(関連目次)→新型インフルエンザについても集めてみましたo(^-^)o
(投稿:by 僻地の産科医)
WHOの新型インフルエンザ対策
東北大学大学院医学系研究科 微生物学教授
押谷 仁
(日医雑誌第137巻・第10号/平成21(2009)年1月 p2091‐2095)
はじめに
新型インフルエンザによるパンデミックが起きた場合,その影響は世界中に及ぶと予想されており,WHO(World Health Organization ; 世界保健機関)も新型インフルエンザを最重要課題の1つとして位置付け,その対策を推進してきている.ここではWHOの取り組みを中心として,グローバルな視点から新型インフルエンザ対策を考えていきたい.
I.WHOの新型インフルエンザ対策の歩み
WHOが新型インフルエンザ対策に本格的に取り組むのは1997年の香港での鳥インフルエンザA(H5N1)の流行以降である.この香港の流行はマーケットのニワトリなどを大量に処分することによりコントロールされることになるが,新型インフルエンザのパンデミックが差し迫った危機であることを世界に広く知らしめ,新型インフルエンザ対策が進むきっかけとなった.これを受け,1999年にはWHOとしての初めてのパンデミックプランである“Innuenza-pandemic preparednessplan”を発表することになる. この文書のなかでは主に新型インフルエンザ発生時のWHOの役割について記載されている.
この後,2003年末から鳥インフルエンザA(H5N1)の流行がアジアを中心として大規模に起こり,パンデミック発生のリスクがさらに差し迫ったものとして捉えられるようになった.1999年のプランには各国の対応などが必ずしも十分に記載されておらず,パンデミックのフェーズが鳥インフルエンザのリスクに対応していないなどの問題があることから,WHOは1999年のプランを全面的に見直すことになった.
2004年4月にはWHO consultation on priority public health interventions before and during an innuenza pandemic という大きな会議がジュネーブで開かれ,その会議の結果を受けて,新たなパンデミックプランである“WHO globalinnuenza preparedness plan”が2005年に発表された. このプランのなかでは,パンデミックフェーズを1~6に規定レそれぞれのフェーズごとの対応が詳細に記載されている.しかしこの2005年のプランも,その後の新型インフルエンザ対策に開する急速な進展を反映していないということで,2007年末からこのプランの見直し作業が行われている.
Ⅱ.パンデミックフェーズ分類
2005年に発表されたWHOのプランでは表1に示したように,まずパンデミックの段階を大きく3つの段階,すなわちパンデミック間期(Inter-pandemic period),パンデミック警戒期(Pandemic alert period),パンデミック期(Pandemic period)に分類している.
パンデミック同期は差し迫ったパンデミックの危険がない状態で,このなかには鳥類などの動物での感染有無によりフェーズ1とフェーズ2に分類されている.パンデミック警戒期は差し迫ったパンデミックの危険のある場合で,具体的にはそれまでヒトで大規模な流行を起こしたことがないか,長期間にわたり流行を起こしたことのないウイルスによるヒトの感染が確認された段階である.このなかには,ヒトからヒトヘの感染がみられないか,みられても非常に限定的であるフェーズ3,およびヒトからヒトヘの感染が増大し,ヒトでの感染着の集積がみられるフェーズ4と,それが地域的に拡大するフェーズ5が含まれる.さらに世界各地にウイルスが広がってしまった段階がパンデミック期であり,これはフェーズ6ということになる.
Ⅲ.パンデミックフェーズごとの基本戦略
WHOの新型インフルエンザに対する戦略的なアプローチは,2005年に作成されたプResponding to the avian innuenza pandemic threat"というWHOの文書に詳しく述べられている.ここではこの文書に基づいて,その概要を述べる.
1.新型インフルエンザ出現の前段階
新型インフルエンザ出現の前段階,すなわちフェーズ3までの対策の大きな目的は,ヒトでの感染を防ぐとともに,トリでの流行をコントロールすることによって,新型インフルエンザの出現を阻止することにある.そのために,まず必要なことはトリでの流行をコントロールすることである.このためには保健分野と農業分野がその枠組みを越えて,さまざまなレベルで協力して,対策にあたる必要がある.すなわち,国際的にはWHOと国連食糧農業機関(FAO)や国際獣疫事務局(OIE)との協力が,国のレベルでは保健省と農業省との連携が欠かせない.また,トリからヒトヘの感染のリスクを減じることも重要となる.そのためには死んだニワトリには触らないなどという教育キャンペーンの役割も重要になってくる.
2.新型インフルエンザの封じ込めの可能性
パンデミックを起こす可能性のあるウイルス(すなわちヒトからヒトヘと容易に感染するような新型インフルエンザ)が出現しても,迅速な対応ができればウイルスの封じ込め(rapid containment)ができるという可能性がある.タイ農村部を舞台として構築された疫学モデルの結果によれば,封じ込めは理論的には可能であるとされている5凰封じ込めの基本的な方法としては,まず初期発生例の見付かった人口数万~10万程度の地域を封じ込め地域として設定し,そのなかの住民に抗ウイルス薬であるオセルタミビル(タミフル)を予防投与する.予防投与を行うだけではウイルスがその地域の外に広がってしまう可能性があるので,同時に設定された地域とそれ以外の地域との人の移動の制限を行う必要がある.さらに実施地域内では自宅待機,集会の制限,学校の閉鎖などのさまざまな対策も同時に行う必要があるとされている.
