(関連目次)→過労死
(投稿:by 僻地の産科医)
メディカル朝日6月号より頂きました..。*♡
こんたさまの紹介です。http://www.asahi.com/medical/0706.html#anchor1
医師の過労死裁判 原告側弁護士として
川人博氏弁護士(東京弁護士会所属)
(medical ASAHI 2007 June p20-23)
「経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療…」――1999年8月、立正佼成会付属佼成病院(東京都中野区)の小児科部長だった中原利郎医師(44歳)は、小児科の置かれる窮状と自らの閉塞感を訴える遺書を残して、病院屋上から身を投じた。新宿労働基準監督署はその死を労災とは認めず、妻・のり子さんが、処分の取り消しを求める行政訴訟と、病院に対して損害賠償を求める民事訴訟を提訴した。
2007年3月、行政訴訟では労災を認める一審の判決が確定したが、直後の民事訴訟では逆の判決が下され、なおも係争中である。両裁判の弁護団の一人であり、過労死問題の第一人者である川人博弁護士に、医師の過重労働を巡る見解を伺った。
宿直時に睡眠は取れるか
―行政訴訟の争点は何でしたか。
川人 最大の争点は、宿直労働を巡る評価でした。宿直時には睡眠カ取れないのか、あるいは取れたとしても睡眠は薄くなって、宿直を繰り返すことが睡眠障害からうつ病を発症するほどだったのかという点です。
新宿労基署が労災を認定しなかったのは、「仮眠室があり、患者さんが来ない間はそこで寝ていたはずだ。月8回の宿直があっても、睡眠は取れただろう」という、実態に見合わない判断でした。日常業務は朝8時から夕方6時までで、宿直を除いてしまえばきついとは、それほど言えません。では、なぜ亡くなったのかという理由について、労基署はあまり言及していませんが、仕事がきつくないとすれば、「元々弱かったのでしょう」という判断にもなります。
―どのようにして、それを覆されたのでしよう。
川人 直接的には、同僚の小児科の先生が、自分も宿直時にいかに睡眠が取れないかという点について、説得力のある証言をしたことです。中原医師の宿直記録に基づいて、実証もしました。ある症状を訴える患者さんがある時刻に来た場合、通常どれほどの診療時間がかかり、どれくらい疲れるかと、数カ月分の記録を、同僚の先生が事後チェックしたのです。証拠として、睡眠障害に関する医学論文も提出しました。いつ起こされるか分からないような状況では、睡眠中にも注意が働いて睡眠が非常に浅くなる「注意睡眠」という概念についても主張しました。
さらに、中原医師の月の宿直回数は、平均6回、多い時で8回と、全国の小児科医の平均3.5回や、医師一般と比べて突出して多かったという点も理解してもらいました。労基署の判断はあまりにも不当でしたが、裁判所はごく常識的な判断でした。
―厚生労働省が控訴を断念して、勝訴か確定しました。
川人 朝日新聞は判決を一面トップで報じていますが、個別の過労死事件が一面を飾るのは、1996年3月の電通事件の第一審判決以来で、私の記憶でもこの2回だけです。他にも多くのメディアに「大変だ、何とかしなければ」という論調で取り上げられました。判決後2週問の控訴期間には、有志による「要望書」のはがきキャンペーンなどもありましたし、インターネットのブログにも、医療関係者による多くの書き込みがありました。
厚労省は少子化対策をうたいつつ、小児科医療について全く違ったことをするのかという話になりますから、控訴断念には、やはり世論の力が大きかったと思います。
―片や民事訴訟では、全く相いれない結果になりました。
川人 そもそも裁判官が別人だというのが前提です。民事訴訟の担当裁判官が判決文を作成している段階では、行政訴訟の判決は出ていません。もし判決の2~3ヵ月後に、民事の判決が予定されていれば、同様に勝訴したと思っています。民事の判決文は、労基署が労災を認めなかった点をとても重視していました。睡眠は取れたはずだという論拠も全く同じです。つまり、厚労省が十分調査をした結果、労災でないとしているのに、使用者である病院に賠償責任を課すのは酷ではないかとの先入観に引きずられているようです。逆に労災カ苓忍定されているケースでは、それに従って損害賠償でも勝訴するというケースは多くあります。
