最終話の開業医さんでまわす夜間救急に対してYosyan先生は、コメントの中で
『小児の診療は夜間にシフトしやすい特性を持っています。理由を幾つかあげれば、人間は夜間になって熱発しやすい傾向がある、夜間の発熱は不安である、昼間は仕事など他の用事が忙しいなどです。そのうえ乳児医療で昼も夜も医療費の負担が変わらないのであれば、わざわざ昼間に受診しなくなります。
そこに夜間診療所が出来れば殺到します。経済学的にはニーズに応じた商品開発となるのでしょうが、そんな人手はどこにもありません。結局、誰かがオーバーワークしないとカバーできません。誰かとは医師です。
鹿屋の場合は開業医が負担したようですが、夜間16時間をカバーすれば昼間の診察に影響します。出務したからといって自分のところは休めないですからね。そうなれば前日と合わせて36時間勤務になります。開業医は事業主の事が多いですから、労働基準法に違反しないとは言え、疲れるのは一緒です。勤務医より年齢層が高い分だけ骨身に沁みるかと思います。
これは個人的な感想ですが、それだけの犠牲を払わないと維持できないシステムは設計から間違っていると考えています。無理なくシステムを組める努力を怠った行政の失敗であると考えています。』と仰っています。
結局のところ、解決策は見えず、
ただ一ついえるのは『安易な時間外救急利用をしないで欲しい』ということだけです。
【参考ブログ】もどうぞ!
医師確保し江別市立病院が説明会
伊関友伸のブログ 2007/03/28http://iseki77.blog65.fc2.com/blog-entry-1314.html
では記事を!
地域医療は今(1)医師引き揚げ 「空白」拡大
2007年3月23日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20070327ik06.htm
救急通報を受ける千葉・山武郡市の消防本部の職員。7台すべての救急車が出動するケースもあり、緊張感が高まっている 「この地域の救急体制は一体どうなるのか」
3月6日午後。九十九里浜にほど近い千葉県東金市の広域行政組合の事務所で、植松憲一事務局長(59)はかかってきた一本の電話を切ると、ぼう然とした様子でつぶやいた。 電話は「浅井病院(東金市)が夜間救急をもうできない」との連絡だった。東金市や山武市など2市4町(人口約20万人)を管轄するこの広域行政組合は、消防組織を運営する地域救急の中枢。国保成東病院や民間の浅井病院など6病院を夜間・休日の急患受け入れ先として1998年から輪番制で対応してきた。
だが、1年前に成東病院が月15日分の内科救急の受け入れが出来なくなり、追い打ちをかけるように今回、浅井病院が看護師不足を理由に“戦列”を離れることになったのだ。他の病院の縮小分も含め、内科救急の輪番の「空白」は今月計22日にも及ぶ。輪番制は事実上、機能不全に陥った。
成東病院は地域最大の医療機関で、2005年4月には内科医が11人いた。しかし、若手医師がより自由に研修先を選べる新しい「医師臨床研修制度」が04年4月から導入されたのを機に千葉大医学部が派遣医2人を引き揚げた後、内科医が次々と辞職。06年5月にはついに内科医不在となった。 「医師が減るたびに精神的にも肉体的にもつらくなる。退職は頑張った末のこと。みな燃え尽きたんです」と坂本昭雄院長(59)。内科医4人を新たに確保したが、輪番には復帰できないままだ。
管内の救急出動件数は年間約7700件(06年)。管内で対応できず、30キロ近く離れた成田市などに搬送するケースが増加し、管外への搬送率は05年の28%から06年、38%にはね上がった。搬送先を探すため救急隊が10回近く電話をかけることもある。救急車7台はフル回転で、管内に使える救急車がまったくない事態が今年度、既に13件起きた。
東金市に住む地方公務員の男性(55)は昨年6月のある日、午前4時ごろ、孫(2)がけいれんを起こしたため119番にかけた。救急車は到着までに15分、さらに病院が決まるまで20分以上かかって出発。結局、受け入れ先は、自宅から遠く離れた成田市内の病院だった。男性は「こんなにかかるとは驚かされた。80歳過ぎた母親もいるし、いざという時が不安だ」と話す。東京、神奈川に接する山梨県上野原市――。市内唯一の救急病院・上野原市立病院も救急患者に十分対応できない状況が続く。
