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(投稿:by 僻地の産科医)
講習会●平成19年度家族計画・母体保護法指導者講習会
平成19年12月1日開催シンポジウム
■健やかな妊娠・出産について考える
未受診妊婦の実態とその対策について
前田津紀夫
(日医雑誌第137巻・第4号別冊/平成20(2008)年7月 p11-14)
はじめに
わが国では母子健康手帳を取得し,妊婦健診を受診している妊婦の率は非常に高い.妊娠が判明してから,分娩に至るまでの問に妊婦は平均15回程度の定期健診を受けている.だが,以前から,妊婦健診を受診せず,いわゆる「飛び込み分娩」となる妊婦は少なからず存在した.
このたび,奈良県において「未受診妊婦」の「一次救急受け入れ困難事件」が発生しメディアにも大きく取り上げられたことから,「未受診妊婦」の存在がクローズアップされるに至った.
今回はこの「未受診妊婦]に関する最近の文献を参照し,独自の調査の結果を交えて「未受診妊婦」の現状に対する考察を行った.
Ⅰ.奈良県の「未受診妊婦受け入れ困難」事件と報道
事件の概要:2007年8月29日午前2時ごろ,奈良県のスーパーで買い物中に腹痛を訴えた未婚女性(38)から救急隊に搬送依頼があった.女性が妊娠中と判明したため,救急隊が医療機関を探したが,県内では受け入れ先が見つからず,収容可能と答えた大阪府の病院に搬送を行った.児は,午前5時ごろ病院に到着した時点で,妊娠7か月相当の子宮内胎児死亡と診断された.また,この女性は妊娠を認識していながら未受診であったことも判明した.
奈良県ではその前年,分娩途中に脳出血を発症した妊婦が,県内で受け入れ先が見つからず,搬送に手間取るという事件が起きたばかりであった.
マスコミ各社による当初の報道は,この2つの事件を結び付け,奈良県の救急搬送システムと受け入れに同意しなかった各医療機関への攻撃に終始した.最近になり,ようやく一部報道機関が,「未受診妊婦」の問題を真剣に取り上げはじめ,医療機関に対する非難は一時に比べて落ち着いたように見受けられるが,まだまだ理解が十分であるとはいえない.
Ⅱ.「未受診妊婦」の背景と問題点
「未受診妊婦」に関する過去の文献や今回行った独自の訓告資料(合計21施設または地域,586人)を基に「未受診妊婦」の背景や問題点の分析を試みた.以下にそのまとめを示す.
(1)年齢と経産回数
未受診妊婦の群で10代が占める割合が14%であったのに対し,対照群(妊婦全体)では2%であった(図la,b).未受診妊婦の群で4回経産以上の頻産婦の占める割合が16%と対照群(1%)に対して高かった(図lc,d).また頻産婦の多くは40代であった.
(2)結婚の有無
未婚者が39%を占めた.
(3)墜落分娩
自宅・路上分娩10%車中分娩5%であり医療機関にたどり着く前に分娩に至る率が高かった(図2c).
(4)来院から分娩までの時間
1時間以内(墜落分娩含む)が44%であった.来院から分娩に至る時間の調査で15分以内11%,30分以内9%とする報告もみられた.
(5)救急車の利用
31%を占めた(図3b).
(6)診察費未払い等
40%にみられた(図3c).山本らは5年間にわたる医療費未払い総額が629万4930円に上ったと報告している.
(7)児の引き取り困難例
10%にみられた(置き去りを含む;図3d).
(8)「未受診・飛び込み」のリピーター
12%にみられた(図3a).
(9)児の周産期異常
周産期死亡率:80(出産千対)となる.これは日本の周産期死亡率5.0(2004年度)の16倍に該当する.NICU管理:30%であった(図2d)、低出生体重児:33%,うち1,000g未満は5%であった(図2a,b).いずれも対照群と比較して高率であった.
(10)母体の周産期異常
妊娠高血圧,重症の貧血,糖尿病.既往帝切,胎位異常などがみられた.胎位異常のなかには大変危険な横位の上肢脱出例の報告もみられた.母体の感染症陽性者(HIV,HCV、HBsAg,梅毒)が報告されていた.
