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(投稿:by 僻地の産科医)
またまたカデットからo(^-^)o ..。*♡
私は「医療崩壊」で初めて小松先生の本を読んだのですけれど、
頭がガンガンひび割れるような経験をしました。
すぐに「これはすごい本だ」とおもい、お隣の仲良し内分泌先生♡
にお貸ししたのですけれど、彼女も真っ青な顔をして、
「あれ、読むとウツになるね。。。」と言っていました。
衝撃的な本だったんです。
でもお会いしてみた小松先生は意外と温和で、
やさしい印象の先生です。
(でも病院ではこわいのかなo(^-^)o??)
公平順子のあの先生に会いたい
成功体験を捨てなければ上手い外科医になれない
小松秀樹先生
(Cadetto Summer’08 p62-65)
現代医療の諸問題を「医療崩壊」と表現し、世に定着させた小松秀樹先生。
オピニオンリーダーとして注目されていらっしゃいますが、実は、手術が上手い外科医としても有名です。今回は、外科医″小松秀樹″に迫るべく、小松先生のキャリアや、外科医の立場からの医師教育に対するお考えを伺いました。
公平 小松先生がお書きになられた『医療崩壊』『医療の限界』『慈恵医大青戸病院事件一医療の構造と実践的倫理』を拝読しましたが、私は特に『慈恵医大青戸病院事件』に共感を覚えました。
あの事件は、前立腺癌の男性患者に、腹腔鏡下手術の十分な経験のない医師3人が指導医なしで執刀し、患者を大量出血による脳死で死亡させたとして刑事事件に発展したものですが、麻酔科医の私から見てもいろいろ考えさせられる事件でした。
小松 あの本は、先行文献なしに自分で考えて書きました。初めての著書でもあり、「共感を覚える」と言っていただけるとうれしいです。
公平 正当な理由を論理的に書かれていて感動しました。第一線の外科医でなければ、あのように書けないと思います。先生はなぜ本を書かれたのですか。
小松 社会の側、医療側の双方が努力して、齟齬(そご)を埋めないと、医療提供体制が維持できないと強い危機感を持ったからです。
公平 『医療崩壊』がベストセラーになったのも、まさに第一線の臨床医が自信を持って語っているからだと思います。でも一方で、医療関係者からの反感の声も多かったのではないかと思うのですが。
小松 私の文章は、できるだけさかのぼって考えること、意味を誤解なく正確に伝えることを旨としているので、カチンとくる人もいるでしょう。その意味で私は危険人物”なんですよ。医学界の中で、かなり厳しいことを言い続けていますから。
公平 いつもどのように情報収集されていらっしゃるのですか。
小松 情報は自然に集まってくるんです。これを読んでおいてくれ」と、いろいろな人からメールが送られてくるのです。
最近、自分は勤勉だと気付いた
公平 虎の門病院の部長として日々の臨床業務をこなしながら、情報を収集して本を書かれるのですから、超人的でいらっしゃいますよね。
小松 私は極めつけのせっかちで、何でも速いんです。特に物を書くスピードはすごく速いと思っています。書き始めると、1日に400字詰め原稿用紙で50枚ぐらいは書いてしまいますから。一気にやらないと飽きてしまうからなのですが、昔はこんな自分のことを、面倒くさがりやで、すごい怠け者だと思っていました。でも最近、「実はとんでもない勤勉な人間なのだ」と気付き始めて(笑)。
公平 勤勉だと気付かれたのは何歳ごろですか。
小松 つくづく自分は勤勉だなと思ったのは、この10年ぐらい。虎の門病院の仕事の負荷が大きいのもあると思います。1年365日働くとはいわないけど、基本的には休みません。最近は週末に講演を依頼されることが多いのですが、講演のあるとき以外は病院に行きます。今は外来診療は週2日だけにしていますが、オペは週4~5回ぐらい入りますね。
ご存知かどうか分かりませんが、泌尿器科の世界では、私は“手術屋”とみなされています。
公平 ええ、泌尿器科の若い先生方に聞くと、小松先生は「医療崩壊」よりも「手術が上手い」ことで存在感があると言っていました。初めて執刀医になられたのはいつごろですか。
小松 4~5年目にはもう“激しい手術”をやり始めていましたよ。5~6年目からは、日本の泌尿器科の第一線で行われるオープンサージェリーに関しては、大半の手技に取り組みました。
公平 4~5年目から“激しい手術”とは、いろいろ経験させてくれる病院を回っていらっしやったのですね。
留学の話は全部断った
公平 外科医として能力がある人でも、大学の医局の流れで、腕を磨く前に論文を書く目的で留学してしまう人もいますよね。
小松 腕を磨かずに40歳ぐらいになってしまうと、メスを握る人としてはちょっと厳しいですね。私自身は、基礎研究での留学の話は何回かあったのですが、全部断りました。大学院に入ったこともありません。
公平 外科医は、安全で確実な手術をしたいと望むべきだと思いますが、学位も取得したい、キャリアアップしたいとなると、論文を書かなければならない。手術さえ上手ければいい、と割り切れないのでしょうね。
小松 社会だって、安全で確実な手術ができる外科医を望んでいますよ。外科医に分子生物学の論文を書いてほしい、なんて思ってない。
外科医は、自身のキャリデザインをなかなか描けないのだと思います。周りに手本があればいいけど、多くの場合は手本がないところでやらざるを得ないのが現実です。