二審では一審とは異なる判断が出るのではないかと期待しています。ただ一審判決ではそこまで踏み込んでいませんでしたが、これだけ小児科医療が社会問題化している状況において、病院の努力だけでは小児科医カ確保できず、どうにもならなかったのではないかという争点は残るでしょう。
判決は動務状況の改善を後押しするか
―今回の裁判が医師の労働環境に与える影響は大きいですね。
川人 一石どころか、二石も三石も投じる緒果になったと思います。医師だけでなく、医療関係者は大きく励まされたのではないでしょうか。直後の報道には、産婦人科医の多くが宿直明けに仕事をしており、36時間労働さえあるという異常さを訴えるものもありました。確実に問題提起が始まっています。行政も病院も、医療従事者の勤務状況を改善する方向に動かざるを得なくなるでしょう。
― 背景には患者さんの権利意識が高まるなど、社会的変化もありますね。
川人 特に小児科などでは、かつては同居していた祖父母がケアできていたような症状でも、今は不安になった親御さんが病院を訪ねます。家庭や地域の子育ての力が弱くなっているために、病院に頼る傾向が強まっています。
日本小児科学会ではかねてから、医師や病院に過度の負担がかからずに小児科医療が経営的に成り立つように診療報酬の改定を求めていますが、いまだに十分な見直しがなされていません。産婦人科や小児科を巡る医療事故に対しては、患者さんの目が非常に厳しいのも事実です。かつて、産婦人科で起きた死亡事故について、厳しく追及を受けた上司が、心労からその2~3ヵ月後に突然心停止で死亡し、労災が認定されたケース(表⑦)を担当しました。当時いろいろと聞き取りをした結果からは、出産のように、うまくいって当たり前という認識が強いケースで健康被害が出ると、例えば高齢で癌になったという場合に比べて、風当たりがとても強くなると感じました。
医師に対する責任追及のあり方をもっと考えなくてはならないでしょう。産婦人科を志望しない動機に、医療訴訟が嫌だからという理由が挙げられることが多くなりました。最近では、助産師がいないために看護師がお産に関与して、医師法違反で検挙されるという事件(不起訴)がありましたが、本来は助産師が不足しないような施策が必要なのに、警察が介入するというのは、過剰な対応だと感じます。
「権利」か「聖職」か
―同じ過労死裁判でも、医師の場合には特徴がありますか。
川人 10年前には、例えば医師の妻が、業務外の認定に対して異義申し立てをすること自体が、非難されるような傾向がありました。今回の事件でも、「ほかの人も大変なところをがんばっているのに、なぜ、あの人を過労死だ、補償だと言うのか」という声も聞きました。そうした意識は年配者になるほど強いようで、言葉は悪いのですが、医師は権利意識が弱いと感じました。
無理して働いて亡くなれば、労災補償制度があり、医師も請求するのは当たり前だと、良い意味での権利意識を持ってもらわなければなりません。
「皆が大変なのだから、皆の環境を良くするためにこの補償の問題をやっている」と繰り返して声にすることも必要でした。
―「過労死110番」にも医師の声は寄せられていますか。
川人 2001年に、関西医科大学の研修医が死亡した事件について、労災として損害賠償を認めた判決が大きく報道されたことをきっかけに、増加しています。相談総数の1%にもなりませんが、以後は定期的に入るようになりました。最下層の労働環境に置かれていた研修医は、その後に制度化されて待遇も改善されつつあります。
―医師が権利ばかりを主張すれば、現場が混乱しかねませんが。
川人 そこまで行き着いて、新しい矛盾が起きた時に、次の方策を考えればいいことでしょう。例えば、日本の民間企業でストライキがどんどん行われれば国際競争力が落ちると言われますが、いまだかつてそういうことは起きていません。
