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(投稿:by 僻地の産科医)
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小松秀樹 「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案 第三次試案」に対する意見(前半) 2008年4月10日発行 虎の門病院泌尿器科 小松秀樹 http://mric.tanaka.md/2008/04/10/_vol_42_1.html ●はじめに 07年10月17日発表された厚労省の「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案 第二次試案」と、その後発表された11月30日付けの自民党案「診療行為に係る死因究明等について」は、後者で言葉があいまいになったものの、全く同じ枠組みであり、具体的な内容に変更はなかった。 現場の医師からは、第二次試案-自民党案に強い反対意見が表明された。第二次試案発表後、5ヵ月半の時間経過を経て、08年4月3日、第三次試案が発表された。 全体として、第二次試案より説明が詳しくなった。最も評価できる変更点は、病院からの届出だけではなく、遺族からの調査依頼が受け付けられるようになったことである。日本の医療は崩壊しかねない状況にあり、その最大の原因の一つが軋轢である。医療事故で患者が死亡したとき、遺族の理解と納得を高めて、軋轢を小さくすることが、何より求められる。このためには遺族の真相究明の希望を尊重して、調査と説明を行う必要がある。 第三次試案全体として、第二次試案で現場医師から批判された文言が注意深く削除されるか、言い換えられていた。しかし、組織、届出義務化、届出範囲、再発防止、捜査機関への通知、個人の行政処分の拡大などの具体的な問題点についてはほぼ踏襲されていた。 他に目立つこととして、医師法21条を改正すると明記されていた。医師法21条問題の発端は、2000年、厚生省の国立病院部政策医療課が、リスクマネージメントマニュアル作成指針に「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、医師法21条の解釈を変更したことにある。医師法21条は、変死体の医学的検索制度の整備と、厚労省の解釈ミスによる混乱解消のために、当然、改正すべきものであり、医療事故調問題との関連で議論すべきものではない。 私は、04年ごろより、医療事故調問題について考え続けてきた。さまざまな立場の人たちと議論し、その中の何人かからは大きな影響を受けた。一つの考え方を一貫して持ち続けてきたわけではなく、軌道修正しながら現在に至っている。 以下、医療事故調問題を考えるための枠組みと、第二次試案-自民党案-第三次試案を通しての懸念、私の提案について述べていく。 ●社会システム間の齟齬 日本の医療は崩壊の危機に瀕している。その主たる原因は、医療についての考え方の齟齬にある。死生観、人が共生するための思想、規範としての法律の限界、経済活動としての医療の位置づけ、民主主義の限界の問題が絡み合って齟齬を生んでいる。さらに、齟齬の基盤に、社会システム間の思考様式の違いがある。医療事故調問題に入る前に、この思考様式の違いについて触れる。 歴史的に社会は一貫して複雑になり続けている。日本で家族生活と生産活動が分離して久しい。階層社会でみられた出生身分による役割の固定は消滅した。社会での役割が多様になり、社会分化が飛躍的に進んだ。個人はさまざまな複雑で巨大な社会システムと関わって生きている。 医療を含めて、経済、学術、テクノロジーなどの専門分野は、社会システムとして、それぞれ世界的に発展して部分世界を形成し、その内部で独自の正しさを体系として提示し、それを日々更新している。 社会システムの作動は閉鎖的であり、その内部と外部を峻別する。司法は医療を扱う場合にも、医療の言語をそのままでは使用しない。内部化のための手続き、すなわち、医療の事象を司法の言語論理体系に組み直す作業を必要とする。社会システムはコミュニケーションで作動する。ニクラス・ルーマンはコミュニケーションを支える予期に注目し、社会システムを、規範的予期類型(法、政治、行政、メディアなど)と認知的予期類型(経済、学術、テクノロジー、医療など)に大別した1。規範的予期類型は、道徳を掲げて徳目を定め、内的確信・制裁手段・合意のよって支えられる。