、不満、そして人によっては、怒りとも言える気持ちになっているのです。
「重大な過失」あるいは「標準的医療から著しく逸脱したもの」などの議論は、全く曖昧であります。
標準的医療について述べますと、本邦における救急医療は、ほとんどが救急科専門医ではなく、一般診療科の医師が担当しております。そして、いつどのような患者が来るか全く予測できない中で行われており、自らの専門領域の患者だけでなく、専門外の疾患にも対応しなくてはならない状況です。むしろ、自らの専門外の患者を診ることの方が多いと言っても良いでしょう。現状は、このような医師によって、救急医療はかろうじて支えられているのです。各科の専門医からみれば、その科の標準的な医療から逸脱していることはしばしば起こっているでしょう。もし標準的な医療とレベルが、各専門領域の診療を基準にするのであれば、救急医療は間違いなく崩壊してしまいます。
誤解のないように繰り返しますが、救急医学会は、救急科専門医としての自己責任の軽減・回避を求めているわけではなく、救急医療の大部分が非救急科専門医の手にゆだねられていることから、これらの一般診療科の医師が、今後も救急医療に関与し続けられる環境を整備することが救急医療を確保する上で必須であるという立場からの発言であります。
私ども日本救急医学会は、「医療の場合、何が業務上過失致死罪になるのか」という最も本質的な問題に、真正面から取り組むべきであるということを切実しております。この点を曖昧にしたままでは、いかなる調査委員会を作っても、うまく機能するとは到底思えません。
同じ業務上過失致死罪に問われる交通事故の場合、明確な基準を設けており、非常に明瞭で紛れがありません。しかしながら、医療事故を刑事訴追する場合の明瞭な基準は示されてはおりません。これは、罪刑法定主義に反するのではないかとさえ思います。恐らく検察庁の方でも、この問題、すなわち、「医療の場合、何か業務上過失致死罪になるのか」について、既にプロジェクト・チームを作って、検討されているのではないでしょうか。もし検討されていないのであれば、それは非常に問題だと思っています。この点を明確にしない限り、医療側、そして国民の納得が得られないでしょう。
事故調設置の前に、この問題について真剣に取り組むことを、厚生労働省ならびに法曹界に強く要望致します。
救急医学会では、「明白な過失」という概念を検討しております。もちろん、私たち医師は、法律の素人ですから、この考えが正しい、などとは考えておりません。法曹界の人間が見れば多くの誤りが指摘されるでしょう。しかしながら、逆に法曹界の人間だけで、定義できるとも考えておりません。なぜなら、法曹界の人たちは、医学は理解できても、医療の現状を知り得ないからです。むしろ警察庁・検察庁の方々と、私ども医療側の人間が、同じテーブル、同じ席について、議論するべき内容と考えております。
私ども救急医学会は、法と医の対立から、法と医の対話を求めるものであります。厚生労働省の方には、ぜひそのような会議を作るべく、組織間の調整役として動いていただきたく、強くお願いする次第です。
この問題を解決しないと、事故調を作っても、事故調から警察・検察に通知することができません。医師法21条と同じことを繰り返すことは明らかでしょう。
従来は警察・検察側で、業務上過失致死罪に問えるかどうか、まず法的に判断します。この際、医学的な判断は、どうしても甘くなります。では、逆に事故調を作って、医学的な判断を先にすれば、それで解決するでしょうか。今度は、医学的判断を先にするが故に法的判断が甘くなります。
つまり事故調において医学的判断を先にして、その中の一部を、警察・検察に通知するという大綱案では、警察・検察に通知しない事例の中に、法的に問題がある事例が埋もれてしまう可能性があります。論理的に考えてそうではないでしょうか。このような矛盾を回避するためには、全例、警察・検察に通知するしかないのではないでしょうか。
逆説的な表現になりますが、事故調の目的を責任追及にすれば、論点がもっと明らかになるのではないかとさえ思っております。刑法学者の前田先生がこの検討会の座長をされておられることから、その方が議論は早いかもしれません。ただし、その場合、厚生労働省の枠の中では、できないでしょうが。
