[週刊東洋経済]医療特集を読む
東京日和@元勤務医の日々 2007.04.24
http://blog.m3.com/TL/20070424/1
Sky Team先生おすすめのこの雑誌。じゃじゃん。
病院売店でも売っていることがあります。(うちではまだ先週号を売ってたけど)
ぜひぜひ、医局に一冊。おうちに一冊。事務さんに一冊!!!ではどうぞ。
ちなみに【女性医師】を【女医】にしなかっただけ褒めてあげましょう。でも記事甘すぎぬるすぎ!もっと詰めてほしかったです。
【女性医師】国家試験合格者の3人に1人は女性
医師不足解消の切り札 ママさん医師活用が本格化
(週刊東洋経済 2007.4.28 p89-91)
「最低限の収入でも、食べていくことができればいいんです」。大阪市内の病院に勤務する大江恵医師(31)は、こうつ
ぶやいた。
形成外科医として働く彼女は、3歳の息子を育てながら働くシングルマザーだ。4月に現在の病院に移ったが、基本的な仕事は午前中の外来診察に限っている。息子を保育園に
預けた後、午前9時に出勤して午後1時には病院を出る。午後に手術が入ることもあるが、普段は家庭を優先している。
2002年に大学を卒業、研修医2年目で予定外の出産をした。だが、「この決断が専門医へのレールから外れるきっかけとなった」と語る。
病院における研修医は非正規職員でいわばアルバイトと同じ身分。そのため、有給での育児休暇の取得は認められていなかった。仕事を休んで子どもを育てることは収入源を失うことを意味する。「とてもじゃないけど、働かなければ活していけない」(大江医師)状態だった。
子育てとの両立で パート医師へ転身
息子が生後4ヵ月になって、大江医師はこの病院に復帰することなく、大学の医局に入り、大学病院で働き始めた。しかし、雑用が多い一方、勉強もしなくてはならない。当直は免除してもらっていたが、朝6時に家を出て、夜11時に家に帰る日々が続いた。その間、子どもの面倒を見ていた母親は、育児ストレスで倒れてしまった。
やむをえず、O歳児の息
子を保育園に預けなければならなくなったが、正規職員でないため、病院の院内保育所は利用ができなかった。
大江医師はその後もフルタイムで仕事を続けたが、子どもと触れ合う時間はほとんどなかった。「仕事に行かないで」とすがる子どもを振り切って出掛けるのもつらかった。
悩んだ末に出した結論は、最低限の収入だが、勤務時間が短い「パートタイマー医師」への転身だった。大江医師のように、育児中は時間に自由がきくパート医師として、復帰を希望する女性医師は非常に多い。だが、正規職員と同様の福利厚生が適用されないため「将来に対する不安は多い」天江医師)のが現実だ。
一方、フルタイムで働くママさん医師もいる。その一人が福井大学附属病院に勤める、里見聡子医師(35)だ。大学卒業後、まもなくして結婚した里見医師は、医局人事で病院を転々として、臨床経験を積んだ。そして05年に、大学院で受け持ち患者を持たずに研究生活に入った。出産を決意したのはそのときだった。無事に女の子が生まれると、千葉県の実家から両親を呼び寄せ、育児を手伝ってもらいながら、自分自身も1年間の育児休暇を取得した。
そして4月に現場に復帰したが、研究に専念していた期間も合わせれば、2年間、現場を離れていたことになる。最初は「勘が鈍っている」と感じたこともあったが、7年間の臨床経験が下地にあったため、不安をぬぐい去ることができたという。同じ勤務師は語る。医である夫の協力も得ながら、今度は「フルタイムで働き続ける」ことを目標に据えた。「医師にとって、出産を経験することは大きな糧になる。自分の生き方が病院内で一つのモデルとなればいい」と、里見医
ママさん医師の待迎 改善で医師不足も解消
この2人のように、出産後も仕事を続ける女性医師は貴重な存在だ。いまや女性医師の働きなくして、医療現場は維持できなくなっている。07年の医師国家試験合格者のうち、3人にー人が女性だった(下グラフ)。その一方で、出産を経験した女性医師のうち、2割が離職しているともいわれている。
医療の仕事を続けようとすると、「仕事優先で家庭生活は二の次」にせざるをえないのが現実だからだ。
しかし、子育て支援を充実させることで、2期連続増益にっなげた病院もある。大阪厚生年金病院(清野佳紀院長)がそれだ。
04年から、子育て中の全女性職員の待遇改善に着手。3年間の育児休業および1年間の有給を保証するとともに、子どもが小学校を卒業するまでは、週30時間の短時間勤務とフレックスタイム制を認めている。小児科の病室を転用して病児保育室も整備した。病院の職員は電車通勤が原則だが、子どもの送り迎えをする女性職員には、優先的に駐車場を割り当てる配慮もした。