(11)未受診となった理由
経済的理由で受診しない者,外国人の不法滞在費,妊娠に気付かなかった者.妊婦健診の必要性を認めず放置した者などがみられた.また,リピーターのなかには複数回未払いを繰り返すなどモラルの低下が疑われる妊婦も存在した.
Ⅲ.未受診妊婦が生み出す問題点
母体にとって「未受診」は母体合併症の放置を意味し,そのリスクを回避する機会を失うことにつながる.そして「飛び込み」はリスクマネジメントなき危険な出席環境をもたらす.胎児・新生児にとっても,母親の「未受診」は周産期死亡率の上昇につながっていることが今回の調査で実証された.また,妊婦の感染症検査が行われないために母子感染のリスクも無視できないことが明らかになった.墜落分娩が多いことも児にとってきわめて不利益である.
受け入れ医療機関にとって,母子に関する情報不足は管理上大きな障害である.しかも来院から出産までが短時間であるため.瞬時に重要な決断を迫られることが少なくない.医療従事者に対する二次感染のリスクも常に存在する.医療費未払いの問題は経営を圧迫するばかりか.医療関係者の士気を低下させる.
安易な救急車利用など,貴重な社会資源を浪費する点でも「未受診妊婦」は問題である.また,ぎりぎりのバランスで成立している地域の周産期システムを突然の割り込みで混乱させ,足りないNICUベッドを強引に占拠してしまうのも反社会的といえよう.
Ⅳ.「未受診妊婦」に対する対策
まずは,「未受診妊婦」予備軍に対する教育・啓発が垂要である.妊婦健診の意義を彼らに伝えていく必要がある.さらに,経済的な問題を抱える妊婦に対しては,公的な資金援助が考えられる.しかしながら,一部のモラルなき「確信犯的妊婦」に対しては,教育にも限界があり,経済的援助も効果は期待できない.
「未受診妊婦」の「飛び込み」は建前論でいえば一次救急の対象疾患である.しかし,そのリスクの高さは上記の調査結果の示すとおり.一次医療機関の手に負えるものではなく,したがって,高次医療機関で引き受けざるをえないのが現実である.一方で,現在の日本においては多くの産科医が,目の前の妊婦への対応で疲弊しきっている.この環境下で産科医を勇気づけ,立ち去りを防ぐ施策と「未受診妊婦」を完璧に受け入れる対策は相矛盾する.
まとめ
「未受診妊婦」はその背景にかかわらず,母児にとって危険な周産期環境を作り上げ,取り扱う医療者にとってもハイリスクな存在であることが確認された.しかもその教は年々増加している.いかに問題山積みの存在であろうとも,医療費として彼らを救済する努力は今後も必要である.しかし 国も各自治体も,その責任を医療費の自己犠牲的な働きに丸投げするのみでは事態は決して好転しない.まずは,いろいろな方向から現場の医師・医療機関を支える援助を行うべきである.産科医が安心と誇りをもって周産期医療に従事できる環境整備を実現していただきたいと思う.また,一部報道機関においては条件反射的に医療者への批判を繰り返すばかりでなく,冷静でかつ建設的な報道をお願いしたい.そして,何よりも,まじめに受診している妊婦たちへのシステム作りが最優先であり,彼らへの安全保障なくして「未受診妊婦」に対するセーフティネット構築はありえないことを忘れてはならない.
稿を閉じるに当たり,調査にご協力いただいた国立国際医療センター・箕浦茂樹先生,獨協医科大学・渡辺 博先生,北里大学・海野信也先生,順天堂入学医学部附属静岡病院(三橋直樹先生,聖隷浜松病院・村越 毅先生,藤枝市立総合病院・川島正久先生,焼津市立総合病院・成高和稔先生,尼崎医療生協病院・衣笠万里先生,葛飾赤十字産院・三宅秀彦先生はじめ諸先生方に深く感謝いたします.
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