(関連目次)→新型インフルエンザについても集めてみましたo(^-^)o
(投稿:by 僻地の産科医)
わが国の新型インフルエンザ対策
内閣官房長官補付内閣参事官
伊藤善典
(日医雑誌第137巻・第10号/平成21(2009)年1月 p2096‐2099)
I.新型インフルエンザ対策の経緯
政府内で新型インフルエンザ対策確立の必要性が認識されたのは,平成16年ごろである.鳥インフルエンザが各地で発生したため,平成16年3月,関係閣僚会合が「鳥インフルエンザ緊急総合対策」を取りまとめ,このなかで新型インフルエンザ対策に取り組む必要性にも触れた.また,同年8月,厚生労働省の新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会が「新型インフルエンザ対策報告書」を取りまとめている.
これ以降,新型インフルエンザに関する知見や危険性に対する認識が次第に深まり,平成17年11月,新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザに関する関係省庁対策会議(以下,関係省庁対策会議)が「新型インフルエンザ対策行動計画」(以下,行動計画)を策定し,平成19年3月,厚生労働省の新型インフルエンザ専門家会議(以下,専門家会議)が13のガイドラインを作成した.また,平成18年9月,発生時の政府の対応を確認するための1回目の総合訓練を実施した.これらにより,対策のメニューがおおむね見えてきたということができる.
その後,対策の内容を,実際の場面を想定し,省庁間の連携を図りながら具体化していく作業を開始した.平成19年10月,新型インフルエンザが発生した場合に総理をトップとする対策本部を設置するための閣議決定を行い,新型インフルエンザ対策は国家の危機管理の問題であることを明確化した.
平成20年4月,関係省庁対策会議において,外国で新型インフルエンザが発生した場合の水際対策等に関するガイドラインや政府の初動対処要領の案を公表し,同年9月には,ワクチン接種の進め方についての案を公表した.他方,専門家会議では,同年4月,新型インフルエンザの発生前にプレパンデミックワクチンの事前接種の検討を行う方針を明らかにするとともに同年7月,経済社会の被害想定と共に企業の事業継続計画策定の手引きを示した「事業者・職場における新型インフルエンザ対策ガイドライン(改定案)」を公表した.また,同年4月には,新型インフルエンザ対策の強化を目指した感染症法及び検疫法改正案が成立した.
なお,同年6月,与党の鳥由来新型インフルエンザに関するプロジェクトチーム(与党PT),抗インフルエンザウイルス薬の備蓄増等を内容とする提言を取りまとめた.
以上の検討を踏まえ,平成20年11月,関係省庁対策会議は,行動計画を全面的に見直すとともに既存の各種ガイドラインを「新型インフルエンザ対策ガイドライン」として整理・体系化した.これにより,対策の全体像を示すことができたと考えている.
Ⅱ.新型インフルエンザ対策の概要
行動計画によれば,新型インフルエンザ対策の基本的考え方は「新型インフルエンザの発生時期の予知は困難であり,発生の阻止も不可能.世界のどこかで発生すれば,わが国への侵入も避けられない.対策の目的は,感染拡大を可能な限り抑制し,健康被害を最小限にとどめるとともに社会・経済を破綻に至らせないことである」とされる.すなわち,水際対策によりウイルスの侵入を防ぐことは難しいが,侵入や国内での感染拡大をできるだけ遅らせ,時間を稼ぐ.その間に ワクチンの製造を急ぎ,社会機能を維持するための準備を行うことになる.
新型インフルエンザの発生により想定される被害や影響については,行動計画に示されている.発症者数3,200万人(発症率25%),受診者数1,300万~2,500万人,入院患者数53万~200万人,死亡数は17万~64万人(致死率0.5~2.0%),欠勤率は最大40%などと想定され,このような事態になれば,政府や企業の活動は大幅な縮小を余儀なくされる.
