(関連目次)→今月の産婦人科医報..。*♡
産婦人科医会報(2007年7月号)より面白いところをo(^-^)o..。*♡
他にも「特集ーこんな体験をしました」は読み物としておススメです!
茨城県における周産期医療危機的状況と地域医療ネットワーク
~一次医療機関の立場から~ 日本産婦人科医会 2007年7月号
茨木も絶賛崩壊中(>▽<)!!!!!!!
あとチラシから、2回、第3回、ならびに第4回
「産婦人科診療ガイドライン―産科編」
コンセンサスミーティング開催のお知らせ!
事前参加申込すれば参加できるようです。
とくにアジアオセアニア学会だと、(参加費だしたら、の場合だけど)
3枚のシールつきですよぉ(>▽<)!!!!
日程は
・9月1日(土)午前11時‐午後6時 東京
・9月23日(日)午後1時30分‐午後6時30分(アジア・オセアニア学会)
・10月14日(日)午後1時一午後4時 群馬
日本産科婦人科学会事務局まで!
ではどうぞ!
医事紛争シリーズ
低酸素脳症後死亡 担当助産師に賠償責任 (p7)
医療事故が起こると、当該病院だけに限らず担当した医師や医療従事者も賠償請求の対象となることがある。今回は、首都圏の総合病院で分娩によると思われる重症の仮死があり1年後に死亡したことについて当該病院の保険会社と患者家族との間で示談が成立したが、支払いが終わった時点で保険会社より担当の助産師個人(不適切な医療行為)に高額な請求があった事例である。
〔事例の概要〕
平成16年10月、無痛分娩希望の患者(2経産、39週)に対し、
9:00よりアトニンの点滴を開始。
9:25に硬膜外麻酔を施行し
10:20、子宮口4㎝開大。破水を確認。羊水混濁(++)。
10:46、徐脈が出現したため、アトニンを中止し酸素投与を開始。
約5分で徐脈は消失し基線細変動も見られるようになったためアトニンを再開。酸素投与を中止。
11:00、経過を担当医師に報告。
11:15、高度変動一過性徐脈が出現したが回復。
11:30、子宮口9cm開大となったが
12:08、高度一過性徐脈が出現し体位変換でも回復せず酸素投与を再開。
12:45、医師に連絡し、
13:23より3人の医師が数回の吸引分娩を試みるも分娩となら
ず
14:00、帝王切開により3,300gの男児を娩出
(重症新生児仮死;アプガールスコア:1分後1点、5分後3点)。
児は同院NICUに入院した。平成17年10月に呼吸障害のため死亡した。
〔示談の内容〕
平成18年1月、死亡した児の両親に対し、それぞれ2,400万円(計4,800万円)を支払うことで示談が成立した。
平成18年12月、保険会杜より担当助産師個人に対し今回の医療事故について3分の1の責任があるとの理由で1,440万円の請求がなされた。請求の根拠は以下のとおりである。
変動一過性徐脈は、臨床的な判断の必要性から、軽度と高度の2つに分類される。本件においては、11:15に高度一過性徐脈が出現、その後12:08さらに激しい高度徐脈となっている。担当助産師は12時以前に分娩監視記録から胎児がwellbeingでないと判断して、担当医師に連絡すべき注意義務を負っているにもかかわらず、これを怠ったのであるから注意義務違反がある。また、子宮収縮剤(アトニン)の不適切な投与を行った過失があり、損害賠償責任は免れない。
以上が担当助産師への賠償請求の根拠である。助産師が医師に報告せず自らの判断で不適切な医療行為をしたことに問題があるものの当該病院が大規模病院であり、本妊婦の担当も1人ではなかったこと考慮すると多少の疑問が残る。
羅針盤 日本の母と子を守る (p2)
社会問題になつている「産科医療の崩壊」。この事態に産科医として、何をするべきか。
既に医会、学会、厚労省などいくつかの団体の全国調査により、産科医の過酷な就労状況(基幹施設では当直を除き平均週60時間勤務)、勤務医の低賃金(大学、国公立系病院で平均年収810万円)、分娩取り扱い施設の減少(20年間で5,884施設から約半数の2,938施設に減少)が明らかになっている。また、その対策として診療体制の改革(集約化やオープンシステム)、無過失補償制度の創設、ハイリスク管理料の設定、ドクターフィーの獲得など様々な取り組みが始まっている。しかし、重労働、低賃金、訴訟リスクに曝される現場に身をおいていると、実際にそのありがたみがなかなか伝わらない。
こうした事態の解決策を私なりに考えると、はじめに到達点、すなわちエンドポイントを明確にする必要に迫られる。この混沌の終息するべき到達点は何か?それはシンプルである。われわれは日本中の母と子を守りたいのである。周産期医療に携わる者として、周産期死亡率の増加や分娩難民などあってはならないものなのだ。
