子宮外妊娠の思い出にはいくつかの想い出があります。
というのも、
私が初めて手術を執刀したのは子宮外妊娠でした。
その症例は卵管妊娠で、
未破裂の状態で発見されました。
予定の手術をたてて、卵管搾り出し手術と言うか、
卵管から胎児・胎嚢を搾り出す手術を行ったのです。
もう既になんらかの理由で反対側の卵管が、
手術してなくなっていたという理由があったように思います。
うろ覚えですが。
搾り出し手術は一見成功したように見えました。
搾り出した組織の中から胎嚢成分も確認されました。
でも尿中hCGが一旦下がったものの、
再び上昇を始めたのです。
再手術となり卵管を切除しました。
私は、泣きました。。。。
あれから幾久しく何例どころか
何百例くらいの症例を手術してきました。
中には出血性ショックで息も絶え絶えの症例もありました。
夜中に緊急手術をして、ようやく助かった症例もあります。
輸血をした症例もあります。
命が数時間で危なかった症例
(私には3症例)はすべて
卵管妊娠の中でも「間質部妊娠」
と呼ばれるほとんど子宮が破裂する
ような状態での妊娠でした。血が噴いていました。
でも多くは卵管膨大部の妊娠で、
こちらは割と進行がゆっくりめです。
経膣エコーで破裂前に場所が特定できる場合もあります。
研修医が間違って前日夜に「腹痛」で返してしまった症例でも、
翌日、手術で助かるケースもかなり多いのです。
また、腹膜妊娠という例もありました。
これは、出血部を探すのに40分、
(腹膜は範囲が広いのです。。。)
諦めた頃にようやく出血部を発見。
縫うのが1分足らずという、大捜索の手術でした。
hCGの価が測れるようになったのが
いつくらいからかは覚えていませんが、
少なくとも10年位前までは手でキットを使って、
自分で測定していました。
測定値が高く、
「子宮外妊娠の可能性が高い」方には入院してもらい、
破裂して死にそうになるなんてバカなことになる前に、
手術をするのですが、全然感謝されません。
却って、
「なんかわかんないけれど医者に卵管とられた!!!」
って口でハッキリ言われたこともありました。
「命を守るためにやったのにっ!!!」
と涙ぐんでいたら、
「子宮外妊娠は痛くなってからやらないと
瀕死を救わないとありがたみがわからない。
卵管を失うわけだしな。。。痛くなるまで待つか?
手術してくださいって土下座するまで待つか??
難しいよな。。。」と上司がつぶやきました。
「痛くなるまで育てる」。。。
考え方としてはアリだとは思います。
ただ、膨大部ならそれでも大丈夫なのですが、
部位がはっきりしない場合には命取りになりかねません。
子宮外妊娠の「安全な」手術はハッキリ言って、
患者さんには実感がなく、術後にしか痛みがなく、
なんで緊急性があるのかもわからず、
そして怨まれる疾患でもあります。
そんな時、やはり私達は人間だから心が折れます。
だからといって、どうだと言うわけではありませんが、
そういう疾患があるってこと、
みなさんに知って戴きたいと思っています。
深谷赤十字病院の妊娠管理の説明文書http://www.fukaya.jrc.or.jp/department/sanfujin/setsumei.html
<補足: 異所性妊娠(子宮外妊娠)について>
異所性妊娠とは、子宮の外側や子宮のはじに妊娠してしまう病気です。診断がつけば、多くの場合で緊急手術が必要となります。卵管に妊娠するケースが最も多く、それが破綻すると出血を引き起こし、出血性ショックにつながることもまれではありません。ただし、かならず腹痛などの症状を伴いますので、症状がないまたは軽度であれば経過を見ながら判断していきます。妊娠の初診の時に、子宮内に胎のう(胎児が育ってくる袋)が見えなかった場合には注意してください。
急に腹痛が強まったときや不自然に感じる腹痛を認めた場合には、早めに連絡し相談してください。その際には必ず、異所性妊娠の可能性がある旨を申し出てください。
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