違背に対し、あらかじめ持っている規範にあわせて相手を変えようとする。違背にあって自ら学習しない。これに対し、認知的予期類型では知識・技術が増大し続ける。ものごとがうまく運ばないときに、知識を増やし、自らを変えようとする。 短期的には合意の得やすい規範的予期が優位であるが、長期的には、規範的予期が後退するのに対して、適応的で学習の用意がある認知的予期が優位を占める。このことは、政治における「現実の承認」が道徳的な根拠にまでなっていることからも読み取れる。 規範的予期類型と認知的予期類型の間に大きな齟齬がある。対立の共通構造は、規範的予期が現実を十分に認知しないまま、規範を行使することにある。この対立の歴史は古く、地動説に対する宗教裁判がこれを象徴する。 医療事故調は必然的に規範的予期と認知的予期のせめぎあいの場となる。医療問題を解決する魔法の制度と安易に期待することはできない。かえって医療制度を破壊する可能性もある。医療事故調について議論する上で最も重要なことは、現実である。医療に対し、患者・家族は大きな期待を持ち、期待の実現を規範化する。 ルーマンは「規範的なことを普遍的に要求する可能性が大きく、その可能性が徹底的に利用されるときは、現実と乖離した社会構造がもたらされる」1と警告する。例えば、耐震偽装問題に対する過熱報道をうけて、建築基準法が改正された。07年6月20日に施行されたが、あまりに厳格すぎたため、建築確認申請が滞ったままの異常な状態が続き、住宅着工が激減した。多くの会社が倒産に追い込まれた。日本のGDPが1%近く押し下げられたと推定されている。 医療には限界がある。不確実でリスクを伴う。医療事故調を支える規範については、正当性の根拠を、過去の倫理規範との論理的整合性や、感情との整合性ではなく、それが結果として社会にもたらす影響に求めるべきである。このためには、当該規範に強制力を持たせる前に、どのようなことが起こりうるのかを徹底的にシミュレートする必要がある。また、規範を、いつでも見直すし、いつまでの見直し続けるという態度が求められる。 ●第二次試案以来の懸念 懸念1 医師と患者の軋轢を高める。 第二次試案に対して現場の医師から最も反発が大きかったのが、個人の処罰に報告書が使われることである。これは第三次試案でも踏襲されている。調査報告書が責任追及に活用されると、院内事故調査委員会での議論が大きく変化する。2003年ごろを境に、大病院には院内事故調査委員会が置かれるようになった。多くの病院で、医療事故をシステムの問題として捉え、ヒューマンエラーを処罰の対象としていない。医療事故について病院は患者側に極めて正直に話すようになった。しかし、調査委員会での証言が個人の処罰に直結するとなれば、証言は慎重なものにならざるをえない。日本国憲法38条には「何人も自己に不利益な供述を強要されない」と書かれている。第三次試案では、「医療従事者等の関係者が地方委員会からの質問に答えることは強制されない」との文言があり、処罰を前提の調査であることを厚労省が認識していることがうかがえる。しかし、事故について最も多くを知るのは当事者である。処罰を前提とした調査では、必然的に事実が表に出にくくなる。現在、一般的に行われるようになってきた患者への率直な説明に支障をきたす。 当事者が自分を守るための努力をすることを禁じて、処罰を前提にした調査を行えば、行き過ぎが生じる。逆に、当事者が自分を守るために努力をすると、せめぎあいが生じる。このため、処罰を前提とした調査は、科学的調査と異なり、遺族と医療従事者の対立を高める。裁判手続と同様、調査経過そのものが、遺族の応報感情を高める。対立は遺族と医療従事者の間にとどまらない。病院の管理者と現場の医療従事者の間にも対立が生じる。さらに、厚労省と病院の間の溝を深め、行政そのものに支障を来たしかねない。何より問題なのは、処罰を前提とした調査が日常的に実施されることになれば、紛争になりやすい救急重症患者の診療を避けるなど、適切な医療の提供を損ねる可能性が高いことである。 事故と医療従事者の処分を連動させることは対立を不必要に大きくし、真相の解明を阻害する。処分は全く別のところで、被害の有無と関係なく、逸脱した医療行為を行ったことを理由に検討されるべきである。 懸念2 医療事故調を設立しても刑事司法は独自に動く 日本医師会は、第二次試案による医療事故調査委員会を「刑事訴追からの不安を取り除くための取り組み」6と位置づけて、「診療関連死の場合に、原則として刑事司法の介入を避ける、新たな仕組みを法制化することがこの試案の最も基本的な目的である」と説明する。