「当病院は女性職員の比率が7割を超える。育児支援をしないほうが不思議です」と清野院長は言う。院内保育所の整備などで、看護師の子育てに配慮する病院は多い。だ
が、男性医師中心の職場内で、女性医師に配慮している院は少なかった。そうした中で、大阪厚生年金病は「出産適齢期にある若い女性医師を引き留めることこそ重要」(清野院長)という観点から、女性研修医やパート医師にまで子育て支援制度を適用している。
かつて大阪厚生年金病院の産婦人科は、男性医師2名だけになったことがある。その際、子育て中の女性医師4人を補充し、閉鎖の危機から免れた。周辺病院で産婦人科の閉鎖が相次いだことも手伝って、05年からの2年間で、分娩件数は200件近くも増加した。子育て中で当直できない女性医師の代わりを務める当直のアルバイト医師を新たに雇ったため、2年間で人件費が2400万円増えたものの、医業収入は1億6000万円も増えた。この4月、産婦人科には新たに男性医師、女性医師が2名ずつ加わった。激務に加え、訴訟リスクが高いため、産婦人科の不人気は著しい。だが、産婦人科医の数が多い厚生年金病院では、女性医師を厚遇した結果、男性医師を呼び込むことにも成功。小児科や麻酔科でも産婦人科と同じ現象が起きている。〃医師不足"など、みじんも感じさせない。
現在、同病院の女性医師の数は40人だが、子育て支援を受けているのは12人。後期研修医の内定者数23名のうち14名が女性。23名のうち大学医局からの派遣は3名で、ほかは病院による直接雇用だ。
清野院長は、「病院では医師・看 士はコストではなく資源。子育て中の女性医師も医師としての最低限の仕事をして、ちゃんと稼いでくれる。新卒医師も当病院なら安心して
結婚できるとやってくる」。病院経営受難の時代において、女性医師の活用は特効薬となりそうだ。
東京女子医大や医師会も女性医師の復職を支援
辞めた女性医師を再活用しようとする動きもある。東京女子医科大学は、「女性医師再教育センター」昨年11月に立ち上げた。出産・育児を理由に、長らく職場を離れていた女性医師を対象に、各人の事情に合わせて研修プログラムを実施し、復職の支援をするというものだ。
副センター長を務める茎呈〃ハ子医大の川上順子教授は、「長期間現場を離れていた医師に必要なのは技術的な要素。臨床のスピード感や医師としての白信、患者に対する接し方や臨床の勘を補う必要がある」と語る。実際の臨床現場を見ることがスムーズな復職の一助となるという。センターでは再就職先の斡旋はしない。就職という縛りがないので、
応募者も気が楽になるという。研修を受けた医師と研修先の病院の両者が合意して再就職が実現すれば、それに越したことはない。
当初、研修の委託先としては、東京女子医科大学病院のほか、地方にある5病院だけだった。だが、4月1日から、再教育センターと日本赤十字社との提携がスタートした。全国に散らばる日赤病院を研修先として選択することが可能になったのだ。地方の日赤病院で研修を終え、再就職することも考えられる。地方病院の医師不足解消の一助となる。川上教授は「地方には離職したままの女性医師が多い。眠れる女性医師の掘り起こしができればいい」と、日赤との提携に期待を込める。4月7日にはー人の女性医師が日赤病院での研修をスタートさせている。
こうした復職支援は、女性医師が増加の一途をたどる中で、「強く求められている事業だ」と川上教授は指摘する。現在、医師数に占める女性医師の割合は17%にとどまるが、
将来的には30%に近づくとみられる。すでに小児科では、女性医師比率が30%強に達している。今年1月、厚生労働省からの補助金-億2000万円を受けて、日本医師会が女性医師の再就職支援を目的とした「女性医師バンク」の委託
運営を始めた。求職者登録数2500名、再就職支援件数200件を目標としている。すでに3月31日時点で84名が求職者に登録。女性3人の再就職が決まった。これまで民間
業や地方自治体が運営する医師バンクはあったが、日本医師会が統一運営することで、少なからず追い風になるだろうと期待されている。
「働きやすい病院」の評価事業を行つNPO法人「イージェイネット」の瀧野敏子代表理事が警鐘を鳴らす。「若い医師たちは男女を問わずワークニフイフ・バランスを重んじるようになった。病院は手をこまねいていると、人材を集められなくな
る。経営改題として、女性医師への待遇改善に取り組む必要がある」。さて、あなたの病院は大丈夫ですか?
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