被害を最小化し,社会機能を維持するためには,どのような対策を講じるべきか.現時点では,個々の対策の有効性には不確定要素が多く,1つの対策への偏重にはリスクを伴うことから,複数の対策を組み合わせて準備することが必要である.対策の体系は図1のとおりであり,その柱は,予防(ワクチン),水際対策,国内での感染拡大防止,医療の確保,社会・経済機能の維持である.以下,対策の概要を紹介する.
1.予防
(1)プレパンデミックワクチン
プレパンデミックワクチンは,鳥一人感染の患者または鳥から分離されたウイルスを基に製造されるワクチンであり,現在はH5N1を用いて製造されている.現在,ベトナム株とインドネシア株を500万人分ずつ,中国・安徽株を1,000万人分備蓄しているが,平成20年度中に中国・青海株を1,000万人分積み増す方針である.
プレパンデミックワクチンについては,従来,新型インフルエンザが発生した時点で医療関係者や社会機能維侍者への接種を開始する方針であったが,平成20年4月,専門家会議は,平成20年度中に約6,000人を対象にプレパンデミックワクチンを用いた臨床研究を行ってその有効性や安全性を評価し,平成21年度,その結果を踏まえ,医療従事者等に対する事前接種について検討を行うとの方針を打ち出した.そのうえで,高い水準での安全性が確認されれば,医療従事者等以外の者への事前接種についても検討を行うこととされた.
(2)パンデミックワクチン
パンデミックワクチンは,人-人感染を起こし,パンデミックとなるウイルスを基に製造される.プレパンデミックワクチンと同じく,その製造には,鶏卵でウイルス株を培養し,ウイルスを採取したうえ,不活化,精製を行うという工程が必要となる.このため,現在の国内の製造能力を前提とすると,全国民分のワクチンを製造するためには,発生から1年半程度の期間がかかることになる.しかし米国では,平成23年を目途に,細胞培養により半年以内に全国民分のワクチンを製造する体制を整える方針である.この技術では,鶏卵に代え,細胞を用いるため,資材調達や生産工程管理の観点から製造期間の短縮が可能になる.わが国でも同様の目標を掲げ,研究開発を進めることとしている.
(3)ワクチン接種の進め方
プレパンデミックワクチンについては,現時点では有効性・安全性が明確ではないものの,希少資源であるため,混乱を招かないよう,接種の対象者や順位を明らかにしておく必要がある.また,パンデミックワクチンの場合も,全国民に行き渡るまで一定の時間がかかることから,あらかじめ接種の順位を決めておく必要がある.具体的には,医療関係者のほか,水際対策,治安維持,公共サービスの提供等に関わる者が先行的な接種の対象となる.これらの者は,国民の生命・健康を守り,社会機能を維持するため,感染リスクにさらされながらも社会的使命や職責を果たすよう求められるためである.
2.水際対策
水際対策は,ウイルスの侵入防止の徹底と在外邦人のすみやかな帰国という,相反する課題の両立を可能な限り追求しようとするものである.海外で発生した場合,在外邦人に対し,感染症危険情報を発出し,早期帰国を促す.帰国を望まない者や感染者の場合,在外公館が医療機関の紹介等支援を行う.他方,外国人については,査証発給の厳格化等により入国を制限する.検疫実施空港・港を集約化するとともに入国者の健康状態と発生国滞在の有無を確認し,感染のおそれがある者に対しては,入院,停留,自宅での健康監視等の措置を講ずる.
在外邦人の帰国については,難しい判断が求められる.発生初期の段階では,在外邦人は直行使を利用して帰国するが,現地で感染が拡大すれば,航空会社の判断により運航停止となる可能性に加え,政府として直行使の運航自粛を要請し,代わりに政府専用機や自衛隊機の派遣を検討することかありうる.これは,帰国が一時期に集中すれば,停留場所が確保できず,帰国の時間的・量的調整を行う必要が生じるためである.特に多数の邦人が滞在する国で発生した場合,運航自粛要請のタイミングや現地に残された邦人に対する支援策が問題となる.停留場所については,空港周辺の宿泊施設を借り上げる方針であるが,事業者の合意を得ることが必要である.