産科医が増え、施設が充足すれば問題解決である。では、そのために何が必要か?産科医として何ができるか?新医師臨床研修制度発足以来、新人産科医総数は激減し、女性医師の比率が増加した。医学生や前期臨床研修医の中では、人の生死にかかわらず、時問外勤務が少ない診療科への志望者が増加している。産科は人の生死にかかわり、夜間帯の仕事も多い。英国医学誌『ランセット』によれば、陣痛発来は午前O時から6時に多く、分娩は午前中に多いことが報告されている。こうしたエビデンスがあるにもかかわらず、われわれはそのシステム作りを怠ってきたように感じる。産科医は当直するのではなく、夜間勤務を行っているのである。そのための勤務時間帯のシフトや休暇の整備がなされている診療施設は全国にどれほどあるだろうか。母と子を守るために、まず働く者の身の安全を確保しなければならない。楽で楽しく(合理的で機能的で)なければ今の若者は集まってこない。
就労時間のシフトや適正化は診療能力の低下を招く恐れがある。この点を補うものこそ周辺施設との医療連携システムである。施設機能毎にリスクを分配し、必要に応じ診療圏の再構築を行う。実際、私の病院ではローリスク妊婦の健診を近隣施設へ委託し、外来数の減少を図り、夜勤明けのスタッフを帰宅させている。外来負担の軽減によりリスク患者の受け入れが容易になった。
待っていてもなかなか陽は差してこない。もう一度辺りを見回し、各地域に見合った協力体制を再構築できないものだろうか。私はただ「日本中の母と子を守りたい」のである。
中島みゆき―産科医の父に捧げたレクイエム (p13)
静岡県中西部で産科開業医として活躍され、いろいろとご指導いただいていたS市のK先生が先日急逝された。まだ60歳という若さであった。直接の死因は循環器系のご病気とうかがったが、いわば過労死のようなものだね、と私たち産科医仲問はささやき合っている。最近、分娩の取り扱いをおやめになったところであった。四六時中お産にしばられる生活から解放され、悠々自適に人生を楽しもうとされていた矢先であった。さぞかし無念な思いで逝かれたことであろう。心からご冥福をお祈りしたい。天国では携帯電話もポケットベルもしまって、思う存分人生を楽しんでいただきたいと思う。
そういえば、私の大学時代からの友人のお父様も、若くして亡くなられた。産科開業医をしておられ、その息子がようやく一人前になったのを機に、初めて息抜きの海外旅行に出かけられたその旅先であった。まことに気の毒な話であり、しかしながら、いつ自分の身に降りかかってくるかもしれない話でもある。産科医の先輩たちのせつない生涯の物語を伝え聞くたびに、身につまされる思いを禁じ得ない。
さて、私は中島みゆきの熱烈なファンである。私がこの偉大なる歌姫に初めて出会ったのは、1975年の第10回ヤマハ・ポプコンであった(残念ながら浪人中につきテレビの画面を通じてであったが)。その時の光景は今でもありありと目に浮かび、その感動は私にとっていまだ忘れ得ぬものとなってしまっている。ご存じの方も多いかと思うが、まさにそのポプコンで、彼女は「時代」を世に送り出し、グランプリを獲得したのである。そして、その後も彼女の作った名曲は枚挙にいとまがない、そしてその多くが私の人生のバイブルとなっている。
その中島みゆきの曲の中に「雪」という、美しい詩を持ったもの悲しい曲がある。夜、しんしんと降る雪の中で「あの人」がこの世を去っていくのを「私」が見守っている曲である。「雪気がつけばいつしかなぜこんな夜に降るのいまあの人の命が永い別れ私に告げました…」。この曲をK先生に捧げたいと思う。一見、亡くなった恋人を想うような歌詞なのであるが、実はこの曲は中島みゆきのお父様が亡くなられられた時に、父親への想いを込めて作られたレクイエムなのだそうである。みゆき24歳の冬。そして、みゆきがそんなにも愛したお父様は、北海道帯広市で開業しておられた産婦人科のお医者様だったそうである。産科医の苦悩は、家族が一番よく知っているのだと思う。生きている間には色々な親子の葛藤があったのであろうが、父親が亡くなる時に娘はやはり産科医としての父を誇りに思ってくれた……。このような背景を知るとさらに一層共感してしまうのである。
ふと、考えてみた。自分が過労死か何かでこの世を去った時、娘に、自分の死を悼む曲を作ってもらえたら、自分の生き様を偲ぶ詩を書いてもらえたら、なんと幸せなことであろうか。
今年、二番目の娘が文学部国文学科に進学した。大学こそ違え、中島みゆきと同じ学科に学ぶこととなった。残念ながら音楽の才能は全くない。それでも、わが親子とみゆきの親子を重ねて考えてしまう今日この頃なのである。
引用すると
医療界と法曹界の思考プロセスの相違
