(関連目次)→医療危機と新聞報道 目次
(投稿:by 僻地の産科医)
パブリックコメントの個人【146】p282に
「日本臨床」の昨年12月号がいいですよ!
と書いてあったので探してみたところ、
日本臨床ではなく
「綜合臨牀 2007年12月号」でしたo(^-^)o ..。*♡
目次見て!著者見て!! (☆_☆)きらん
ということで購入しました。
まずはこれからどうぞ ..。*♡
医療事故に対する新聞報道の偏りの検証
鈴木 龍太 与芝 真影*
柴山 雅子 小田洋幸雄
昭和大学藤が丘病院医療安全管理室 *病院長
(綜合臨床 2007.12/vol.56/No.12 p3237-3240)
近年医療に限らず,食品,交通,建築などすべての分野で安全が最優先されるものだという意識が浸透してきた.このような状況でいったん医療過誤が起こるとマスコミによる攻撃は凄まじく,病院は信用を失い,患者は激減し病院の経営基盤をゆるがすことになる.事故報道はことあるごとに繰り返され,人々の記憶を喚起するが,その後の改善に対しての報道はほとんどない.信用を失うのは一瞬であるが,失った信用を取り戻すことは並大抵ではない.医療過誤は患者・家族に対して悲劇であり,その責任を負う病院は信用を失っても致し方がない.しかし病院にも信用を取り戻す再生の道を与えて欲しいと考える.繰り返し報道される悪いイメージは病院の再生の道を閉ざしてしまうのではないだろうか.
新聞を含むメディアの使命とは何であろうか.2000年に発表された新聞倫理要綱では「新聞の使命は国民の知る権利」を守るため「正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ,公共的,文化的使命を果たすことである」とされている.しかし実際の記事を医療者が見れば,新聞は過誤やミスなどの悪い話ばかりを報道し安全を高めようという病院の努力には関心がないという印象を受ける.
これを実証するために2002年に昭和大学藤が丘病院で起こった医療事故に関して新聞報道がどのように行われたかを検証し医療事故に対する新聞報道の偏りを検証し考察する.
方 法
事故とその後の経過を時系列に検証し,公表された主な事象を羅列する.朝日,読売,日本経済,神奈川新聞4誌に掲載された当該事象の記事を渉猟する.当該記事の段数,行数,写真の有無、見出しに病院名が含まれているかをチェックした.これを事象ごとに集計した.
事故の概要
以下は事故の概要であるが,今回検討した事象に丸囲み数字をふった.2002年10月1日,昭和大学藤が丘病院で20代の患者が副腎腫瘍に対し腹腔鏡手術を受けた.術中出血があったが,腹腔鏡手術を続け,副腎腫瘍を摘出した.手術翌朝腹腔内出血でショックとなり,10月2日早朝開腹術を行い止血する.以後意識障害,術後膵炎の状態が続き1O月28日死亡した.
1年後の2003年10月9日,①家族の告発を受け病院は第1回記者会見を行い,「手術ビデオを検証した結果,死亡の原因は術中に起こったトラブルではなく,術後合併症(重症膵炎)によるものである」と発表した.
しかし2004年1月に②Endourology.ESWL学会が病院・警察両者から別々に依頼されて手術ビデオを鑑定し,「手術で膵臓が切除されている」ことが判明した.病院に保管されていた手術標本のうち,脂肪塊と診断され放置されていた検体を標本にするとそこに膵臓が確認された.病院は2004年2月20日に②第2回記者会見を行い医療過誤を認め謝罪した.
2004年7月7日,③医療過誤を見抜けなかったとして当時の病院長が辞職し,学内処分が行われた.
2005年5月,④病院は泌尿器腹腔鏡手術の専門化、遺族が推薦した弁護士,医療ジャーナリスト等の委員が参加した外部調査委員会を設置した.両親と病院長もオブザーバーとして参加し,意見を述べることができる立場を与えられた.
2005年6月23日⑤執刀医と教授,当直医の3人が書類送検された.外部調査委員会の結論は2005年9月7日に発表され,「組織的な隠蔽はなかったが,すべてに未熟な医療であった」と指摘された.
⑥病院は2005年10月28日の命日を病院の医療安全の日と定め、患者の母親の講演会を開いた.
2006年4月4日,⑦執刀医1名のみが在宅起訴された.
⑨遺族に対する初公判は2006年5月26日に開かれた.
刑事事件とは別に2006年6月,⑧に遺族と病院は和解し,この事実は2006年6月30日の執刀医に対する第2回公判で公表された.
2006年12月,⑩判決があり,執刀医に対し禁固2年,執行猶予5年の有罪判決が決定した.
