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(投稿:by 僻地の産科医)
日経メディカル7月号!
今月号が届きましたo(^-^)o ..。*♡
「刑事訴追、そのとき医師は…」
佐藤一樹先生にはお会いして
お食事をご一緒させていただいたことがあります。
こわい先生なのかと思っていましたが、
優しくて頭の回転の速い、ハンサムな先生です ..。*♡
この写真よりずっとハンサムです(>▽<)!!!
刑事事件の経験を語る-①
事故責任を押し付けた
大学に最も怒りを感じる
綾瀬循環器病院心臓血管外科佐藤一樹氏
(Nikkei Medical 2008.7 p72-73)
さとうかずき氏
1991年山梨医大医学部卒、東京女子医大循環器小児外科人局。 99年同科助手、2002年千葉こども病院心臓血管外科医長、同年綾瀬循環器病院勤務。
事件の概要
2001年3月、肺動脈弁狭窄を合併した心房中隔欠損症の女児(当時12歳)が、東京女子医大日本心臓血圧研究所で手術を受けた。ところが、術中、大静脈から人工心肺に血液がうまく抜き取れない異常が発生し、脱血不良で患者に脳障害が生じた。
これに対して、執刀責任者で講師の瀬尾和宏氏は、家族に事故の経緯を語らずカルテも改ざん。手術から2日後、女児は意識不明のまま死亡した。
その後、遺族に告発文書が届き、事故が明るみに出た。これを機に同大は01年6月、死亡原因調査委員会を学内に設置。10月には内部報告書をまとめ、死亡原因は、人工心肺のポンプを高回転にした操作ミスに起因する脳障害と結論付けた。
警察は02年1月に、人工心肺を操作した佐藤一樹氏と、カルテを改ざんした瀬尾氏への事情聴取を開始。そして、6月には佐藤氏を業務上過失致死容疑で、瀬尾氏を証拠隠滅容疑で逮捕した。7月には地検が2人を起訴し、9月に東京地裁で初公判が開かれた。
04年3月には、証拠隠滅罪で瀬尾氏に懲役1年執行猶予3年の判決が下された。佐藤氏に関しては05年11月、脱血不良となった原因は操作ミスではなく、回路内のフィルターが水滴で詰まったためで、同氏はその危険性を予見できなかったとし、無罪判決が出された。裁判は現在、控訴審が係属中。一方で佐藤氏は、東京女子医大に内部報告書の公式撤回を求めている。
この事案は東京女子医大事件としてマスコミに騒がれ、世間に広く知られるものとなりました。私は02年6月に逮捕され、約3ヵ月間勾留されましたが、05年11月には無罪判決を受けました。術野からの出血が多いため、私がポンプの回転数を上げたことが脱血不良を招いたとされましたが、その疑いが晴れたのです。
本当の原因は、術野で上大静脈に挿入した脱血管の位置不良や、吸引ラインに付けられたフィルターが水滴で詰まったことなどでした。さらに、フィルターは薬事法上適応外のものだった上、毎回交換しなければならないのに使い回しされていた。これは大学の機器整備の問題です。
専門家がいない調査委員会
私が罪に問われることになった最大の要因は、東京女子医大の調査委員会がまとめた内部報告書です。この報告書を見て、私は思わず目を疑いました。
手術当日、人工心肺終了後にほかの医師や臨床工学技士と原因を話し合ったのですが、その結果、血液の逆流の原因はフィルターの閉塞ということで全員の認識が一致しました。ところが、内部報告書では全く異なることが原因となっていた…。
報告書を作った委員会は、当時の副院長の東間紘氏を委員長として学内の教授3人からなり、心臓外科医は含まれなかった。これでは原因究明は不可能です。事故を医師個人の責任にし、大学の管理責任を逃れようとする意図を感じざるを得ませんでした。私はすぐに大学に抗議しましたが、聞く耳を持ちませんでした。
結局、この誤った報告書が私を追いつめることに使われました。警察や検察は、報告書をよりどころに私に罪を認めさせようとしたのです。裁判でも、報告書が検察の主張の基礎となりました。私の所属大学、しかも同じ医師がまとめたのですから、捜査機関には重要な資料となります。
