(投稿:by 僻地の産科医)
すごくまとまっています!
週刊エコノミスト8月26日特大号
特集◆ 医療無残
産科・小児科医不足、病院閉鎖、医療費膨張
海外の日本医療高評価と庶民実感の乖離
医療制度と事件・訴訟の変遷
医師数・医療費の抑制、訴訟が
医療現場を追い詰めている
水巻 中正
国際医療福祉大学大学院教授
(週刊エコノミスト 2008.8.26号 p30-31)
「医療崩壊」の根源は1980年代以来の医師数の抑制策に遡る。
医療費抑制、訴訟リスクの高まりがそれに拍車をかけている。
現在指摘されている「医師不足」は、政府による医師の需給見通しの誤りから始まった。
政府は1960年代後半、人口10万人当たり医師数を経済協力開発機構(OECD)各国の当時の平均だった150人に近づける方針を掲げた。73年には「1県1医大」構想が打ち出され、医科大学及び医学部が存在しない県を解消することになった。これにより、医師養成の増強が図られ、医学部の定員数は82年度には過去最高の8280人に達した。
「医療費亡国論」の誤り
しかし、前後して80年代に入ると、医師数の過剰が懸念され始める。83年に人口10万人当たり医師数が長年の目標だった150人を超えたこともあり、
①さらなる医師数の増加は、医療の不必要な需要を生み出し、医療費の必要以上の増大につながりかねない
②診療以外の面で患者を引き寄せるなど行き過ぎた競争をもたらしかねない
――といった議論が起こったのだ。
同年、当時の吉村仁・厚生省(現厚生労働省)保険局長(後の事務次官)が高齢者社会の到来を見据え、「膨大な医療費は財政を圧迫し、国を滅ぼす」という「医療費亡国論」を発表したこともあり、政策は医師数の抑制へと傾き始める。
厚生省に設置された「将来の医師需給に関する検討委員会」は86年、2025年には医師の10%が過剰になるとの将来推計に基づき「95年をめどに医師の新規参入を10%程度削減すべき」だと提言。医科大学・医学部の入学定員は2008年度に7800人程度(国公私立合計)と、ピーク時から約6%減っている。
入学定員削減措置の方針は98年、06年の「医師の需給に関する検討会」でも基本的に受け継がれており、医師不足に対する危機意識は一貫して希薄だった。いま振り返ると、このような誤った政策をとった原因は、政府が医療を取り巻く環境が大きく変化していることに気付かなかったことにある。政府の対策は終始後手に回った。
小児科医の過労自殺
勤務医の過重労働・自殺、医療訴訟の増加、捜査当局による医療現場への介入に対する反発――。現在の「医療崩壊」を招いているこれらの要因は、いずれも90年代後半に顕在化していた。
立正授戒会付属佼成病院(東京都中野区)に勤務する44歳(当時)の小児科医が99年8月、病院の屋上から飛び降り自殺した悲劇は、医師の過重労働の実情を世に知らしめた。報道によると、同医師は、リストラによる医師数の減少で勤務時間が延び、24~32時間の連続勤務となる当直(夜間の宿直、休日出勤)を同年3月に7回、4月には6回と、全国の小児科医平均の2倍近くこなしていた。遺族が労災認定を求めた行政訴訟で、東京地裁は「月に8回も宿直する過剰勤務が原因」と遺族の訴えを認めた。
現在もなお、当直明けでそのまま通常勤務を行っている医師は決して珍しくない。
このような過酷な勤務に加え、マスコミ報道の影響もあって、判断が難しい微妙な「医療ミス」で刑事責任を追及されたり、巨額の損害賠償請求訴訟を起こされるケースも増えている。
相次ぐ医師逮捕
東京慈恵会医科大学付属青戸病院(東京都葛飾区)で03年、泌尿器科の30代の医師3人が業務上過失致死容疑で逮捕される事件が起きた。3医師は02年11月、千葉県松戸市の男性の前立腺がん摘出の腹腔鏡手術を実施。しかし、その後患者が脳死状態となり、同年12月死亡したのは、止血や輸血が不十分で大量出血して低酸素脳症になったためとされた。06年5月、東京地裁は3医師に対して禁固2年6月、執行猶予5年などの有罪判決を下した。控訴した1人に対しても東京高裁は07年6月、禁固1年6月、執行猶予4年を言い渡した。十分な技術がないまま手術を行ったため男性が死亡したと判断されたが、医療界からは「医療ミスではない」「逮捕は不当だ」との意見が相次いだ。
また、04年に起きた福島県立大野病院(同県大熊町)の帝王切開死事件での刑事訴追も、医療界に衝撃を与えた。これは手術中に当時29歳の妊婦が死亡した医療事故で、同病院の産婦人科医は業務上過失致死と医師法違反の容疑で逮捕され、検察側は禁固1年、罰金10万円を求刑。現在、福島地裁で係争中である。このケースは非常に稀な胎盤癒着の症例で、そもそも救命できる可能性が低かったとして、医療界から「不当逮捕だ」との批判が巻き起こった。さらに、逮捕された産婦人科医は地域の産科医療を1人で担う状況に置かれていたこともあり、特に地域医療を必死で支えている医師らへの衝撃は大きかったようだ。
これらの事件を機に、医師の「産科離れ」や病院勤務医から開業医への流れが一気に加速した。
行政の無策が生んだ「複合崩壊」
現在の「医療崩壊」は、前述したほかにも、高齢者向け長期入院施設(療養病床)の大幅削減といった失政のツケとしても表れている。療養病床はこれまで、医療費膨張の“主犯格”とされた「社会的入院」の受け皿になっていると批判され、介護保険適用の13万床の全廃が打ち出され、いわゆる「医療難民」「介護難民」を生み出した。医療崩壊はまさに「複合崩壊」の様相を呈している。その背景にあるのが行政の無策と無責任体制と言っていい。
01年に誕生した小泉純一郎内閣は「聖域なき構造改革」を掲げて診療報酬の引き下げに踏み切り、病院経営を悪化させた。その一方で、保険料の滞納による無保険者や治療費の未納者が急増している。これらは健康保険財政を悪化させ、医療従事者を疲弊させ、医師と患者双方のモラルハザード(倫理の喪失)を生んだ。
政府の経済財政諮問会議(議長・福田康夫首相)は6月27日、経済財政改革の基本方針「骨太の方針08」を閣議決定し、医師不足対策や救急医療などを重点課題として社会保障費抑制目標の枠外とする「聖域化」を決めた。
7月29日には、社会保障分野で国が緊急に取り組むべき「5つの安心プラン」(社会保障の機能強化のための緊急対策)を発表。医療分野については、「医師養成数の増加」を明記し、勤務医を確保するため、休日・夜間の救急医療を行う医師や産科医、僻地に派遣される医師の収入を増やす方針を示した。
政府は、遅ればせながらようやく医療崩壊に歯止めをかけるべく政策の舵を切ったが、内容は総花的で、財政的な裏付けも不透明だ。
水巻氏の本年度の著書 「医療新生~未来を拓く処方箋をデザインする」
を読むと、医学部を目指すのは偏差値の高い学生に集中し、ひ弱な学生が増えている、志の高い学生や社会人が医師になる道はせまい。その結果、過酷な労働条件や僻地医師、臨床医を敬遠する医学生が増えている。したがって、これら志の高い人が医師になれるようにするためのメディカルスクール創設を、という「?」な論調でしたが、この記事は、今、医療に携わっている者への理解を示しているんですね。少し見直しましたが、、、、、
投稿情報: 苦渋医師 | 2008年9 月 3日 (水) 22:01