数年前、EUでも宿直時間を労働時間と認めるかという裁判があり、基本的に労働時間と見なすようにという判例が出されました。各国に共通する問題で、その当時調べてみたところ、日本の宿直のほうがは遥かに忙しいことが分かりました。まず、宿直労働について法的に整備すべきでしょう。厚労省の通達はありますが、不十分です。
―医師は聖職者であると、ある種の「ノブレス・オブリージュ」のような意識があるようにも思いますが。
川人 そういう側面は非常に大切です。しかし、現状は、聖職という意識で支えられる限度を超えています。
―女性医師の増加が労働環境に与える影響もありますね。
川人 医師国家試験合格者の3割を女性が占め、医学生では4割以上です。男女共同参画社会という点では好ましいことですが、現実的に、女性医師が子育てをしながら宿直するのは不可能なことが多く、単純に無理が利くとかということなら、明らかに難しい。女性が1割程度ならまだしも、小児科医は半数近くが女性ですから、最も影響が大きいでしょう。今回の中原医師のケースでも、引き金になったのは、産休中の女性医師が宿直ができないために退職を余儀なくされ、男性医師に過重な負担がかかったことです。
個人ができる過労対策
―一朝一タに医師は増やせません。個人ができる過労対策はありますか。
川人 自分がやるべきこと以外は、極力逃げることでしょうか。例えば、私が担当する事件で、私が法廷に行かなければ裁判が成立しませんが、それ以外の仕事は断ってもいいわけです。医師も、患者さんとの関係で絶対にやらなければいけないこと以外は、自分の中で業務量の規制をすることが自己防衛手段ではないでしょうか。
例えば、中原医師が亡くなった直後に、その病院では小児科の宿直を中止しました。今から見れば、中原医師が亡くなる前の段階で、女性医師の補充がされないままでは、客観的に見て小児科の宿直体制を取るのは無理だったはずです。結果論ですが、小児科の医師たちが団結し、「8回も宿直はできない」と徹底して突っ張れば、良かったのかもしれません。
中原医師の死去によって、病院はいとも簡単に「もうできません」とエスケープしたのです。中原医師の犠牲により、他の医師は救われたことになります。無理だと思ったら、徹底して抵抗するほかありません。
―医師自身、行政に加えて、病院が努力すべきことはありますか。
川人 経営者の資質は5ランクくらいに分かれ、雇用者の労働環境やメンタルヘルスに影響を及ぼします。医師の労働時問は同じであっても、宿直の先生にねぎらいの声をかける人もいれば、当然だという人もいるでしょう。小児科は経営効率が悪くても仕方がないという病院もあれば、本件のように、部長会議で小児科の売り上げをやり玉に挙げるような所もあります。
勘違いをしている病院経営者が増えています。病院も民間企業と一緒で、徹底的に効率を優先すると割り切っている経営者もいます。しかし、他の業種でもそうですが、現場は金儲け主義だけではいけません。加えて医療の場合には、非常に複雑な診療報酬体系もあり、いろいろな意味で複雑な業種ですから、経営効率だけで割り切れば、具体的な歪みが出てくるでしょう。
相当部分は社会政策に問題があるとしても、紛争化するなど問題になるのは、上司や経営者にやり過ぎがあるケースです。シンクタンクなどが、効率改善の意見書などを出して機械的な見直しをする。医師当たりの売り上げで見れば、小児科などは少ないに決まっています。経営について私は専門家ではありませんが、患者さんや医師の立場に立ったやり方があるはずです。例えば、株式会社の病院経営といった規制緩和の議論があります。株式会社とは、ある意味で株主への配当が多いほど良いわけですから、やはり病院経営には馴染みません。程々に利益を上げ、赤字にならない範囲でやることが社会的に要求される業態なのです。株主の配当のために経営すれば、その時々でマイナスになるものは切り捨てるようになるでしょう。
矛盾や混乱を隠さずに前進したい
一医師の労災認定はこれからも増加が予想されますね。