しかし、医療を刑事免責することは、検察官の独立性の原則、刑法211条、刑事訴訟法からみて、現行法上ありえない。 医療事故調ができても、警察独自の捜査がなくなるわけではない。08年4月4日、衆議院厚生労働委員会で、岡本みつのり議員からの第三次試案についての質問に対し、警察庁米田刑事局長は、遺族からの訴えがあれば、調査委員会を通さずともやはり警察は捜査せざるを得ないと答えた。 元検察官の河上和雄氏も、第三次試案についてのm3のインタビューに対し、警察はあくまで医療事故を独自に調査するとの見解を示し、さらに、第三次試案は、厚労省の権限強化が狙いである旨の発言をした7。 井上清成弁護士は業務上過失致死傷罪の暴走について、最高裁判所1985年10月21日決定の、谷口正孝最高裁判事の補足意見を紹介し、以下のように解説している8。 「過失は、『重大な過失(重過失)』と『軽度の過失(軽過)』に分けることができる。『重過失』に対しては、『軽過失』に適用される過失致死傷罪(現行刑法209条、210条)では刑が軽いので、重過失致死傷罪が設けられる以前は、その代わりとして刑が重い業務上過失致死傷罪の『業務上』の解釈を拡張して適用していた。ところが、重過失致死傷罪(現行刑法211条1項後段)が設けられて、業務上過失致死傷罪(現行刑法211条1項前段)を拡張して適用するのは終わるはずだったけれども、いったん拡張してしまった業務上過失致死傷罪はそのまま“暴走”を続けて現在に至ってしまったのである。」 業務上過失致死傷罪では、「軽度な過失でも処罰するという大前提がある」。刑法の適用を「重大な過失」に限定しようとする機運もあるが、なにをもって「重大な過失」とするのかが決まっておらず、「薬剤取り違えや患部取り違えは重過失と捉える」。悪質な事例を重過失とする意見もあるが、定義が明確でないため「営利目的、実験的、名声追求の利己目的、説明不足でも、どのようなものでも悪質というレッテルを貼られかねない」。さらに、「死因究明制度の議論は組織法、そして、せいぜい手続法の議論にすぎず」、「実体法的な観点から見ると、死因究明制度ができたとしても、現状と何ら変わるところがない」。流れが「『警察→鑑定』から『鑑定→警察』と逆になっただけであり、『患者遺族の刑事告訴→警察→鑑定』という既存の流れは温存されている」。 そもそも、医療事故調査制度ができても、刑法211条が改正されない限り、歯止めは存在しない。業務上過失致死傷が問題になっているのは医療だけではない。特別扱いを要求すべきではない。他の分野を巻き込んだ大きな議論が必要である。 刑事司法の暴走を止めるための有効な努力は、医療事故調査制度ではなく、刑法211条そのもののあり方を正面から批判する言論である。実際、福島県立大野病院事件以後の現場の医師の広汎な言論活動により、医療への刑事司法の無茶な介入は以前ほど、目立たなくなっている。 医療に刑事司法が介入する事件が目立ったのは、1999年の横浜市立大学の手術患者取り違え事件以後の数年間である。これをきっかけの一つとして、03年頃を境に、日本の病院は医療安全に真摯に取り組むようになった。 l もう一つのもっと大きなきっかけは、1999年の「人は誰でも間違える」(米国医療の質委員会、日本評論社)の出版による考え方の転換である。世界の先進国で、医療による有害事象が、退院数を母数にして10%前後発生することが広く知られるようになった。人間は間違いを犯しやすい性質をもっているということを前提に、医療事故の防止対策がとられるようになった。事故が発生した後の対応も変化してきた。考え方の転換は医療という部分世界で世界同時に発生したのであり、日本が特に遅れたということではない。 そもそも、第二次世界大戦以前、医療にできることは極めて限定的だった。例えば、日本で結核の薬が数十種類販売されていたが、いずれも、無効だった。高血圧の有効な治療薬は存在しなかった。癌は不治の病だった。治った病気の大半は自然に治ったのである。医療の有用性は幻想の上に乗っていた。この幻想に医療の無謬性が含まれていた。医療が進歩したため、この幻想が壊された。一方で、医療に実質が伴うようになり、幻想がなくても医療は立ち行くようになった。しかし、医療の進歩と社会の変化は新たなコンセプトが生んだ。「医療は万能であり、不都合なことが起きるとすれば、誰か悪い人間がいるに違いない」というコンセプトである。 2000~2003年以前には、このコンセプトにそれなりの真実があった。