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(投稿:by 僻地の産科医)
今週の読売ウイークリーからo(^-^)o
08年7月13日号
モンスターペアレンツの記事を取上げようと
思ったのですが、ついつい警察の取調べのほうに。
もはや産科医の職業病w?
ではどうぞ(>▽<)!!!
ひどすぎる!
怠慢捜査が生む「冤罪」の恐怖―①
(読売ウイークリー 2oo8.7.13 p26-28)
愛媛県宇和島市北部の漁村、吉田町。古びたアパートを訪ねたのは5月11日だった。2階の殺風景な部屋に、窃盗、詐欺罪などの濡れ衣を着せられ、警察に人生を狂わされたAさん(59)が一人で住んでいた。
志布志市の選挙違反事件を深く取材し、冤罪を生む背景に、異常な取り調べや証拠捏造があることを知った。そこで冤罪被害者支援団体の日本国民救援会愛媛県本部に連絡を取り、ここまでやってきた。Aさんは、
「真犯人が名乗り出なかったらどうなっていたのか」
と深いため息をついて話し始めた。以下は、Aさんの証言と、刑事・民事両裁判の資料などから構成した、信じがたい「冤罪物語」――。
明らかに違う筆跡
悪夢の始まりは1999年2月1日の朝。シイタケ栽培の会社に勤めていたAさんは、朝食用のコンビニ弁当を自宅近くに止めた車で食べていた。
コンコンと警官が窓をたたいている。思い当たることはあった。
「付き合っている女性が通帳や印鑑を盗まれて警察に届けていたから。自分も何か開かれるんだろうと」
ところが、あっという間の急展開となる。すぐにアパートの家宅捜査をされて宇和島署に連れて行かれた。署内の狭い部屋で3人の刑事に取り囲まれて、
「お前がやったんだろう。あそこに出入りできたのは鍵を持ってるお前だけだ。白状しろ」。
離婚していたAさんは当時、同年代の被害女性と半ば同棲していたから、確かに鍵は持っていた。しかし、それだけで朝から責め立てられるとは。結局、数時間後に「やりました」と言ってしまい、夕方に逮捕された。
「ドスのきいた声が怖かった。私は体が小さくて中学のころからいじめに遭っていた。情けないけど、強そうな相手には言いなりになってしまうんです」
しかし、あきらめていたわけではない。
「警察の上層部がしっかり調べれば、すぐ無実とわかると思っていたのです。優秀な日本の警察を信じていましたから」
それが間違いだと気付いたのは約10日後。
「このままでは本当に犯人にされてしまう」と不安を感じたAさんは、
「実はやっていません。今まで言ったことは全部作り話です」
と打ち明けた。だが、刑事は「今さらなんだ」とどなり、まったく取り合ってくれなかった。
実はAさんが供述調書にサインした筆跡と、盗まれた通帳で預金が引き出された際の筆跡を比べれば、両者が別人であることは素人目にも一目瞭然だった。鑑定結果も「同一人物か判別できない」だったのだが……。
さらに供述調書では、盗んだ通帳で1月8日に農協から50万円を引き出し、会社などに借りていた20万円を返済したことになっていた。だが、社員は捜査官に「返済は1月7日」と証言し、それを証明する書類も渡していたのだ。こんな重大な日付がズレていたことについて、民事裁判の控訴理由書は、
「これは明らかな証拠の捏造である」
と厳しく糾弾している。どうやら警察は、8日にしておいたほうが、「使途」の説明がつけやすいと考えていたようだ。しかも、農協の防犯カメラの映像はAさんとは全く違う背格好だったが、それも隠していた。
供述調書の作り方は、「盗んだ印鑑は燃やしたんやろ」「はい」などと、取調官が創作してうなずかせるだけだったという。
1年後に真犯人が自供
事態が急変したのは、拘置所暮らしが1年近く続いた2000年1月のことだ。高知県で強盗致傷容疑で逮捕されていた男が、「宇和島の窃盗は自分がやった」と自供したのだ。
間もなく捜査で裏付けられたのだが、Aさんの釈放は2月21日になってから。勾留日数は実に386日に達した。釈放の3日前には、実父が亡くなっていた。
「釈放されて迎えに来てもらおうと拘置所近くの公衆電話から兄に電話したら、親父が死んで親戚集まっとるから行かれん、と言われました」
警察が謝罪したのはさらに1か月後の3月23日。穂積裕・愛媛県警刑事部長は記者会見で、
「申し訳ない。自白偏重と言われればそういうことになる」
と述べた。無罪判決が言い渡され、濡れ衣が晴れたのは、5月26日のことだ。
ようやく勝ち取った無実だが、Aさんは長い勾留中に職を失った。再就職した会社も倒産し、生活も厳しくなった。女性とも別れた。
その後、愛媛県(県警)と国(検察庁)を相手に1000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。1審の松山地裁は「自白の強要はなかった」などと棄却、高松高裁の控訴審で今年4月に和解した。手にしたのは600万円。
「決して満足したわけではない。受けた被害や苦痛はそんなものではないです」
決め付けに沿った調書
ここで、もう一度愛媛県警の捜査に戻る。
真犯人は鍵のかかっていない2階窓から忍び込んでいたが、愛媛県警は「荒らされていない」というだけで内部犯行と決め付けた。外には脚立があって、これを使えば簡単に侵入できたのである。決め付けで強引に自供をとってしまい、その決め付けに沿い、一見筋の通った供述調書を作ることだけが県警の「捜査」だったのではないか。
