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(投稿:by 僻地の産科医)
主任弁護士の平岩弁護士さんですo(^-^)o ..。*♡
「加藤医師の逮捕、拘留、起訴は不当だった」
主任弁護人(関内法律事務所)・平岩敬一氏に聞く
聞き手m3.com編集長 橋本佳子
大野病院事件の弁護団は総勢8人。産科の専門的知識を習得し、精力的な弁護活動を展開した。主任弁護人を務める平岩敬一氏(関内法律事務所)に、加藤克彦医師の逮捕・起訴、公判、無罪確定までの経緯、今回の判決の解釈、さらには医療界にとっての今回の事件の教訓などを聞いた(2008年9月12日にインタビュー)。
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「捜査の最初の段階で専門家の意見を聞くのは当然のこと。だが、検察はそれをやっておらず、不当な起訴につながった」と指摘する平岩敬一氏。
――判決が確定して今、思うことをお聞かせください。
改めて申し上げますが、今回の逮捕、拘留、起訴は不当であったということです。加藤克彦医師が逮捕されたのは2006年2月で、事故が発生してから1年以上たってからのことでした。その間、加藤医師は福島県立大野病院産婦人科の一人医長として、外来・入院患者の診療を続けていました。医師として仕事をし、また家庭面でも間もなく第一子が生まれるという状況でなぜ彼を逮捕する必要があったのでしょうか。
また既に逮捕時点までに、警察は主要な関係者に話を聞き、カルテなどの証拠も押収していました。拘留は、罪を犯したことを疑うに足る理由があり、住所不定や逃走の恐れがある場合などに行うものですが、加藤医師はいずれにも当たらない。果たして身柄を拘束して、取り調べを行う必要があったのでしょうか。裁判所が拘留を認めてしまったことは慎重さに欠けていたのでは、と思っています。
――逮捕・拘留、さらには起訴が不当だったと。
2005年3月の県立大野病院医療事故調査委員会の報告書では、加藤医師の過失について言及しており、県は記者会見を開きました。それが地元新聞2紙に写真入りで報道され、捜査の端緒となったとされています。検察は、当然、この調査報告書を入手したはずです。作成を指示した県当局や作成者に話を聞けば、この調査報告書の目的は、遺族への補償と事故の再発防止であることが分かったはずです。検察側が主張する加藤医師の過失を立証するために、調査報告書をまず「甲一号証」の証拠とするはずですが、結局、出さなかった、あるいは出せなかった。というのは、こうした事情を分かっていたからだと思います。
(今回の死亡した女性の)癒着胎盤は症例数が少なく、さらにその中で胎盤が子宮の後璧に付着している例は非常に稀です。その際の施術の当否を争うわけですから、当然、検察は、周産期医療の専門家の意見をきちんと聞いておくべきですが、それを全くやっていません。
――検察は、調査報告書をなぜ「甲一号証」としなかったのか、この辺りをもう少し詳しくお聞かせください。
それは検察が、証拠能力がないと判断したからでしょう。調査報告書やその報道が、捜査の端緒になったことは仕方がないのかもしれません。しかし、捜査の過程で、どんな経緯でこの調査報告書が作成されたかは分かったはずです。その時点で調査報告書から離れて、周産期医療の専門家に意見を聞いて、加藤医師の施術に過失があったのかを調べるのが捜査機関の仕事です。しかし、それをしなかった。
裁判で検察が提出したのは、婦人科腫瘍を専門とする教授の鑑定書です。公判での証言通り、教授自身が執刀した癒着胎盤症例は1例もありません。医師になったばかりの頃に、第二、あるいは第三助手として癒着胎盤を1回経験しただけです。癒着胎盤の超音波所見も見たことがない、そのような医師の鑑定意見を基に起訴した検察は、あまりにもお粗末です。
――検察官は起訴前に、周産期医療の専門家に話を聞かなかった。
専門性の高い刑事事件の際は、捜査の最初に専門家の意見を聞くのは当然のことです。それをやっていない。これは極めて理解に苦しむことで、だから「不当な起訴」に当たるわけです。
――捜査の問題の関連で言えば、公判の既に2回目で、大野病院の近隣病院の産婦人科医が、クーパー使用の是非について、捜査段階の供述調書とは異なる証言をしています。
それは頭から「クーパーを使った剥離は違法だ」と決め付けて、捜査をしたからだと思います。加藤医師はクーパーを使うのが一番適切だと判断したわけで、子宮筋層を傷付けないように、クーパーで「切る」のではなく、「そぐ」ように胎盤を剥離しています。しかし、調書には「クーパーをどのようにして使ったのか」については全然、書かれていません。
――その後の公判でも捜査上の問題が露呈されていったように思いますが、「これは無罪判決となる」と思い始めたのはいつごろでしょうか。