さらに、捜査という観点から見ても、私ども医師は、警察官と異なり、捜査の手法について、全く教育を受けておりません。そのような医師が、警察と同様の捜査、この場合は調査になりますが、それができるとは到底思えないのです。事故調における調査の方法についても、十分な検証が必要でしょう。
私自身は、法的判断や医学的判断のどちらを先にするということではなく、両方同時に、並行して行えるようなシステムの方が公平性が保たれるだろうと考えております。
法的には無茶苦茶かもしれませんが、警察・検察の中に、医学的な検討を行う組織を作った方が、よほどスッキリするのではないでしょうか。これは、私個人の考えです。
次に報告書自体の問題であります。これは言うかどうか迷ったのですが、医療側は、福島県立大野病院事件で、警察・検察を非難します。しかしながら、それが本当に正しい批判なのでしょうか。この事件は、もとは医師が作成した福島県の事故調査報告書から始まっております。今回作ろうとしている事故調と同じように、言うに、同じ流れで、医療側の判断が先になされているのです。警察・検察は、それを用いて立件しているのです。さらには、ある医師が書いた鑑定書に沿って検察側は裁判を行っております。警察・検察側は、現在、多くを語っておりませんが、本音としては、医療側に言いたいことが山ほどあるのではないでしょうか。
しかし、そこを言わないのが大人の対応なのでしょう。医療側は、警察・検察を非難しますが、私どもはその意見には乗りません。
世間では、医師と警察・検察の対立構造という見方がありますが、そうではなく、本質的な問題は、医療事故の調査報告書のあり方の問題であり、さらには、その報告書や鑑定書を作った医師の資質の問題と言えるのではないでしょうか。事故調を作って、本当に公正で中立な報告書を書けるのでしょうか。さらには、それが書ける資質を持った医師がどれほどいるのでしょうか。いくら言葉で公正・中立と言っても、本当に中立の立場の人がいるのでしょうか。
医療側は医療の枠の中でやっておりますし、患者さんは患者さんの枠の中にいます。いずれにせよ、中立的な立場に立った報告書の作成が、いかに難しいかを物語っております。つまり、報告書のあり方について、もっと多くの議論が必要と考えております。
厚生労働省は、せっかく死因究明のモデル事業を行ったのですから、あと2年くらい残ってっているという話ですが、このモデル事業についての検証を先に行うべきと考えております。問題点はいくらでも出てくると思います。この事故調はモデル事業を発展させたものという位置づけでしょうから、検証なくして新しい組織を作ることは非常におかしいと思っています。
このモデル事業の遂行に当たりましては、委員の方々の相当の努力があったと伺っております。報告書のあり方、医師の労力についての検討も必要でしょう。取り扱える件数についても、この検討会の中で、数が増えた場合には対応できないかもしれないという委員の発言があるくらいです。
さらには、事故調の地方委員会・調査委員会の委員の選任の方法については、大綱案では明記されておりません。恐らく大綱案に賛成する医療側は、自分たちの都合の良い委員を推薦してくるでしょうし、一方、患者側は患者側で自分たちの意見を代弁してくれる委員を推薦してくるでしょう。つまり、両者とも賛成という立場ではありますが、これは同床異夢。
委員を選ぶ手続きについても、「中立」とは何か、いまだに分からないのですが、今から十分に検討しておかないと、委員会の立ち上げのところで、混乱が起きることは明らかだろうと思います。今回の事故調においては、警察・検察の方々が、オブザーバーとして参加されております。
現状を見る限り、警察は医療事故以外の犯罪捜査だけで手一杯であり、とても医療事故の捜査まで手が回らないというのが本音であり、事故調ができるのを静かに待っているでしょう。
検察側にしても、無罪判決が続いており、事故調が出来て報告書が作られることは基本的に歓迎しているでしょう。文字通り、オブザーバーの立場で「高見の見物」をしていることでしょう。ただし検察側は、使えるものは使う、しかし、それに縛られるつもりは全くない、と考えていることと察します。事故調の報告書は、単に鑑定書の1つにすぎず、検察の判断はそれに拘束されるものではないことは明らかですから。
さらには、患者側の弁護士にとっては、非常においしい話であり、反対する理由は全くありません。むしろ、歓迎していることでしょう。
結局、事故調の設置に関して、もし反対派が少数に見えるとしたら、実際には少数派ではないと思っていますが、このような理由なのではないでしょうか。検察も、警察も、患者側も物を言わない。こういう意味で反対は少ないのではないでしょうか。