・自由心証主義(裁判における事実と真実)
裁判官の判断は、裁判官による自由心証主義によるとされている。これは、憲法76条「すべて裁判官はその良心に従い、独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される」ならみび民事訴訟法第247条「裁判所(注:条文で用いされる裁判所とは建物や組織ではなく複数の裁判官からなる合議体を意味する。裁判官とは1人の裁判官をいみする)は判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果を斟酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する」で担保(保証)されている。言い換えれば、われわれが基準としている「エビデンスに基づく判断」とは異なる判断であるということに注意しなければならない。自然科学としての医学における真実には人間の主観が介入する余地はほとんどないが、裁判における真実には裁判官という人物の判断が常に反映されている。なお、事実認定の際に用いられる主観的、客観的という用語の理解も、自然科学とは異なる。法曹界では、行為者本人の視点を主観的といい一般人の視点を客観的とすることが少なくないので、気をつけなければならない。
投稿情報: 麻酔科医 | 2007年7 月20日 (金) 15:57
個人的には、「院内ホームレス」の事例が強烈でしたねえ。そんなのがいる病院って、何かすごいです。かなりガラの悪い下町にある我が病院でも、院内でホームレスやっているようなすごいのはいません。
投稿情報: 山口(産婦人科) | 2007年7 月20日 (金) 16:02
>茨木も絶賛崩壊中(>▽<)!!!!!!!
茨木は大阪にある市の名前。都道府県なら茨城。ニホンゴって難しいですね。
投稿情報: shy1221 | 2007年7 月21日 (土) 04:27
>麻酔科医さま ..。*♡
コメントありがとうございますo(^-^)o ..。*♡
これってよくわかりますね。
自然科学との違いは、心してかからねばならない事項なのですね。
裁判官って気まぐれな神みたい。。。
あんまり羨ましくありませんけれど!
投稿情報: 僻地の産科医 | 2007年7 月21日 (土) 09:37
>山口先生!
ホームレスすごい話でしたね(>▽<)!!!!
あと頚管妊娠。。。。うわおこわいよう(;;)。って感じで。
なかなか医会報も楽しいですよね。
以前に比べて、話題になってきているせいか(←私の中だけでしょうか(笑)?)
投稿も質が上がってきている気がします!
投稿情報: 僻地の産科医 | 2007年7 月21日 (土) 09:39
>shy先生~っ!!!!!
やられました~(>▽<)!!!!!
しょほてきなマチガイですたね。。。茨城と茨木のみなさますみません(笑)。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2007年7 月21日 (土) 09:50
こんにちわ
すいません、3通コメントを送信したんですが、1個しか届かなかったようですね。
意味不明ですいません。臨床麻酔科学会の雑誌(これは、僻地の産婦人科医先生の医局には、落ちていないでしょう)に載っていた、医療裁判に対する論文です。
引用文を読んでいて、同じ日本語を使っていても、全然意味が違うことに、気をつけなければならないんだなあああと思いました。
ロハスの(2)でも、鑑定書の目的によって内容が変わるというのが、すごく印象的でした。
田中教授は、刑事事件の鑑定に、いつもの、カンファランスのような内容を書いてしまったんですね。
投稿情報: 麻酔科医 | 2007年7 月21日 (土) 14:53
あにゃ。。。。落ちるってことがあるんですね(;;)。
でもなんとなく意味はわかるような、と思ったので(笑)。
麻酔科はうちの病院、ほぼ絶滅していて、
いるだけでも御の字、もちろん産婦人科はお世話にはなっていますが、若くて体力のある女性の手術、しかも麻酔に他の科(外科を除く)よりは麻酔に長けているせいもあり、わりと「がんばれっ!根性だっ!」という感じでして(涙)。
当然、臨床麻酔科学会の雑誌はおちていません(涙)。。。。
なんだか面白そうなのに残念です。。。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2007年7 月21日 (土) 15:43
大学の図書館にいけばあるかなあ。臨床麻酔科学会雑誌最新号です。麻酔によって、患者さんの長期予後が変わるというありがたい?論説も載ってます。
投稿情報: 麻酔科医 | 2007年7 月22日 (日) 17:50