(投稿:by 僻地の産科医)
きゃーんっ!!!しのぴー先生の記事です!!!
この春、ついにエベレストに登頂されました。
産婦人科の一人医長で、山が大好き!山男です。
こちらで産婦人科の日常を日々描いておられるのですけれど。
婦日の寝不足日記
http://homepage2.nifty.com/gynealp2/page012.html
かなり面白いです。
現実にはいろいろと難しいことも起きているみたいですし、
イヤになっちゃうことだっていっぱいあると思うんですけれど、
毎日頑張っていらっしゃいます。
以前、お伝えしたことがありますが、
飛騨の産婦人科医は相当少ない人数で頑張っています。
特に産科を支える医療機関は少なく、
この広大な地域で支える3病院1診療所のうちの、
「1病院」がこの篠崎先生の力で支えられています。
(一人医長だから~) でも夢を捨てないところがうらやましい~。
軸丸さまの取材です(>▽<)!!!どうぞ!!
7大陸最高峰登頂に成功した産婦人科1人部長
久美愛厚生総合病院(岐阜県高山市)産婦人科部長・篠崎純一氏
軸丸 靖子
MTpro 記事 2009年7月6日掲載
http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/0907/090709.html?ap
セブン・サミッター―7大陸最高峰の登頂に成功した人に与えられる称号を,今年(2009年)5月のエベレスト登頂をもって獲得した。その本業は,医師不足のなかでも不足度著しい産婦人科の,しかも激務の地方病院1人部長。それでも「今しかない」と3か月半の長期休暇を実現し,高所トレーニングを兼ねて5峰を登る“冒険”をやり遂げた。6月帰国し1人部長の日常に戻った今,「登山と産婦人科医の仕事は似ているかもしれない」と穏やかな笑みを浮かべる。
酸素マスクに呼吸困難の恐怖,「生きるか死ぬかの闘いだ」
「ずいぶん高いところへ来たな」。標高8,848m,飛行機が飛ぶのとほぼ同じ高さの世界最高峰に立った感触は,それまでに登ったどんな山とも異なったという。大気圏ぎりぎりの高さで見る空の色は,濃すぎるほど濃い青。写真では黒っぽく写るほどだった。ずいぶんポピュラーにはなったが,エベレストは今も世界の手だれの登山家が命がけで挑む難関だ。雪崩,滑落,酸素切れ。万全の備えをしていても遭難者は後を絶たない。
篠崎氏も途中,死の恐怖を味わった。標高7,200mのC3(キャンプ3)からは睡眠用に酸素ボンベを使うはずが,レギュレータの接続不良がわからず,酸素が吸えなかったのだ。死なないためには頻回の呼吸を一晩中繰り返し,薄い空気から自力で肺に酸素を取り込まなければならない。一睡もできない,長いつらい夜だった。
翌日は,行動用酸素ボンベを1本背負って標高8,000mにあるC4へ登らなければならない。既に疲れていた同氏を気遣い,シェルパ(登山の案内や荷物運びを務める現地民)の長が同氏の酸素の流量を少し多めに設定してくれた。それで動きが軽くなったのはよかったが,初めての酸素ボンベを使っての行動に戸惑った同氏は,予測以上に多くの酸素を消費してしまった。
8,000mに達するころには酸素残量はほぼゼロ。昏倒してもおかしくない状態で,1歩ずつ足を引きずるようにC4にたどり着き,ストックしてある酸素ボンベから酸素を貪り吸った。「手も足もゆっくりしか動かず,周囲も薄暗くしか見えなかったのに,酸素を吸っていると周りが明るくなって,視野が広がってくる。体温が上がってくるのがわかるんです。じわっと汗も出てくる。足も軽くなる。人間は酸素でこんなふうになるのだ,と身をもって知りました」
文字通り生き返ったが,頂上アタックまで休めるのはわずか4時間。ゆっくり体力を回復させる時間はない。もう降りたいと言い出した隊員もいたが,ガイド役である日本人の登山家が「みんな生きるか死ぬかで登るんだ」と叱咤した。実際,チャンスは二度とない。同氏も命がけの覚悟を決めた。
覚悟が決まってからは,むしろ余裕が持てた。頂上アタックには深夜出発し,およそ8時間で山頂に到着。酸素残量の関係で滞在は20分ほどだったが,制覇した感動を味わうには十分だった。「危険でもあるし,大変だし,手間もお金もかかるけれど,エベレストってやっぱり特別でした」。4人の隊員全員が無事に到達できたことも喜びを大きくした。
「今を逃せば二度とチャンスはない」3か月半の休暇取得
登山計画は1年がかりだったという。勤務先の久美愛病院がある岐阜県高山市は,東京都より大きな面積に人口9万人余りが住む山間の小さな街。同院を含めて市内3か所しか分娩施設がない。妊婦は近隣の飛騨市,神岡町からも通ってくる。篠崎氏は同地域の分娩の約3分の1,年300件余りを1人で扱う,代わりが効かない存在だ。
それでも,数年前から春先の2~3か月間だけ分娩制限をして,その間に10日ほど休暇を取ることを始めていた。「12年前にこの病院に来て,多いときは1人で月50件の分娩を扱うこともありました。これでは保たないので,こうした休みの仕組みをつくったのです」
それがたまたまこの春だけ,長期間代務に来てもらえる医師が確保できることになった。これから先体力が衰えていく45歳という年齢もあり、心の底に残しておいた冒険心に火がついた。学生時代から世界の難峰を登ってきた根っからの山男だ。エベレストへ登りに行くと言ったら,病院長や事務長は寛大に協力してくれた。
病院,医局,地域医療機関,そして地域の住民の理解を得て,周到に長期休暇の準備を進めていった。分娩数を制限するとはいえ,婦人科系の入院患者もいる。3か月半の間に来てくれた代務の医師は延べ20人近くに上った。大勢の理解と協力,応援がまた,厳しい冒険へ気持ちを奮い立たせてくれたという。
セブンサミットは面白い!
