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(投稿:by 僻地の産科医)
同床異夢、迷走する病院再編
第2部 取材ノートから
日経NetPlus 2008-07-30
http://netplus.nikkei.co.jp/nikkei/news/medical/medical/med080727.html
2月に白紙に戻った千葉県東部の6市町による「九十九里地域医療センター計画」の背景には、農村部の医師不足が横たわる。市町村間の医療の主導権争いは、地域を結ぶ道路問題よりも対立が鮮明になる傾向がある。この地域を取材し、舞台裏を探った。
■権限の範囲で衝突、計画は白紙に
山武地域にあった県立東金病院(東金市、191床)、2市2町による組合立の国保成東病院(山武市、350床)と町立大網病院(大網白里町、100床)に分散していた病院機能を新設のセンターに集約。老朽化した東金病院を廃止する代わりに400床程度の地域の救急医療を担う中核病院とする方向で調整が進んでいた。既存の成東病院を150床に減らし、大網病院の100床とともにセンターの支援病院と位置づけ、広域医療ネットワークができあがる計画だった。
医療機関の再編は地域への影響が大きい。病院から診療所に変わり、使われなくなった病室が並ぶ(広島県安芸太田町)=朝刊連載から
主導していたのは千葉県。2004年に県がまとめた県立病院将来構想に伴い東金病院の廃止方針が打ち出された。当時の9市町村で「山武地域医療センター」の基本計画策定委員会を立ち上げ、東金市の南西部に新病院の予定地を選定した。
だが、合併で誕生した山武市長に、予定地の再考を掲げた椎名千収氏が当選したころから計画の迷走が始まる。他の市町は「一度決めたものを一自治体の首長の公約に従って動かすのはおかしい」と反対したが、病床数の調整など計画の見直しまで譲歩した。しかし、最後は支援病院も含めたセンター長の権限をどこまで認めるかというところで再び意見が衝突した。
「結局、予定地と病床数以外は何もない計画だった」。迷走の末の白紙化に関係者からはこんな声が漏れる。
各地の農村部と同じく、この地域も救急医療が手薄だった。さらに医師不足が原因で成東病院が06年に内科の救急輪番を抜ける事態に。「救急難民」状態はこの地域にも及び、地域外への救急搬送も02年は22.8%だったのが06年は38.3%に増えた。
■再度の構想立ち上げにも反旗
「九十九里地域医療センター計画」白紙化の話には続きがある。計画に携わっていた市町のうち、横芝光町は国保旭中央病院(旭市)が近く、芝山町は成田市との地域的結びつきが強く離脱。残る東金市と大網白里、九十九里の2町は「救急医療の整備は不可欠」として、再度医療センター構想を立ち上げたのだ。旧センター構想を引き継ぐ形で、新センター長の候補者も決まった。ところが、今度は大網白里町議会が反旗を翻した。6月、準備組織設置のための予算を否決したのだ。同町の堀内慶三町長は「住民の暮らしと命を守るため救急医療機関は必要」と訴えたが、「どれだけの財政負担がかかるのか不明確」「県から支援は得られるのか」との懸念が続出した。
財政が厳しい自治体が多い現状では、公立病院の新設・運営に勇気が伴うのは事実。「不安なのは県も市町村も同じ。どんな病院をつくるのか議論して、不安の正体を明らかにしたいのだが……」。2つのセンター構想に携わってきた県の担当者はつぶやく。
新構想から距離を置く成東病院も先行きは険しい。志賀直温・東金市長は「いくつも病院を支えられない」と新センター完成後の経営離脱を示唆。センター新設に伴う成東病院の規模縮小に強く反対した椎名市長も「規模を縮小し経営改革をして立て直す」と話す。病院再編が必要なことも、財政負担に限界があるというのも共通認識。だが、最後の段階で同じ絵が描けない「同床異夢」の構図が続く。「地域住民のため」としていながら、この迷走の最大の被害者は、十分な医療ネットワークを得られなかった地域住民かもしれない。
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