日本の医療は、大学医局と日本医師会の支配の下、批判を受容する態度が希薄だった。大きな問題を抱えていたにも関わらず、必要な改革がなされなかった。象徴的な事件がいくつも発生した。札幌医大の和田心臓移植事件では、大学病院の新奇医療志向の強さと、医療を正当なものにするための手続という考え方の欠如のため、心臓外科医の暴走が起きた。都立広尾病院事件では、医療機関とそれを運営する地方行政の隠蔽体質が明らかになった。昭和大学藤が丘病院事件では、医療の質管理のずさんさというより、管理そのものの欠如が明らかになった。2003年以後、上記コンセプトが正当性を示す場面は少なくなりつつあるが、現時点で無くなったといえるような状況ではない。依然として医療側が努力を必要としていること ある友人は「医師は原罪を負っている。昔は事故を隠していた。それを前提に考えないといけない」と語った。私もそのとおりだと思う。刑事免責を求めても理解は得られない。刑事司法の枠組みはそのままであり、短期間に変わる可能性はほとんどない。ならば、刑事司法を適切にする努力、例えば、医療における罪を明確化することが可能かどうか、時間をかけて検討するような努力があってもよい。医療を壊さないようにするためには、犯罪とされるものが、医療従事者にも納得できるようなものであり、自分が犯罪を実行することになるのかどうかが、実行前に当事者に分かるようなものでなければならない。 懸念3 報告書が民事訴訟を誘発する可能性がある 患者側弁護士が訴訟を行う上で最も苦労するのは、専門家の鑑定を得ることである。 医療事故調が設立されると、彼らは、当然、地方ブロック、中央の委員会の全てに、患者側弁護士を委員として押し込む努力をする。社会運動のプロとしてこれは難しいことではない。委員になれば、報告書を「鑑定書」として使用可能なものにするために全精力を傾けるだろう。いずれも、彼らの立場からすれば、当然の努力である。 医師がカンファレンスで過去の症例について議論するときは、将来の医療の向上のために、ああすればよかったのではないか、こう判断すべきだったと、あらゆる観点から反省点を出し尽す。これが医療の進歩を支えてきた。そもそも、医師のカンファレンスでは過失責任に対する身構えのようなものはない。反省点と過失の区別は難しい。反省点や過失について言及するように仕向けることは、法律の素人相手なら簡単だろう。医療現場の経験に乏しい大学人は、自らの能力を高く見せたいという子どもじみた動機だけで、簡単に彼らに同調するだろう。 第三次試案での届出義務の範囲は、特定機能病院からの医療事故防止センターへの報告範囲を定めた医療法施行規則第9条の23の2のイ、ロ、ハの内、イとロであり、第二次試案から変更されていない。ロは「誤つた医療又は管理を行つたことは明らかでないが、行つた医療又は管理に起因して、患者が死亡し、若しくは患者に心身の障害が残つた事例又は予期しなかつた、若しくは予期していたものを上回る処置その他の治療を要した事案(行つた医療又は管理に起因すると疑われるものを含み、当該事案の発生を予期しなかつたものに限る。)」と規定しており、極めて広い範囲の事故の届出が義務付けられている。結果として、弁護士が紛争に関わって勝てる、すなわち、金銭的メリットが得られる事例が、権威が付与された報告書付きで大量に提供されることになる。 理由はともあれ、患者側弁護士の最大の団体、医療問題弁護団は、第二次試案に賛成の立場で運動を展開している。 懸念4 医療システムの内部に司法が入り込み、医療を壊す 中央委員会の権威が付与されて、過失責任の有無が判断されると、裁判と同様、「医療水準」が大きな問題になる。「医療水準」が、少数の紛争に白黒をつけるために裁判所内で議論されることは仕方がない。しかし、年間2000ないし3000例にも及ぶと予想される多数例で、「医療水準」が議論され、判断されると、医療提供そのものにとんでもない影響がでる。現場では多様な医療が行われ、刻々変化している。第三次試案は医療現場の真っただ中に司法の論理を持ち込むことになる。罰則で脅して広く報告させ、「医療水準」に達しているかどうかを裁定することになる。裁定は前例として踏襲される。前例の集積が、医療をがんじがらめにして多様性と未来を奪う。これについては、ルーマンの学問についての説明が示唆に富む。「学問がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性によって安んじて研究に携われるまで、学問研究の真理性は宗教的に規範化されていた」1。