検察官は、「胎盤剥離を始めて癒着が分かったら、剥離を中止して子宮摘出術に移るべき」と主張していたわけです。しかし、周産期医療の専門家に聞くと、「そんなことはない。いったん剥離を始めたら、完了する。癒着があり剥離困難だと分かった症例については最初から剥離しない」という答えが返ってくるわけです。これは検察官が言っていることがおかしいのではないかと。 公判前にも何人かの専門家に聞いていましたが、公判で弁護側、さらには検察側の証人が、異口同音に証言し、次第に確信に変わっていきました。公判後に毎回、記者会見を開いていましたが、「検察の主張通りやっていたら、日本中で摘出しなくていい子宮を摘出することになる」と再三申し上げていました。
――それでも裁判は、最後までどうなるか分からない面があります。
証拠の上では、弁護側の方が圧倒的に有利だったのは確かです。病理鑑定では、弁護側証人は胎盤病理の専門家でしたが、検察側の証人はそうではありませんでした。施術の当否についても、弁護側は周産期医療の第一人者、検察側は婦人科腫瘍の専門家が証人です。
それを裁判所がきちんと受け止めてくれるかにかかっていました。日本の刑事裁判の有罪率は99%です。有罪率がそこまで高いのは、裁判所の判断が、どうしても検察側に引きずられてしまう傾向にあるからです。
――裁判所はなぜ検察側に引きずられる傾向にあるのでしょうか。
裁判官の中には、次のように公言している人がいます。検察官は私的な利益のために仕事をしているのではなく、国家、社会のために公訴を提起し、公判を維持している。一方、弁護人は被告人の個人的な利益のために仕事をしていると。本当はそうではなく、弁護人がいなければ、裁判全体の公正さの確保、冤罪の防止などはできません。
しかし、「真実は検察官にある」と考える裁判官がいることも事実です。もともと日本には歴史的に官尊民卑的な思考がある上、検察官と裁判官は、「判事・検事交流」を職務上、やっています。 つまり、日本の刑事裁判は、検察官にやや甘く、弁護側にやや厳しい傾向にあります。その意味で、今回の裁判でも最後まで不安はありました。
――最終的に検察が控訴しなかったのは、いかなる判断だと思いますか。
証拠の優劣を考えたためでしょう。刑事裁判では、検察に立証責任があり、そのための証拠は厳格なものでなければなりません。しかし、今回の裁判では弁護側が厳格な証拠を提出し、無罪を証明した。検察官はそれを覆すことは到底できないわけです。
――今回の判決を覆すためには、「胎盤剥離が困難になった時点で、子宮摘出術に移行する」という臨床例が必要なわけですね。
その通りです。しかし、そんな臨床例はないのですから、控訴しないのは当然のことです。また判決では、加藤医師の行為と死亡との因果関係や予見可能性などについては、それなりに検察の言い分を聞いています。しかし、これは時々見られることですが、「検察官に不服を言わせない」「判決に不服を言わせない、控訴をさせない」ための裁判官のテクニックであるとも解釈できます。検察官の主張を認めつつ、しかし、一番肝心な部分、動かしがたい部分については、裁判官は的確に判断しているわけです。だから控訴はできないと、私は最初から思っていました。
「何かその時の標準的医療か、常にキャッチアップを」
――では判決の内容についてお伺いします。最初に裁判長は「被告人は無罪」と読み上げたものの、判決の詳細を聞いていると、検察官の主張を認めている部分が結構あります。例えば、加藤医師の胎盤剥離行為と女性の死亡との間に因果関係があるとしています。
私は、それほど不自然ではないと思っています。現時点(9月12日時点)では判決全文を受け取っておらず、手元にあるのは判決要旨のみなので精査はできませんが、胎盤剥離によって大量出血が生じた、それが死亡という結果と結び付いている。この意味では、因果関係があるわけです。
さらに判決では、「癒着胎盤と認識した時点において、胎盤剥離を継続すれば、現実化する可能性の大小は別としても、大量出血し、生命に危険が及ぶことも予見できた」としています。しかし、ここで言う「予見」については、裁判所は「予見できることと、その行為をやめなければいけないこととは異なる」という説明をしていたと思います。
医療行為には何らかの危険を伴うことが多く、その意味では「予見」することも可能です。例えば、心臓手術など、身体の重要な臓器にメスを入れたりすれば、場合によっては大出血し、死に至ることは予見できます。
――「何らかの危険を予見できる」ことと、それを「回避すべき」こととは別問題という意味ですか。
全文を見ていませんが、そのように判決では言っていると私は解釈しています。単純に「予見可能性があるから、その結果を回避する義務がある」と言っているわけではないと思います。 さらに検察官は「癒着胎盤を予見できた」と言っていますが、「いつの時点で予見できたか」が問題です。「術前には予見できなかった」というのが弁護側の主張です。検察官は「胎盤剥離を開始して、剥離が困難になった時点までには予見できた」と言っているわけで、「その点では、弁護側も検察官もあまり違ってはいないのではないか」と、判決では言っているように思います。
加藤医師は、剥離の途中で、胎盤がはがれにくくなったことは認識していました。剥離を続ければ出血が多くなるかもしれないが、それよりも胎盤剥離を完了すれば、子宮収縮が期待でき、止血操作もできる。これが臨床上の標準的な医療措置であるというのが裁判所の見解です。