何年目で何をやって、何年目でどういう地位に就いて、という自分の将来像を求める若手が多いですが、そんなものはどこにもない。昔っからないんですよ。あったとすれば“空手形”。私の若いころの話も参考にならないと思いますよ。
公平 ええ、参考にならない。なぜかというと、小松先生が優秀すぎるから(笑)。
確かな将来像を求めるのは外科に限ったことではないですね。今は、「3年目には○○ができるようになる」と明確に公表している研修病院が人気です。目標がクリアに書いてあって、指導してくれそうな病院に行ったら大丈夫だと思ってしまう。
手術は“盗み見”で習得
小松 私は、医師の教育において、手取り足取り教えることが果たしていいのか、常々疑問に思っているんです。ある程度、ほったらかしでもいいのではないかと思います。
私自身は、卒業当時の大学の手術に問題があると思ったので、指導されたくありませんでした。大学には1年しかいなかった。手術は、ほとんど人に習っていませんね。消化器外科の手技を盗み見したり、文献で勉強したり…。アメリカやヨーロッパで一番手術が上手いといわれている先生方のところへは、自分で連絡して見学に行きました。どのぐらいのレベルなのかを確認に行ったんです。
公平 人一倍の努力をされたのでしょうね。
小松 この道一筋といった「努力」はしたことかありません。要領だけです。外科医というのは、やることは単純ですが、空回認識、場所を作ったりするセンス、どの方法を選択するかを瞬時に決断する力とか、結構、多様な能力が必要なんですよ。
努力している自分に酔うような人はあほですよ。それに、成功体験を捨てられる人でなければ、上手い外科医にはなれない。
そもそも、大したことをやっているわけではないんです。上手くいっていると思っても、もっと楽で確実なことを考えなければ。自分にとって“限界”の手術をしつつ、自分の範囲外のことをちょっとだけ勉強すると、技術も知識も広がっていくのです。泌尿器科であっても、泌尿器科以外の臓器のことを学ばなければだめです。
公平 そうやって腕を磨いて、留学せずに論文を書いて学位が取得できて、今の私と同じ9年目に山梨医科大学の助教授…やっぱりすごい。
小松 研究は、国立がんセンター研究所の生化学部で、昨年まで同センター総長だった垣添忠生先生の指導を受けました。週末と夜だけ通っていたので、自称“ウィークエンド・アンド・ミッドナイト・サイエンティスト”です。大学と関係のないところで研究をやって論文を書いて、教授のところに持っていったのです。
助教授になれたのは、当時は新設医大がいっぱいできて、人がいなかったからですよ。今とは状況が全然違うでしょう。
公平 医師の教育といえば、先生は病院のリスクマネジメントの教育に力を入れていらっしゃいますよね。
小松 ええ。研修医が入ると、1時間半ぐらいかけて私が講義しています。
公平 どのような講義をされているんですか。
小松 研修医全員に義務として出席させて、まず、医療の安全や医療事故に対する考え方の歴史的な経緯と現状を説明します。そして、これから大切なことは、社会と医者の間のギャップを埋めること、責任を明確化すること、説明責任を果たすこと、それから透明化だと話します。
公平 研修医の先生の反応はどうですか。
小松 わざと強烈な印象を与えるようにやっていますから、居眠りをする人はいませんね。医師として、引き受けるべき責任は引き受けましょう。だけど、引き受けなくていい責任まで負わされないようにするためには、これぐらいのことはやりましょう、と。
つまり、リスクマネジメントは自分の身を守るためのもので、自分で守らなければ「逮捕されますよ」ということを話しています。
公平 泌尿器科部長として、手術の教育以外に、安全に関する意識の教育もされているのですか。
小松 意識の教育はしていませんが、実際に起きたミスについて、どのようにすべきだったか検討します。徹底してミスを隠さない、誰から指摘されても文句の出ないようにすべて明らかにすることは徹底しています。
定年後はヨーロッパ歩きが夢
公平 先生は今後も、ずっと臨床医として活躍されるおつもりですか。
小松 そうですね、あと2年で定年ですから。 60歳の定年まで一臨床医でありたいと思っています。
公平 定年後は何をしたい、というお考えはありますか。
小松 昔は、定年後にヒマラヤの山麓をてくてくと歩いて長い旅をしたいと思っていました。今は、ヨーロッパの街をめぐりたいと夢見ています。地理というのは、歴史の現在の断面にすぎません。だから歴史書を持って、立体的に楽しむ。ここに2ヵ月、あそこに2ヵ月、というようなアパート暮らしをしてみたいですね。ドナウ川やライン川を川上から川下までたどっていくとか、スペインの巡礼の道を歩くとか…。
公平 素敵ですね。では最後に『医療崩壊』を書かれた立場から、カデット世代の私たちにメッセージをお願いします。
小松 そうですね…。世の中って、ものすごく変わるから、前もってレールが敷かれているのを期待しても、レールなんかないんです。
だからこそ、できるだけ視野を広げておくことが大切だと思いますね。少々医学の勉強をするより、いろいろな本を読む方がけるかに役に立つような気がします。
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