(投稿:by 僻地の産科医)
佐藤先生の連載です(>▽<)!!!
すでに7回目。
↓ ちなみにこちらの東京保険医協会の原稿は必読です!!!
被告人の視点からみた医療司法問題の実際
東京女子医科大学日本心臓血圧研究所
循環器小児外科元助手 佐藤一樹
(診療研究第447号2009.05 p5-15)
http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/files/447_2009.pdf
では、どうぞ。
なんとなく染入る感じのシチュエーションです(;;)。
東京女子医大事件◆佐藤医師インタビュー
逮捕はボストン留学の直前だった
小児心臓外科医の道は断念、「今後は経験を語っていく」
聞き手・橋本佳子編集長
m3.com 2009年5月28日
http://www.m3.com/iryoIshin/article/95991/
――先生は最近、医療事故に遭遇したり、警察の取り調べを受けた医師から相談を受けるそうですが、どんな質問が一番、多いのでしょうか。
まず聞かれるのは、「何していいか分からない」ということ。皆、警察が来るということで、どこから対応していいか分からず、漠然とした不安を抱えています。この場合、いい弁護士に依頼する以外にないと思います。僕の場合も、喜田村先生と二関先生、お二人の力が本当に大きかった。
――お二人の先生には、どのような経緯で依頼されたのですか。
二関先生が僕の高校の同級生だったのです。逮捕前、警察の取り調べが始まるということで、二関先生に相談したら、喜田村先生を紹介してくれた。
権力と戦うためには、ある程度の資金と膨大な努力、地道な作業が必要。裁判で書面として提出され、表舞台に出るのはごく一部。その背景には、ものすごい準備作業があります。それまでの証拠を丁寧に読み込んで、証人尋問案を作る。それを検討する。こうした作業を先生方は丹念に繰り返されていました。
優秀な弁護士であれば、時間を惜しまずにこうした準備を行っています。いい加減なことをやったり、でまかせで対応すると、必ずあとからほころびが出る。喜田村先生には、取り調べを受けるに当たっては、「絶対に、うそだけは言っちゃいけない。有利になることも、不利になることも100%間違いのないことを言わないと、絶対につじつまが合わなくなる」と言われました。
逮捕前の取り調べは計17回、逮捕後は連日、午前と午後、取り調べがある。多数の調書ができ上がるわけです。最初から最後まで一貫して同じことを言うためには、真実を語る以外にないのです。
――弁護士が違っていたら、展開が変わっていた可能性はあり得ると。
そうです。皆さんから、「佐藤先生は精神力が強いから」とは言われるのですが、全然そうではなくて、弁護士の先生方が支えてくれたから、ここまで来ることができたわけです。そもそも僕自身、最初は全く法律関係の知識はなかったですから。
普通の忙しい医師だったら、自分の仕事に没頭していて、それが楽しくて、苦しいことでも耐えられる。だから法律のことなど、どうでもいいんです。もし僕が小児心臓外科をそのまま続けていたら、留学して、大野病院事件についても「あ、そんな事件があったんだ」くらいの認識で終わっていたかもしれません。実際には初公判をはじめ、何度か福島まで行きましたが。
――この事件がなかったら、先生はどんなキャリアを重ねていたのでしょうか。
僕は比較的恵まれていて、6、7年目で成人、小児とも、主要な手術を経験していた。2001年にカナダのトロントで、小児心臓外科のテーマで学会発表していた。海外学会での口演発表はこれが初めてでした。
逮捕当時、僕は卒後11年目で、千葉県こども病院で勤務していました。大学病院にいると、どうしても上の医師が多いので、難しい手術はあまりやらせてもらえなかった。でも、千葉に行ったら、僕がメーンになることも多くなり、難しい手術ができるようになった。「たぶん、この手術は日本全国でも、やっている人はあまりいない」といった手術をやり始めたところだった。
当時、女子医大では、米国のハーバード大学の関連である、ボストン小児病院に交代で留学していたのです。「次は僕の番だ」ということで、英語があまり上手ではなかったので、英会話を習ったりしていました。つまり、逮捕されたのは、まさに小児心臓外科を究めようという時でした。一番、仕事に没頭するのが楽しい、「ベクトルは上に向かっていくんだ」という時期。
――最も、精神的にも体力的にも充実していた時期だった。
そのころ僕は2日に1回は病院に泊まっていましたからね。外科医は3人いたのですが、1人は年配の方だったので、実質的に2人で交代で当直していました。ボランティア当直でしたから、心臓外科が好きで体力がないとできなかったですね。それでも自分たちにとっては当たり前で、やりたいことだったので、苦しいという思いはなかった。
――でも逮捕後は、保釈されても、学会にも行けない状態になった。
「関係者に会ってはいけない」というのが保釈の条件でした。既に発表が決まっていた学会もありましたが、上司が代わりに発表してくださいました。
――現在、こちらの病院でやっているのは成人の手術のみですか。
はい。でも成人でも、簡単な手術はやっていますが、第一オペレーターとして本格的な手術をやることはないです。
――それはなぜでしょうか。
病院側は、今度、本当に事故があったら、大変だと思っているからでしょう。心臓の手術をやっていれば、9割5分以上の成績を出すのは容易ではない。仮に9割8分でも100人に2人は死亡するわけです。今は90歳を超えても心臓手術をする時代。手術しないと死亡する可能性が高く、一方で年齢的に手術を乗り切れるかというケースがある。このまま手術しなければ、死んでいく人を何とか助けるために手術する場面も結構あります。
僕が手術して、仮にやむを得ない場合でも、患者さんが死亡して、それが報道されれば大変なわけです。
でも僕の外来に来てくれる患者さんの中には、僕が裁判中だったことを知っている人は多かったですね。結構、大きく報道されていましたから。
――これからはどんな方向性をお考えなのですか。
小児外科は2日1回泊まりこんで、何とか成り立つ世界。もうそこまでできないし、8年間で僕の小児心臓外科医としての知識は、非常にプアなものになってしまった。もうベクトルはこちらに向かわないです。
実は一審判決が出た後に、小児心臓外科に戻る話が二つくらいあった。でも、これらの話はなくなったので、小児心臓外科はもう絶対にできないという状況は数年前に決まっていた。しがたって、今後はここの病院でやっていくか、あるいは開業するくらいの選択肢しかないですね。
ただ、刑事裁判や“医療事故調”の問題に関して、僕に発言を求める人がいます。一過性のことだとは思いますが、それに応えていく社会的な使命は感じています。僕は人に頼まれて、期待されると、断ることがあまりできない性格なんです。学生時代、コンパでウイスキーのボトル1本飲まされたこともありましたから(笑)。僕しか経験できなかった世界もあるので、それを伝えていければと思っています。
まさに人生が狂わされた/狂ってしまったとしかいいようがないですね。
>留学前
投稿情報: 卵の名無し | 2009年5 月29日 (金) 22:27
実にもったいない。
不幸な事案だったのでしょうが・・・。
本当に、「時間」も小児心臓外科という
専門家として活躍する「場」も奪われて。
投稿情報: うーん | 2009年6 月10日 (水) 00:15