同病院には3年前、17人の常勤医がいたが、山梨大学が医師を引き揚げたことなどで現在は5人。両角敦郎院長(50)は「医師を大学医局に頼る地方の中核病院はどこも医師不足。患者に請われれば、診ないといけないが、(現状では)患者を診られず、つらい」と語る。同市消防署の溝呂木忠男署長(58)は「消防署前で救急車を止め、搬送先を探すこともある」という。中央高速で30キロ以上離れた都内の病院に搬送するケースも増加、搬送時間も八王子市まで行くと1回の出動で約3時間。「救急の空白」は各地で急速に広がっている。◇
救急患者を受け入れる病院がなくなり、搬送時間が延び、いざという時に救急車がない――。こうした危機が現実になりつつある。救急の現場から地域医療の現状を追った。
医師臨床研修制度
総合的な診療能力の向上を図る目的で04年4月からスタートした。大学病院と比べ待遇が良く、一般的な外来診療の経験が十分できる厚生労働省指定の市中病院での研修に希望が集まり、大学病院での研修者が減少。大学病院が医師不足に陥り、自治体病院などに派遣した医師を次々と引き揚げる事態となった。
地域医療は今(2)安易な利用、病院は限界
2007年3月24日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20070327ik07.htm
2006年2月に「救急告示医療施設」を返上した新潟県阿賀野市の市立水原郷病院。地域医療を担い、患者もひっきりなしに訪れる その病院は、いつでもどんな症状でも診てもらえるという気安さから1年ほど前まで「コンビニ病院」と呼ばれていた。新潟県のほぼ中央に位置し、白鳥の飛来地「瓢湖(ひょうこ)」で知られる阿賀野市(人口約4万8000人)。市民が気軽に利用してきたのが市立水原郷病院だ。税金も投入されている地域の中核医療施設という使命感もあって、軽症患者でも時間外で対応してきた。
だが、一昨年暮れごろから次々と医師が退職し、昨年2月には「救急告示医療施設」(救急病院)の指定を撤回する事態に追い込まれてしまった。辞めた医師の一人は「夜間の外来や呼び出しで、どの医師も無理を重ね、ぼろぼろになっていた。それでも、だれも評価してくれなかった」と当時を振り返る。夜間などの時間外診療になると仕事を終えた人も訪れた。時間外の外来患者数は1日平均24~25人。次から次へと外来が来て、当直はまさに戦場のような忙しさだった。「8割が軽症者で本当に救急診療を必要とする人は少なかった」と同医師。疲れた医師の軽症者への対応が粗略になることもある。すると、対応が悪いなどとしてすぐに苦情が出る。市の審議会でも「市立病院なのに医師の対応が悪い」と批判された。
新潟県の医療担当者は、「水原郷病院は『地域密着』を掲げ、昼も夜も患者を受け入れていた。市民に『コンビニ』感覚があり、それが勤務医を疲弊させた」と分析する。医師は月3~4回の過酷な当直をこなすうちに疲弊していった。26人いた常勤医のうち15人が今年2月までに「開業する」などとして辞職していった。病院は数人は覚悟していたが、予想を超えた。その後、医師3人を確保したものの、現在の体制で救急復活は難しい。
同病院の事業管理者、加藤有三さん(58)は「救急告示だと、相当の理由がないと(急患を)断れない。(医師を守るため)撤回はやむを得ない判断だった」と話す。市民はその後、“安易な利用”を控え、時間外診療は1日当たり2~3人と10分の1に減った。救急患者の受け入れをやめたわけではないが、当直医の「できる範囲での受け入れ」で、以前の半分程度。新潟市など市外に搬送しなければならないケースも相次いでいる。
青森県五所川原市の公立金木病院も今年初め、救急告示を正式に撤回し、40年以上続いた「救急病院」の看板を下ろした。勤務医6人のうち2人が辞め、医師不足が深刻化したためだ。撤回の動きが表面化すると同時に反応したのが地域住民だった。「金木病院の救急体制を維持する会」を結成し、昨年11月末には約2万人の署名を集めて病院管理者の平山誠敏市長に提出した。地方で進む病院の勤務医不足は深刻で、結局、撤回の動きを止めることは出来なかったが、住民の声に応えようと病院側は懸命に医師探しを続けている。同会代表で住職の一戸彰晃さん(57)は「住民の不安も強く、とにかく早期の復活をお願いしたい」と切実に訴える。