川人 報道の反響もありますし、労災申請は増えると思います。今までやらなかった人でも、やはりやろうという傾向になるでしょう。残念なことですが、現状では仕方がないことです。泣き寝入りは良くありませんし、ある段階まではそれで矛盾が生じたり、医療現場で多少混乱が起きても仕方がありません。それを隠蔽したままでは医療現場が成り立っていきません。
―医療事故なども、背景には現場の過重労働があるということがようやく理解されつつあります。
川人 そういう意味でも貴重な判決でした。今年は、医師を含めた医療従事者の過労死問題の全国的なシンポジウムを開催する予定です。全国で啓蒙活動をして、医療現場をどのように改善すべきかを議論していきます。
―本日はどうもありがとうございました。
表 新聞で諏道された主な「医師の過労死」労災認定・損害賠償訴訟
①2007年4月目本大学医学部付属病院の女性医師(研修医)26歳
2006年4月、自宅で、筋弛緩剤を注射して死亡。労災認定。05年4月から臨床研修を開始、最初の救命救急センターでは多い週で78時間勤務、日当直は月10回。夏からの消化器外科では週87時間勤務、過労からうつ状態に。
②2007年3月犬阪府立急性期・総合医療センターの奥野恭嗣医師(麻酔科)33歳
1996年3月、大阪市内の自宅で急性心不全にて死去。遺族の損害賠償訴訟で、犬阪地裁は「時間外労働が月88時間を超えており、業務と死亡に因果関係が認められる」として、約1億700万円の支払いを命じた。
③2007年3月立正佼成会付眉佼成病院の中原利郎医師(小児科)44歳
1999年8月、病院で自殺。労災認定。
④2007年2月北海道民間病院の男性医師(小児科)31歳
2003年10月、前任地から移動して6日目、自宅にて心原性ショックで死亡。労災認定した。公立病院時代に月の時間外勤務が平均100時間を超え、夜間当直が3~4回。院外での待機当番も月20~25日あり、1晩に5回呼び出された日もあった。
⑤2004年12月東京都立府中病院の部長医師(科目不明)53歳
1999年9月、自宅で自殺。地方公務員災害補償基金東京都支部が公務災害認定。99年1~6月までの残業時間は月平均99時間、管理職でありながら、外来や入院患者の診察や手術も担当。同年7月に不眠などを訴えて1ヵ月休職。復職後、出身大学から医師派遣を断られた翌日に命を絶った。
⑥2001年8月関西医科大付属病院の森夫仁医師(耳^咽喉科研修医)26歳
1998年8月、自宅で急性心筋梗塞により死亡。遺族の損害賠償訴訟で、大阪地裁堺支部は、研修医は労働者に当たるとして、遺族共済年金や未払い賃金相当の総額約916万円の支払いを命じた。死亡直前の2ヵ月半、平日は午前7時30分から指導医の補助をして連日午後10時頃まで勤務。終日休んだのは6日間のみ。大学は月額6万円の“奨学金"を支給し、私立学校教職員共済制度への加入を怠った。
⑦1999年4月甲府市内の男性医師(産婦人科)35歳
1996年3月、帰宅車中にて急性心筋梗塞で死亡。死亡直前の1カ別よ休日が2日、夜間当直勤務は10日、当直明けもそのまま勤務に就き、産婦人科責任者として治療や分娩の合間に事務作業にも追われた。
⑧1999年1月千葉県内の夫学付眉病院の女性医師(小児科)43歳
1997年8月、当直明けに当直室で倒れクモ膜下出血で死亡。労災認定。死亡直前の最低12日間は休日なしに働き、この間に夜間当直2回、当直明けもタ方まで勤務が続いた。
⑨1997年6月広島県福山市民病院の高藤健二医師(外科)26歳
1990年1月、自宅風呂場で急性心不全により死去。公務災害認定。死亡直前の1週間は、病院の76時間勤務に加え、自宅で約15時間の学会準備業務をこなしていた。
⑩1992年8月佐世保市立病院の犬塚幹人院長代行61歳
1987年2月、院内で倒れ、心不全(大動脈瘤破裂)により死亡。公務災害認定。1月から院長心得となり新病院建設などで多忙を極め、肉体的・精神的な過労が持病を悪化させ、当日の議会答弁準備による精神的ストレスが直接的要因となった。
(1992年8月~2007年4月、朝日新聞記事データベースより、中居あさこ作成)
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