医学論文における正しさは研究の対象と方法に依存している。仮説的であり、暫定的である。この故に議論や研究が続く。新たな知見が加わり、進歩がある。政府機関が宗教裁判のように権威で裁定してしまうと、判断が固定化され、学問の進歩を損ねる。規範に基づいた権威による裁定は、医学-医療になじまない。医療システムに有害なので医療の外で行なうべきである。 懸念5 厚労省が医療における正しさを決める 現在でも、厚労省は強大な権限を持っている。病院を代表する立場にある病院長が厚労省を批判することはほとんどない。これは不満がないということではない。厚労省の細かい規則を全て遵守できている病院はない。しかも、頻繁に立ち入り検査が行われ、実際に処分を受けないまでも、その都度、病院は担当官から叱責を受ける。 北海道や東北地方で大学の医師の名義貸しが問題になったことがあるが、そもそも、全国一律の基準どおりに医師を集められないという状況があった。一方で大学の非正規職員の医師は収入が少なく、生活に困っていた。現場での対応が、大学医師の地方の病院での非常勤の勤務であり、名義貸しであった。厚労省の無茶な要求に対する現場での医療を守ろうとするための対応まで厚労省が悪として取り締まる。厚労省の現場無視の圧力に多くの病院は脅えている。 医療機器の開発も似たような状況に置かれている。医療機器市場は急速に成長しつつあり、2000年の1600億ユーロから2003年には1840億ユーロに拡大した。ところが、日本企業のシェアは15%から11%に減少した。日本では、治験段階から完全な本生産設備の整備を求められるなど、実質的に、国内での開発が不可能になっている。医療機器開発に対する厚労省の立場を、ある課長補佐が「私どもは、国民の安全のための審査をするところでして産業振興・育成は経産省の仕事と思っています」と表現した。自分たちの責任を問われないようにするために、医療機器を開発させないと言っているように聞こえる。厚労省の官僚は、政治、メディアから攻撃を受け続けており、自分を守るためには仕方がない面もあるが、これでは国は立ち行かない。国外にシェアを持つ例外的な会社は、開発拠点を国外に移しているが、国内販路しかもたない企業が生き残るのは難しいと予想されている。ある調査で、企業の医療機器開発への参入意欲が低いこと、背景に「行政の許可承認を事業の阻害要因と強く感じている」ことが示されている9。 第三次試案は、厚労省の権限をさらに大きくする。正当なもの、不当なものを含めて、病院を非難できるような調査結果が、処分担当者(医道審議会事務局たる厚労省)に大量に供給される。医学の進歩のためには、あらゆる改善の可能性が議論されるが、見方によればこれも非難の材料となる。相対的に医療現場の発言力は弱くなる。このため、実質的に「正しい医療」を厚労省が決めることになる。「正しい医療」は、本来、「医学と医師の良心」に基づいて専門家が提示すべきものである。これを社会が批判することでさらに適切なものになっていく。厚労省は「医学と医師の良心」によって動いているわけではない。法令には従わなければならず、しかも原則として政治の支配を受ける。メディアの影響も当然受ける。しかも、ハンセン病政策のような過ちを繰り返してきた。ハンセン病患者の、90年に及ぶ隔離政策の歴史で、何人かの医師が異議を唱えた。患者をかくまった医師もいた。これらの医師は、科学と、良心に基づいて行動した。 第二次世界大戦中、ドイツや日本の医師の一部は国家犯罪に加担した。多くの国で、医師の行動を国家が一元的に支配することは、危険だとみなされている。公務員は国家的不祥事に抵抗することが難しい。このゆえに、医師の行動の制御を国家に委ねることに問題がある。行政は、医療における正しさというような価値まで扱うべきではない。明らかに行政の分を超えている。医学による厚労省のチェックが奪われ、国の方向を過つ可能性がある。 (後半に続く)
07年10月の第二次試案発表後、私はこの制度が実施されるとどのような結果をもたらすのかあれこれ想像をめぐらし、大きな懸念を持つに至った。医療を荒廃させると確信し、反対の意見を表明してきた2,3,4,5。第二次試案で生じた懸念は第三次試案でも払拭されていない。以下、この懸念について述べる。
は間違いない。
産婦人科医会MLにも流しましたー。ようやく反応が出てきたところなので、これがさらに皆さんにインパクトがあることを願っています。
投稿情報: 山口(産婦人科) | 2008年4 月12日 (土) 11:43