供述調書については、Aさんが「おかしいな」と思うことがたびたびあった。
「調書には、『見つからないように車のマットの下にさらに切れ込みを入れて細工して10万円を隠しました』と書かれていた。私は車の床のマットの下に隠した、とは嘘で話したが、切れ込みなんてそんなこと言ってないんですよ」
「切れ込みを入れる」とは実に具体的だが、こうした犯人しか知りえない「秘密の暴露」自体を摸造されては、裁判で覆すことはなお難しくなる。
Aさんを弁護した西嶋吉光弁護士は、こう言う。
「事件のころ、Aさんはボーナス53万円を手にし、金に困っていなかった。食事の世話もしてくれていた親しい女性から金を奪う動機もなかったのです」
焦りの捜査は被害者が要人だったから?――大阪府警
宇和島から戻った1週間後の5月18日の日曜日、大阪市此花区のホール「クレオ」で日本国民救援会主催の「冤罪を考える集会」を覗いた。300席は埋まり、立ち見が出る盛況だった。
壇上には、志布志事件での「踏み字取り調べ」の被害者川畑幸夫さん(62)ほか、冤罪被害を訴えるさまざまな姿があった。
まず壇上のある女性が後ろのひときわ体格のよい曹(通称・藤本)敦史さん(34)を指さして話し出した。
「あんなに怖そうに見える弟が悔し涙を流したんです。私の夫も彼は絶対にやっていない、と信じて立ち上がってくれました」
と、涙をぬぐった。問題となっているのは、2004年2月16日の午後8時半過ぎに発生した通称「オヤジ狩り事件」である。
オヤジといってもそこらの「おっちやん」ではない。大阪市住吉区の夜道で複数の暴漢に襲われて腰の骨を折る大けがをし、現金6万3000円を奪われたのは、当時の大阪地裁所長である鳥越健治さん(66)だった。
暗闇での出来事と恐怖感で鳥越さんは相手をよく覚えておらず、捜査は難航した。
だが被害者は要人だ。威信にかけても犯人を検挙しなくてはならない大阪府警住吉署の捜査本部は焦ったのだろう。地元で不良グループとされた若者を別件の容疑で芋づる式に連行する。
事件を担当した戸谷茂樹弁護士や裁判記録によると、同じ日の午後、現場近くで4件の恐喝未遂が起きていた。15歳から20歳くらいの若者の仕業とされたが、襲撃事件との関連は不明だった。
捜査本部は間もなく、恐喝未遂事件の被害者の描いた似顔絵に似た少年が所属しているグループの存在を知る。その一人に、地裁所長襲撃事件が写っている防犯ビデオを見せたところ、「B(少年)に似ている」と言われた。さらに別の少年から「Bが地裁所長襲撃事件にかかわっている」との供述を得た。
15歳どころかB少年は13歳だったが、襲撃事件へのかかわりを認めたため、児童相談所に保護された。こうした少年たちの供述から浮上した大人が、曹さんと岡本太志さん(30)だった。物証は前出の防犯カメラの不鮮明な映像だけだったが、04年6月14日、曹さんと岡本さんを強盗致傷容疑で逮捕、少年3人を補導した。
しかし、曹さんと岡本さんは、一貫して犯行を否認、裁判は検察との全面対決になった。
06年3月20日、大阪地裁は、未成年3人の自白の任意性(取り調べの場で自由な意思で供述できたかどうか)、自白内容の信用性をいずれも否定し、曹さんらに無罪(求刑は懲役8年)を言い渡した。
例のビデオ映像についても「大柄な曹さんではない」とし、米山正明裁判長は、「少年グループの一人が取調官に迎合的な虚偽供述を重ね、公訴事実に沿う構図が作り上げられた」
と述べた。さらに、
「自白獲得に急ぎ、供述に依存する一方、防犯ビデオを素直に受け止めることなく、客観的証拠による裏付けを取るなどの作業の必要性を軽視したことが事実を見誤る捜査につながった」
と、大阪府警の捜査手法を厳しく指摘した。大阪地検は控訴したが、今年4月17日、大阪高裁が控訴を棄却。検察は上告を断念し、曹さんと岡本さんの無罪が確定した。
「被疑者ノート」に綿々と
宇和島の事件同様、この事件でも、強引で誘導的な取り調べや怠慢捜査が浮き彫りになった。
曹さんは言う。
「機動隊員のようなごっつい男複数に、床に押さえつけられて頭に尻を乗せられたりしました。悔しくて涙が出た。でも、負けてたまるかと思った」
大阪弁護士会は全国に先駆けて「被疑者ノート」を差し入れ、取り調べ状況などを綴らせている。戸谷弁護士からノートを受け取った岡本さんが、
「留置所や拘置所ではすることもないし、俺を慕ってくれとったあいつら(未成年の関係者)がそんな事件を起こすはずない。必死に書きました」
と振り返る大量の文面。例えば、取調官の発言をこんなふうに記録している。
「どんどんお前にとって不利な状況になっている」
「10人が10人、お前やと言っている」
「紙を破いた事でマスマス長くなる」(筆者注:岡本さんはこの少し前、怒って調書を破り捨てていた)
「アホな弁護士雇ってかわいそうに。そのうち弁護士ともさよならや」
クレオの集会で壇上に呼ばれた戸谷弁護士は、
「虚偽でも一度認めてしまうと無罪証明は困難です。岡本さんも曹さんも否認を通して、一通も自白調書を作らせなかったのが大きかった」
と発言した。この事件の真犯人は今なお不明だ。現在、当時13歳だったB少年が自白を強要された苦痛などで国家賠償訴訟を起こしている。
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