(関連目次)→大野事件
(投稿:by 僻地の産科医)
過去の記事ですが。
全てが集約されている記事だと私はおもいます(>▽<)!!!
福島県立大野病院事件◆Vol.1
「医師逮捕」が投げかけた波紋
多数の医学界が相次いで抗議声明
橋本佳子 m3.com編集長 2007年11月28日
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/071128_1.html
「産婦人科医の逮捕」という衝撃的なニュースで、2006年2月に明るみになった福島県立大野病院事件。逮捕されたのは、同病院の当時の産婦人科医だ。産婦人科医だけにとどまらず、多数の医療関係者がこの事件の動向に高い関心を寄せているのは、本事件が医療界に多大なる影響を及ぼしているからだ。
連載「福島県立大野病院事件」では、これまでの経緯を検証するとともに、公判の動向を詳報する。
「患者さんが亡くなり、残念で忸怩(じくじ)たる思いです。亡くなられた患者さんのご冥福をお祈りします」
「ミスをしたという認識はなく、非常に切迫した状況で精一杯やりました」
去る2007年1月26日、福島地裁で開催された福島県立大野病院事件の第1回公判後の記者会見の席上、被告の加藤克彦医師は、こう述べた。担当した患者に哀悼の意を表すると同時に、医師として最善の対応をしたことを改めて強調した。
「産婦人科医の逮捕」という衝撃的なニュースが医療界に走ったのは、2006年2月18日のこと。2004年12月、福島県立大野病院で、帝王切開手術時に出血を来し、女性が死亡した医療事故が事の発端だ。産婦人科医だけにとどまらず、多くの医療関係者、各種学会、さらには一般市民に至るまで、この事件に対する関心は驚くほど高い。
まず改めてこの事件の経緯を振り返ってみる。
「逮捕不当」として多数の医学界が声明
本事件の患者は、帝王切開の既往歴がある女性。第2子を妊娠していた女性は、2004年5月に不正出血を来し、大野病院を受診。その後、前置胎盤であることが分かり、帝王切開手術が予定されていた。11月22日に切迫流産の恐れがあったために入院。12月17日の午後2時26分すぎから帝王切開手術を受けたが、子供を娩出後、同日の午後7時に死亡した。一連の診療・手術を担当したのが加藤医師だった。
以降の主な経過は、以下の通りだ。
2005年3月 : 福島県の医療事故調査委員会が報告書
2006年2月18日 : 加藤医師が逮捕
3月10日 : 加藤医師が業務上過失致死罪と医師法違反で起訴
3月10日 : 日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会が声明
3月13日 : 参議院予算委員会で民主党議員がこの事件で質疑
(それ以降、衆参両院の厚生労働委員会などで質疑が数回行われる)
5月17日 : 日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会が声明
5月19日 : 全国医学部長病院長会議が声明
12月 6日 : 日本医学会が声明
2007年1月26日 : 福島地裁で初公判
ここに挙げた以外にも、全国の有志の医師による「周産期医療の崩壊をくい止める会」が発足、1万人を超す署名を集めて国会に提出したほか、地方の医師会・産婦人科医会などが、加藤医師の逮捕・起訴を不当とする声明を打ち出し、国会などに働きかけた。医師個人が業務上過失致死罪という形で刑事事件に問われたこと、しかも「医師逮捕」という形で顕在化したことに対し、強い危機感を抱いたからだ。
一人の医師の事件で、これだけ医療界が一斉に動いたのは異例のこと。その危機感は、3月の日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会の声明にも表れている。その一部を引用しよう。
「このたび、日本産科婦人科学会の専門医によって行われた医療行為について、個人が刑事責任を問われるに至ったことはきわめて残念であります。
本件は、癒着胎盤という、術前診断がきわめて難しく、治療の難度が最も高い事例であり、高次医療施設においても対応がきわめて困難であります。
また本件は、全国的な産婦人科医不足という現在の医療体制の問題点に深く根ざしており、献身的に、過重な負担に耐えてきた医師個人の責任を追及するにはそぐわない部分があります。
したがって両会の社会的使命により、われわれは本件を座視することはできません。」
コメント