私がこれまで最も怒りを感じてきたのは、東京女子医大に対してです。事実と異なる報告書を作成した上、私が一審で無罪となった今でも、その内容を訂正していません。
それだけではない。私は、参考人だったとき大学幹部から「国内で心臓外科医を続けたいなら、報告書を批判しないように」と脅されました。同情して報告書に意見した同僚の医師も、「天に唾するようなものだ」と大学幹部にとがめられるなど、様々な妨害があったのです。大学は所属する医師を守ってくれるどころか、逆に責任を押し付けてきたのです。
誰かが悪者にならなければ…
一方で大学は、私に報告書案への意見を述べる機会も与えないまま、報告書を遺族に提出して謝罪してしまいました。その後、大学幹部は私と瀬尾氏を、お墓参りに同行させました。大学は、遺族の処罰感情を和らげようと考えたのでしょう。民事でも、遺族の要求通りの賠償金額で示談したと問いています。しかし、これだけでは遺族は納得せず、刑事告訴を取り下げませんでした。今考えれば、手術直後の対応が一番の問題だったのでしょう。執刀医の瀬尾氏が正直に事故を伝え、カルテを改ざんしなければ、その後の経過は違ったかもしれません。
一方、警察は取り調べで、内部報告書をベースに私に罪を認めさせようとしました。しかし、取り調べが進み、11回目の聴取になったとき印象的な出来事が起こりました。取り調べをしていた刑事が突然、号泣し始めたのです。そして、こう叫びました。
「これだけ社会問題になると、誰かが悪者にならなきやいけない。賠償金も遺族の言い値で払われているのに、なぜこんな難しい事件を俺たちが担当しなきやいけないんだ」。
彼らは人員が豊富で、色々な資料を調べていたようです。その過程で、私には過失がないという考えを持ち始めていたのではないでしょうか。それでも私の収り調べは続き、逮捕・起訴されることになりました。
勾留中には弁護士が毎日接見に訪れ、精神面の支援をしてくれたほか、現在の病院の理事長が熱心で、そこの勤務医が勧誘に来てくれました。裁判では、同期の心臓外科医2人が法廷で証言をしてくれ、周りに支えられた部分がとても多かった。
さらに裁判中には、日本心臓血管外科学会と日本胸部外科学会、日本人工臓器学会の3学会が合同で委員会を設置し、「(事故の原因は)フィルターが目詰まりを起こし閉塞したためであることが、模擬回路による実験で示された」と、東京女子医大の報告書を否定する調査書をまとめました。1つの事故を契機に、複数の学会が合同で報告書を出しだのは初めてではないでしょうか。
実は私も8歳のとき、患者さんと同じ心房中隔欠損症の手術を受けた経験があります。それが、小児の先天性の心臓治療に携わりたいと思ったきっかけでもありました。その意味で、患者さんが亡くなったのは残念でなりません。
今回の事件で私は、同じ分野の治療に携わることはほぼ不可能になりました。刑事裁判は一個人を裁くだけで、組織を罪に問えません。捜査機関が誤った調査報告書に依拠すると、組織から罪を転嫁される医師が今後も絶えないでしょう。こうした問題は、早く改善すべきです。(談)
先日は名古屋で大変お世話になり深謝申しあげます。また、ブログの掲載ありがとうございました。臨床で忙しかったり、専門医の更新手続きをしたり、私が使用しているメインのメールサーバーが使用できなくなってしまった上に、本日早朝から、解離性大動脈瘤患者さんの緊急手術があり、先ほど帰宅してこのページや私のブログへのコメント、TBにやっと気づきました。
「頭の回転の速い、ハンサムな」なんて久しく言われていなかったので、恥ずかしいです。
この日経メディカルの取材は数時間に渉りました。、内容的にはインタビューと私のブログのダイジェスト的なものですが、よくまとまってはいます。
投稿情報: 紫色の顔の友達を助けたい | 2008年7 月13日 (日) 23:49