――今回の判決は見方を変えれば、まだ「標準的医療」にはなっていない先進的な医療を実施し、結果が悪かった場合、業務上過失致死罪に問われる可能性があるという解釈はできますか。その場合、医学の発展が阻害される懸念はないのでしょうか。
確かにそうした懸念もあり得ます。ただその一方で、医学の発展のために、生命に危険が及ぶ可能性がある行為をやっていいわけではありません。動物実験を重ね、安全なところから経験を積み重ねていく必要があります。
医療行為に刑法をどう適用するかについては難しい問題が常につきまといます。
現在、厚生労働省は診療関連死を調査する、「医療安全調査委員会」の設置を検討しています。医療者の一番の懸念は、調査委員会から警察に通知する仕組みです。通知例として、「標準的医療から著しく逸脱した医療に起因する死亡」があります。これは今までの過失の法解釈からすれば、大変な飛躍になるわけです。
――「著しく逸脱した事例」を届け出るというのは、従来の過失概念とどのように違うのでしょうか。
厚労省の今年4月の第三次試案では「故意や重大な過失」について通知するとしており、「重大な過失」とは「標準的医療から著しく逸脱した医療」であると説明しています。
刑法では210条に「過失致死」(50万円以下の罰金)、211条に「業務上過失致死」と「重過失致死」(いずれも5年以下の懲役もしくは禁固、または100万円以下の罰金)があるわけです。「重過失致死」の解釈には幾つかの説がありますが、ごく簡単に言えば、「わずかな注意を払えば結果を回避できた」、言い換えれば「わずかな注意も怠った」、つまり過失の程度が重いケースが重過失に当たるとされています。
一方、「業務上過失致死」は、「わずかな注意も怠った」とは異なり、「危険な業務に従事する人は高度な注意義務を負っている、あるいはそうした注意義務を負うべきだ」という考えに基づきます。医療に当てはめれば、「標準的医療」の実践は当然のことで、「標準的医療」に反したら、即、業務上の過失に当たります。つまり、「標準的医療から著しく逸脱したものだけを通知する」というのは、医療側に有利な解釈になっています。
このことは、今の医療界ではほとんど理解されていないのではないでしょうか。もっとも、今回の大野病院事件でも検察は「重大な過失がある」と主張していても、「重過失致死に当たる」とは言っていないので運用面では大差はないのかもしれませんが、刑法211条では、「業務上過失致死」と「重過失致死」は明らかに異なるのです。その刑法を変えずに、運用を変えるということですから、これは大変なことです。
――刑法を変えずに解釈を変えることは可能でしょうか。
医療安全調査委員会の設置法案は、刑法に対する特別法となり、特別法が尊重されることにはなるのでしょう。 もう一つ、医療界が問題にしているのは「捜査機関に通知する」という行為自体ですが、医療だけを刑事免責するのは、国民の納得が得られないでしょう。何らかの問題があれば、通知せざるを得ないではないでしょうか。
その代わりに、システムとして「医療安全調査委員会」を設置した場合、患者さんが告訴したり、警察が職権で捜査を開始した場合でも、医療については医療安全調査委員会を通す、このことを法律で決めることが重要だと思います。 鉄道や航空では既に事故調査委員会があり、その根拠となる設置法が定められています。しかし、刑事訴訟法と並存しているため、事故調査委員会が事故を調べようと思っても、警察、検察が証拠関係をすべて持っていく場合があり、事故調査委員会ではあまり調査ができないケースがあります。 こうした制度上の問題を解決するため、医療の場合は、医療安全調査委員会を第一にする法律を制定する必要があります。厚生労働省は「警察は、告訴があっても事故調を使うと言っている」などと説明していますが、法律で決めなければ、解釈はいくらでも変えられる恐れがあります。
――最後に今回の事件の教訓、あるいは医療界へのメッセージをお願いします。
今回の起訴では、医師の間で強い反発があり、抗議声明などが出されました。臓器を間違って切除した、薬を誤投与したなど明らかな過失での起訴はこれまでもありましたが、今回のように医師の施術の当否に踏み込んで、刑事事件で逮捕・拘留、そして起訴された例は、私の知る限りはありません。医師は、生命に危険が及ぶ可能性がある大変な仕事をしているわけです。多くの医師が自分の問題としてとらえたのでしょう。 「標準的医療」は医学とともに進歩し、時と共に変わっていきます。ですから、その時々の標準的医療が何なのか、それを常に勉強し、実践していれば、萎縮したり、悲観的に考える必要はないのではないでしょうか。
今は制度に問題があると思っています。医師法21条に基づいて異状死を届け出ると、調べる警察側と、調べられる医師の対立構造になるわけですから、それはシステムとしておかしい。これでは、萎縮医療につながりかねず、医師を志す人が減少するかもしれません。それは国民にとっていいことではありません。早く今の制度を改善する必要があると考えています。
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