市民の安易ともいえる病院の利用は、医師の多忙な勤務状況の悪化に拍車を掛け、結果としてそのツケが住民に返ってくる。新潟県立新発田病院の救命救急センター長・堂前洋一郎さん(56)は指摘する。「地域住民が病院を一緒に育てるという意識が大切だ」
救急告示医療施設
救急医療の経験がある医師が常に診療でき、エックス線や専用病床など救急用の設備がある病院や診療所。病院側が申請し、消防法上の省令で都道府県知事が認定する。撤回も病院などが申し出る。医療法の救急体制では、症状が軽い順に初期・2次・3次と体系的に救急医療機関が定められ、告示施設は主に2次に位置づけられる。
地域医療は今(3)「常に勤務状態」 医師悲鳴
2007年3月25日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20070327ik08.htm
岩手県遠野市の県立遠野病院の事務室には常時、約1万人分のカルテが置かれている(左は貴田岡博史院長) 民話の古里、岩手県遠野市にある「県立遠野病院」。周囲には静かな街並みとのどかな田園風景が広がるが、病院内では、多忙な時間が分刻みで流れている。外来診療が始まる1時間前の午前7時。待合室ではお年寄りなど30人以上の患者が早くも長いすに座る。同市を中心とする約4万人の住民は、地域でただ一つのこの救急総合病院が頼りだ。
同じ時刻に、内科医の貴田岡(きたおか)博史院長(58)は担当する約30人の入院患者を回診する。7時40分、外来診察の開始時間を前倒しして、待合室で待つ患者の診察を始める。「80人から100人は診るので、どうしても午後にずれ込みますね」と貴田岡院長。外来診療が終わると、昼食もそこそこに入院患者の診療に入り、夕方にはカルテや保険など書類の整理。帰宅は決まって午後8時近く。緊急呼び出しも多い。
当直勤務は貴田岡院長も例外なくこなす。月数回の当直明けにはそのまま外来診察を行い、30時間以上の連続勤務となることもしばしばだ。在宅医療も重視しており、院長自ら週1、2回は午後の時間を利用して往診に出る。
内科医の長久保宇有(ひろたか)さん(48)は「自宅に帰っても急患で呼び出しがあるから気を抜けない」と話す。糖尿病が専門で、多い時には70人の入院患者を担当する。夜中に携帯電話が鳴り、深夜から未明にかけて病院と自宅を数回往復することも珍しくない。重症患者が重なれば仮眠も取れないまま午前の外来診察に入る。「呼び出しがなくても心配で、2度、3度と目が覚めてしまう。24時間、気が休まることはない」と打ち明ける。8年前に赴任した当時に受け持った小児糖尿病の野球少年は、1日4本のインスリン注射をしながら野球を続け、社会人になった。「病気に負けず、強く生きる患者の姿が活力を与えてくれる」
こうして常勤11人と非常勤5人の医師が1日平均約500人の外来患者を診察し、約130人の入院患者の命を預かる。40代後半の長久保さんには体力的にも厳しいが、常勤医師の平均年齢は52歳。中には84歳の医師もおり、音を上げるわけにはいかない。
外来・入院患者数から算出する適正な医師数の目安「医師定数」には6人も不足しているので、その負担が一人ひとりの医師にのしかかる。この病院でただ一人の小児科医の木本康生さん(37)は、この1年間で遠野から出たのは、自身の体調不良で広島県内の実家に帰省した1週間だけ。「休みでもいつ呼び出しがあるか分からないので、遠野を離れることはめったにない」と話す。貴田岡院長は「交代できる医師が来ない以上、医者の使命感や意欲で病院を維持するしかない」と窮状を訴える。
病院勤務医の過酷な勤務実態は遠野病院に限らない。1か月間休みを取らずに働いたという勤務医は全国に3割近くいて、7割以上の医師が宿直明けの日もそのまま連続勤務する――。日本医療労働組合連合会(日本医労連)が昨年11月から今年1月に実施したアンケートで明らかになった勤務実態だ。1か月の残業時間についても、労基署が労災認定の判断基準とする「月80時間以上」と回答した医師が3割を超えた。