3.国内での感染拡大防止
国内にウイルスが侵入した場合,できる限り感染拡大を抑制することが必要である.企業,地域,家庭等においてそれぞれ感染防止策を講じるほか,国・自治体は,国民や事業者に対し,外出・集会の自粛,学校休業,不要不急の業務縮小を要請することになる.
4.医療の確保
(1)抗インフルエンザウイルス薬の備蓄
抗インフルエンザウイルス薬は,ウイルスの増殖を阻害し,症状を軽減したり,発疹を予防する薬である.わが国では,現在,タミフル2,800万人分,リレンザ135万人が備蓄されている.これは人目の23%に相当する量であるが,今後,諸外国の状況等を参考に,45%に引き上げる方針である.
(2)地域医療体制の整備
新型インフルエンザの患者が発生した場合,まず,感染症指定医療機関への入院を勧告する.患者数の増加に応じ,発熱相談センター等が振り分けを行うとともに結核病床や一般病床を活用する.患者数が100人を超えるようになれば,すべての医療機関を活用する.患者数がさらに増えれば,入院勧告ではなく,軽症者は自宅療養,重症者は入院に振り分けられ,病床が足りなくなれば,公共施設も活用する.今後,発熱外来や病床,人工呼吸器等の整備を進めるとともに各地域において,保健所,医療機関,市町村,消防等の連携体制を構築していくことが必要である.
5.社会・経済機能の維持
(1)国・自治体の危機管理体制の整備
国の危機管理体制については,発生の疑いが生じた場合,直ちに関係省庁が参集し,感染症危険情報発出,検疫体制強化等の協議を開始する.発生の疑いが強まれば,関係閣僚会議を開催し,水際対策や在外邦人支援,ワクチン接種等についての基本的対処方針の協議・決定を行う.WHOがフェーズ4を宣言すれば,新型インフルエンザ対策本部を設置し,公衆衛生等の専門家の意見を聴きつつ,方針決定を行うことになる.
また,各省庁では,重要業務の絞り込みや人員計画などを盛り込んだ中央省庁業務継続計画の策定を進めることとしている.
都道府県の場合,これまで新型インフルエンザに対する認識の程度に相当ばらつきがあったが,平成20年以降,総じて関心が高まってきた.すでに全都道府県で行動計画が策定されているが,医療体制の整備を含め,実際の場面を想定した具体的なマニュアルを整備していくことが必要である.市区町村においても,都道府県と協力し,住民の生活支援のための具体策を検討する必要がある.
(2)企業の事業継続計画の策定促進
感染拡大時には,民間企業に対し,不要不急の業務の縮小を呼びかけることになる.特に不特定多数の者が集まる興行施設等に対しては,事業の自粛を強く要請する.他方,社会機能の維持に関わる業種・職種については,必要最低限の国民生活を確保するため,ワクチンの先行接種の対象にするとともに事業継続計画の策定を要請する.
Ⅲ.今後の課題
新型インフルエンザに間する科学的知見や対応の考え方は年々進化しており,行勤計画等の内容については,国際的な整合性に留意しつつ随時見直すことが求められる.
今後の課題は,すでに述べたもののほか,新型インフルエンザ対策に対する国民の理解の促進とその実施のための財源の確保である.前者については,国民に対する広報・啓発の強化が必要であり,後者については,国・自治体の予算をいかに確保するかということである.新型インフルエンザはいつ発生してもおかしくないといわれているが,巨額の予算を投じることから,仮に発生せず,空振りに終わるとしても,税金の無駄遣いではなく,安心確保のためにはやむをえないことについて,国民に十分理解してもらうことが必要である.
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