さらには、杏林大学の「割りばし事件」が立件されておりますが、その是非は述べませんが、あの事件では、その患者を断った病院は複数あります。救急医療を専門とする私どもの立場では、断った病院より受入れた病院の方を評価しますが、現状は受け入れた病院だけが叩かれております。法は善意を考慮しないことは、その通りですが、事故調を作っても、これらの問題は解決しません。その結果残念ながら、患者を診ないほうが安全であるという医療側の認識は、救急医療の現場では蔓延しております。本当にこれで国民は納得するのでしょうか。
一方、これまでに行われた医療事故の刑事裁判においては、医療側も、警察・検察側も、そしてさらには被害者のご遺族も、皆、傷ついております。誰一人、満足しておりません。
私自身、医療事故の被害者の会の主催するシンポジウムにも参加させていただきました。広尾病院の被害者の永井さんの話も伺いました。胸を打たれる思いがあります。
医療側のみならず、警察・検察を含めて、自らの組織の立場だけを考えずに、もっともっと踏み込んだ、真摯な議論、そして本音を語り、歩み寄って、より良き事故調ができることを望んでおります。
あるシンポジウムで、ある国会議員の方が、事故調について、「医療側の8割、患者側の8割の人が賛成してくれる案でないと、うまく機能しないであろう」と言われております。正論だと思います。
刑事事件と民事事件の分離
本検討会においては、あまり語られていないことですが、民事事件との関係については議論が不十分と考えております。大綱案によれば、この事故調の報告書が、民事訴訟に使われることは明らかです。国の原則的立場は、民事不介入であるべきです。根本的に考え直すべきではないでしょうか。
例えば、同じ業務上過失致死罪が問われる交通事故の場合を考えます。警察は、捜査結果を被害者あるいはその家族に文書で知らせることはありません。交通事故の加害者がたとえ飲酒運転であったとしても、それを被害者側に文書で伝えることは原則としてありません。交通事故の場合、弁護士から弁護士法第23条によって、医療機関に対し、飲酒の有無を問い合わせてくるのです。警察は、民事不介入の原則を貫いております。
それに対して、医療事故の場合には、事故調が国あるいは行政の組織でありながら、最初から民事訴訟に使われる構造になっております。これは、論理的に整合性がありません。
この検討会においては、「被害者のために」という名目で、被害者のご遺族に報告することが当然のように思われており、民事訴訟に使われることについて検討もされないままですが、被害者のためにというなら、警察も交通事故や犯罪の被害者やそのご遺族に、捜査報告書を渡すべきでしょう。警察の捜査では捜査資料は出さず、医療事故では報告書を出すというのでは、論理が一貫していないと言わざるを得ません。
民事に利用される構造については、根本的に見直すことを要望致します。
今後の要望
(1)死因究明と責任の追求の分離
(2)医療における業務上過失致死罪の明確化
(3)医療事故調査報告書のあり方
(4)刑事事件と民事事件の分離、
これらの解決のために、特に法と医の対話の場を設けていただきたい。
その以外にも、調査委員会の委員の選任の方法、モデル事業の検証、監察医制度・法医学など死因究明のためのインフラの整備など、多くの課題があります。また、それ以外にも、平成20年度の厚生労働科学研究で検討されているということですから、その研究結果を見てから、再考されるべきものと考えております。
さらには、この検討会は1年以上やっていますが、この検討会だけでとても対応できているとは思えません。検討が必要な項目ごとに、分科会や作業部会(ワーキンググループ)などを作って検討しなかったのは残念なことです。そのためには、わが国における行政、司法、立法といった大所高所からの英知を集めた検討が必須であり、その上で今後、より良き事故調が作られますことを、強く願っております。
日本救急医学会としても、医療側に課せられた医療安全の構築という非常に重いテーマであります。しかし、逃げてはおりません。私ども自らの責任において、これらの課題に対して積極的に取り組む立場であることを明言しておきます。
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