日本医労連の池田寛・副委員長は「地方の病院を中心に医師が来なかったり、辞めたりするケースが増えている」と指摘する。
「使命感や意欲」ではもうカバーしきれない。医師が次々と病院を去り、残った医師をさらに追い詰める。救急医療を支える各地の拠点病院で悲鳴が上がっている。
医師定数
医療法施行規則上の計算式で入院や外来の患者数に応じて算出される標準的な医師の配置数。原則的には全国一律だが、医師の確保が困難なへき地などについては、都道府県知事が基準を緩和することが出来る。この定数に対する充足率が70%を下回ると、病院の収入となる診療報酬が減額される。
地域医療は今(4)開業医に負担 「病診連携」
2007年3月26日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20070327ik09.htm
発熱した乳児を診察する開業医。掛川市立総合病院と開業医の連携で休日でも安心して受診できる(掛川医療センターで) 静岡県有数の茶どころとして知られる掛川市(人口約11万人)。南北を国道1号線と東海道新幹線に挟まれる市街地に地元医師会が運営する「掛川医療センター」がある。
今月11日の日曜日。医療センターはマスクをした子供たちであふれかえっていた。当番の開業医がてきぱきと診療にあたる。38・7度の急な熱を出した生後9か月の二男を抱えて医療センターを訪れた主婦(35)は、「日曜日や祝日にはここで診療してくれるので一安心です」と話す。
救急病院が急患すべてに対応するには限界があるとして昨年10月、掛川市で掛川市立総合病院と開業医による新たな取り組みが始まった。病院と開業医や診療所の連携は「病診連携」と呼ばれる。勤務医不足で瀬戸際にある救急体制の立て直しのカギとされ、市内26医院の開業医が輪番で、総合病院の診療時間外に軽症者を診療するようになった。
開業医側が総合病院に代わって軽症者を診療するのは平日夜間と日曜・祝日の昼間。病院はこの時間帯は軽症者を受け付けず、「高度な治療が必要」と判断された場合に病院が対応することにした。
総合病院には以前、日曜日や平日夜間といった「時間外外来」に風邪などの軽症者が殺到していた。当直の医師は救急車で運ばれてきた重症者を診療する一方で軽症者にも対応した。昨年夏には内科医3人が激務などを理由に病院を去り、救急の質の低下を懸念する声もあがった。五島一征院長(64)は、「すべての患者を受け入れるのが運営方針だったが、医師の負担を少しでも減らすため、開業医との連携が欠かせなくなった」と、新システム導入の理由を説明する。
患者の流れは変わった。今年2月には総合病院が時間外に受け付けた月間患者数が昨年2月に比べ、4割近くも減少した。内科医の佐々木洋美さん(30)は、「拘束時間は変わらないものの一息つく時間ができた。(重症者に対応する)二次救急に集中できる」と話し、ほっとした表情をみせる。
しかし、病診連携にも限界があることがわかってきた。九州の南端、大隅半島にある鹿児島県鹿屋市は、2001年に病診連携をいち早く導入し、成功例として全国に知られるようになっていた。しかし、開業医が「時間外診療」の予想以上の負担増に悲鳴をあげ始めたのだ。鹿屋市では開業医側が受け持つ平日の時間帯は「夜間」だけでなく「翌朝まで」。病院の通常の診療時間外のほぼすべての時間帯で軽症患者を担当する。新制度が定着するにつれ、当番開業医を深夜に訪れる人が増え、1日100人を超す医院も出始めた。
「当番の日に当たると患者が次々と訪れ、仮眠も取れない。徹夜明けで翌朝の診療にも影響が出る」
当番は月2回ほどだが、輪番から外してほしいと訴える開業医の声は切実だった。鹿屋市医師会で当番医制度を担当する小浜康彦副会長(50)は、「これ以上増えれば初期救急は破たんする」と訴える。医師会は、夜間に軽症者を専門に診療する「夜間急病センター」を設置すべきだとして今月15日、市民約2万5000人の署名を添え、市長に要望書を手渡した。病診連携の先行例は見直しを迫られている。日本病院会の山本修三会長は、「従来の枠組みにとらわれない体制の構築や医師の働き方の見直しが必要で、地域全体で考える必要がある」と指摘する。(おわり)
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