このような対策を行っても,封じ込めは必ずしも成功するという保証はない.むしろ実際の現場での封じ込めの成功の可能性は低いとする専門家の意見もある.封じ込めが成功するためにはさまざまな条件を満たす必要がある.その条件のなかには,どんな場所に出現するのかというような地理的な条件,ウイルス学的条件や社会的な条件が含まれる.また,このような対策を短期間に実施することにはさまざまな困難が予想される.
しかし,新型インフルエンザが一旦,パンデミックを起こしてしまえば,それをコントロールする方法はほとんどなく,莫大な被害が想定されている以上,早期の封じ込めの可能性がわずかでもある限り,それを検討していくことは必要であると考えられる.そのような観点からWHOでは早期封じ込めのプロトコールを発表するとともに,特にH5N1の流行が起きている国と協力して,早期封じ込めの準備を進めている.
3.パンデミック時の対応
新型インフルエンザによるパンデミックが起きた場合,その影響は単に保健分野だけでなく,社会のあらゆる面に及ぶことが予想されている.このような状況に対応し,その影響を最小限に食い止めるためには,さまざまな分野が協力して,事前に十分に対応を協議し,行動計画を作成しておく必要がある.WHOでは各国に国の準備計画(Nationa1 Pandemic Preparedness Plan)を作成するように勧告している.パンデミック時の対策としてはいろいろなものが考えられているが,それぞれの対策には大きな弱点もあり,必ずしも絶対的な切り札とはなりえないのが実情である.
新型ウイルスに対しても,ワクチンは最も有効な手段の1つだと考えられる.しかし,ワクチンの開発・製造に関してはさまざまな問題を抱えている.まず,開発から製造までに要する時間が6か月~1年かかると予想されることがある.このため少なくともパンデミックの初期の段階にはワクチンは間に合わないと考えられている.また,世界的な製造能力に限界があり,製造能力をもつ国はほとんど先進国に限られている.
このワクチン供給体制の国際的な不均衡が途上国と先進国の間に政治的な問題を引き起こし,世界規模で新型インフルエンザ対策を進めるうえでの大きな障壁となっている.これまでH5N1のヒトの感染が起きているインドネシアなどの途上国がWHOへのH5N1ウイルスの供与を拒否するという事態に至っている.その理由は,途上国から供与されたウイルスを使って開発・製造されたワクチンの恩恵を受けられるのはワクチン製造能力のある先進国のみであり,ほとんどの造上国は何の恩恵も受けられないというものである.この問題を打破するためにWHOが主導する形でワクチンメーカーが途上国向けにワクチンを供与するという計画が発表されたが8),このメカニズムを通して備蓄されるワクチンの数量は多くても数千万人分と考えられ,途上国の人口全体からみれば非常に小さな部分をカバーできるにすぎない.
オセルタミビル(タミフル)やザナミビル(リレンザ)といった抗ウイルス薬の備蓄も,日本を含め各国で新型インフルエンザ対策として進んでいるが,抗ウイルス薬も絶対的な切り札ではない.薬の絶対量が足りないということもあるが,新型インフルエンザは通常のインフルエンザと病態が異なる可能性があるので,そのようなウイルスに対してこれらの薬がどの程度の効果があるかということは,今の段階では確実には分かっていない.H5N1のヒトの感染ではオセルタミビルを早期に投与したのにもかかわらず死亡したような例も報告されており,通常の投与量ではパンデミックウイルスには不十分である可能性もある.
また,日本では,社会問題ともなっている異常行動などの副作用の問題や耐性ウイルスの出現という問題も抱えている.世界的にみるとオセルタミビルやザナミビルの最大の問題はその価格にある.オセルタミビルは途上国向けの値引き価格でも通常1回の治療に使われる10錠で15USドルはするといわれている.これは年間の1人当たりの平均の医療費が29USドルである最貧国ではとても負担できる額ではない.
実際にパンデミックが起きた場合にはその他の対策,たとえば患者の隔離や学校の閉鎖などの公衆衛生学的対策(non-pharrnaceuticalinterventions),手洗いやマスクの使用などの個人防御,医療機関での感染防御対策,国境での水際対策などを組み合わせて,いかにしてパンデミックによる被害を最小限に抑えるかということを考える必要がある.そのためには,それぞれの対策の有効性と限界を十分に理解したうえで,最も有効な対策の組み合わせを選択する必要がある.
IV.WHOのパンデミックプランの改訂
前述のように,WHOでは2005年に発表されたパンデミックプランの改訂作業を現在行っている.そのためのタスクフォースが作られ,タスクフォースの会議が2007年11月と2008
年3月に行われ,2008年5月には各国の担当者等を招いた会議がジュネーブで聞かれている.現在の予定では2009年1月までに改訂作業が終了することになっている.
改訂作業が行われている理由として,2005年のプランが出されてから新型インフルエンザ対策をめぐる状況が大きく変わってきているということがある.そのなかにはH5N1に対するワクチン開発が進み,パンデミックワクチンの供給が現実のものとなったこと,各国で抗インフルエンザ薬の備蓄が進んできていること,さらに疫学モデルの結果や過去のパンデミックのデータを再検討することから新型インフルエンザ対策に関する新しい知見が急速に得られてきていることなどがある.
現在,5つのタスクフォース,すなわち
①core guidance(全体の構成と基本方針)
②communication and social mobilization
③public health intervention
④medical intervention
⑤non-health sector preparedness
に分かれて改訂作業が行われている.改訂されるプランのなかではフェーズ分類の見直し,公衆衛生学的対策の役割の再検討,保健分野だけでなく他の分野を含んだwhole-of-society approachなどが含まれる予定である.
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