結 果
当該事象を要約すると,
①遺族の告発
②医療過誤発覚
③院長辞任
④外部調査委員会
⑤3人送検
⑥母親の講演
⑦在宅起訴
⑧遺族と和解
⑨公判開始
⑩判決,の10事象となる.それぞれの事象に対する新聞記事数,段数,行数,写真の使用,見出しの病院名の有無を表1に示し,新聞記事数,段数,行数を図1に示した.
記半数が最も多いのは,②の医療過誤が発覚し病院が謝罪のための第2回記者会見を開いたときであり8編ある.病院で開催した母親の講演の記事は1編で,病院と遺族の和解に関して見出しにした記事は0編である.見出しに病院名が出る記事の割合が高い事象は②医療過誤発覚⑤書類送検⑩有罪判決であり,外部調査委員会開催の記事は4編あるにもかかわらず,見出しに病院名は出ていない.
考 察
1.新聞報道の偏り
この結果は明瞭で,新聞は過誤やミス,書類送検と言った悪いイメージの報道には熱心で,しかもそのような場合に病院名や個人名を特定する記事を掲載している.しかし病院がその後に取り組んだ事故への対応策や安全な医療を実践するための改善策を報道する熱意はなく,仮に記事が掲載されても病院名や個人名を特定することは少ない.病院は一方的に断罪されるだけで,信頼回復への努力は無視されることになり「信用を失うのは一瞬であり,信用を取り戻すのは困難である」ことを実証している.新聞の読者は,起こった事件のことばかり知らされ,その原因や再発予防の取り組みについては知らされない.これでは多くの病院で同様の医療過誤を繰り返すことになる.現在の新聞は倫理に反する行為を予防・抑止することや,問題を解決する方法についての情報を提供する手段ではないことが分かる.
医療過誤の責任を負う病院は,いったんは信用を失っても致し方がない.しかし病院にも信用を取り戻す再生の道を与えて欲しいと考える.繰り返し報道される悪いイメージは「病院再生」の道を困難にしてしまうのではないだろうか.
2.新聞の使命とは何か
いったい新聞の使命は何だろうか.2000年発行の新聞倫理綱領では「国民の知る権利は民主主義をささえる普遍の原理である」とし,「おびただしい量の情報が飛びかう社会では,何か真実か,どれを選ぶべきか,的確で迅速な判断が強く求められている.新聞の責務は,正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ,公共的,文化的使命を果たすことである」と記載されている.
では国民は事件が起こったことだけを知ればいいのだろうか.知る権利の中には「事件の原因や再発予防策」を知ることも含まれ,それを知ることが事件の再発防止に役立つことにもなる.新聞は医療事故を報道するが,事故に対する原因と改善策を報道することも使命であると考える.これにより医療者は「医療の質・安全の確保」を保障する医療システムの構築を進めることができる.国民はまたそのような対策が行われている病院を選ぶことができる.
3.新聞報道に期待するもの
本来医療者とジャーナリストは「医療の質・安全の確保を保障する医療システム構築に向けての,創造的パートナーシップ」としてあるものではなかろうか.しかし現実には医療者側は「ジャーナリストは,スキャンダルばかり探りたがり,あらかじめ善悪を決め付けたシナリオで記事を古く傾向がある」と考え,一方ジャーナリスト側は「医師は守秘義務を盾に情報をできる限り隠蔽するもの」と考えているのが現状である。医療者から見れば「新聞は事故にからんだ悪い話ばかりで,安全を高めようという病院の努力には関心がない」ということになる.
医療過誤は患者・家族に対して悲劇であり,起こしてはならないものである.しかし医療過誤を完全になくすことはできず,その頻度と被害を最小限にすることが喫緊の課題である.そのために最も有効なことは失敗から学ぶことである.新聞は失敗例を示すだけでなく,その失敗から何を学び,どうすれば失敗しないかを伝えて欲しい.また「病院再生」の道を閉ざさないで欲しい.医療者とマスコミは「医療の質・安全の確保」を実現するために良きパートナーでありたい.
結 論
1.当院で起こった医療事故に対する新聞報道の量・見出しを検討した.
2.新聞は過誤や書類送検と言った悪いイメージの報道には熱心で,病院名を特定する記事を掲載している.だが,病院が再生のために取り組んだ事故への対応策や改善策,安全な医療の実現のための努力を報道する熱意はなく,仮に記事が掲載されても病院名を特定することは少ない.
3.安全な医療の実現は失敗から学ぶことが必要である.そのためにも新聞報道は失敗から何を学び,どうすれば失敗しないかを伝えて欲しい.また「病院再生」の道を閉ざさないで欲しい.
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