エベレスト登山前の2か月間は,高所順応のためのプレ登山を計画していた。そこで目に入ったのが「セブン・サミッツ」だ。エベレストの前にニューギニア島・カルステンツピラミッド(4,884m)とコーカサス山脈・エルブルース(5,642m)を踏破すれば,7大陸最高峰登頂が達成できる。そのほかに6,000m超の山2峰に登るのだから相当欲張りな計画だったが,「この際(セブン・サミッターになることを)意識して登りました」。
7大陸最高峰に登頂した感想は「面白かった!」という。
「行っても登れない人や亡くなる人も多いなかで,無事達成できたのは本当に幸運だったと思います。狙うだけの価値もありました。7大陸最高峰は,そこに至る過程が面白いんですよ。南極へ行ったり,泥のジャングルに入ったり,サバンナでライオン見て喜んだり,アラスカでオーロラを見たり,酸素マスクを付けてエベレストのような高いところへ行ったり。まさしく地球大紀行なんです」
ちなみに,泥のジャングルとは,今回登頂したカルステンツピラミッドのこと。岩山に取りかかる前に片道6日間のジャングル行があったのだ。ペニスケースを付けた原住民らが,外国人は不吉だなどといって通行止めを設けていたりする。避けて通ろうとすると石でつくった矢が飛んでくる。そんな“濃い”世界だったという。
産婦人科の仕事と登山は似ているかもしれない
45歳の濃すぎる冒険の日々を終えて,6月上旬に診療に戻った。「すごい達成感と同時に,若干の燃え尽き感があります。いつかはと思っていたけれど,本当にやっちゃったんだなと。病院に出始めたらあっという間に日常に戻ってしまいましたけれどね」
これから1年は,仕事を落ち着かせることを課題に据えるという。取材の前夜も夜中に緊急帝王切開が1件あった。寝不足のまま,体力に任せて昼間の診療に当たり続ける今の勤務態勢がよいとは思っていない。
「今のままでは続かない。(助産師の活用など)できる限りの工夫はしているけれど,根本的に今後どうしていくのか考えなければならないと思っています。そういった意味で,今回の旅は1つの区切りになるかもしれません」
いつ何が起こるかわからない産婦人科医の仕事は,登山と共通している部分があるという。「瞬時の判断で起きたことに素早く対処することが求められるところなどが,似ているなと思うことがありますね。それが自分の性格には合っているのかもしれません」
流石にエベレストは生涯無理ですけど、富士山は社会人になるまで3回登りました。
機会があればもう一度富士山には登ってみたいけど、現実問題、無理っぽいなぁ・・・。
投稿情報: 風はば | 2009年7 月 9日 (木) 13:14
全然僻地に住んでない僻地の産科医先生こんにちは。僕の記事をご紹介いただき有難うございます。
エベレストは遠い昔の事となり、今は日々の業務にしのぎを削ってます。
近いうちに空から舞い降りる天使になって助けに来て下さい。それではまた。
投稿情報: 篠崎 純一 | 2009年7 月 9日 (木) 20:23
ド僻地のしのぴー先生(>▽<)!!!
こんにちはっ!!!
今日、先生の噂を聞いちゃった~。
え~っ!!そうだったんだぁっ!!!
とビックリデス。
また今度!ぜひぜひ。近いうちお会いできるのを楽しみにしています。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2009年7 月 9日 (木) 21:09