(関連目次)→医療政策 目次 臨床研修制度の問題点
(投稿:by 僻地の産科医)
【関連記事】
◎サイエンス・ポータルreview
【2009年3月3日 医療問題の難しさ】
http://scienceportal.jp/news/review/0903/0903031.html
*文部科学省 関連プレスリリース
「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」の「臨床研修制度等に関する意見のとりまとめ」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/036/toushin/__icsFiles/afieldfile/2009/02/26/1247062_1_1.pdf
臨床研修制度をめぐる医系技官の思惑
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
上 昌広
http://mric.tanaka.md/2009/03/03/mric_vol_40.html
今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media) 2月25日発行の記事をMRIC用に改訂し転載させていただきました。
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先日、医師臨床研修制度の見直しが大きく報道されました。5年前、「臓器を見て人を見ない医師ばかりになり日本の医療が荒廃している。すべての医師にプライマリケア(初期の幅広い診療)を」という理念を掲げ、鳴り物入りで登場した制度でしたが、あっけなく方針転換されました。
そこで今回は臨床研修制度見直しの背景を紹介し、わが国の医療行政が抱える問題点を議論したいと思います。
【制度導入前から見えていた破綻】
繰り返し報道されているとおり、2004年に導入された臨床研修制度は、地方の医師不足を加速させる結果を招きました。しかもそれは、制度導入前から多くの関係者が予言していたことでもありました。当然、現場からは、「制度をなくせ。そうすれば2学年分、1.5万人の医師が増える」という悲鳴があがりました。
事態が急展開したのは、昨年9月。自民党の支持率低迷に悩み、その一因でもある医師不足問題に業を煮やした森喜朗元総理は、臨床研修期間「2年を1年に」短縮するために「医師臨床研修制度を考える会」を設立し、宮路和明議員に託しました。こうして高邁な理想をうたった制度は、僅か5年で見直される運命となったのです。
【今回の見直しの要点】
今回の臨床研修制度見直しの要点は、研修内容の変更と研修医の計画配置です。
現行制度では、内科・外科・救急・小児科・産婦人科・精神科・地域医療の7診療科が必修で、このうち内科は6ヶ月以上研修することが推奨されています。新制度では必修科目は内科(6ヶ月以上)、救急(3ヶ月以上)、地域医療(1ヶ月以上)に削減され、残りの診療科からは2科目を選択することになります。この結果、必修科目の研修は最初の1年間で終了することが可能で、後半1年間は自由選択になります。多くの医師は自分の専門科を選考するでしょうから、宮路議連の要請に応えたことになります。
一方、計画配置については、これまでは病院ごとにマッチング枠を設定し、地域による制限はありませんでした。しかしながら新制度では、都道府県毎に研修医の定員枠が設けられます。これは研修医が都会に集中したため、地方の医師が不足しているという世論に応えたものです。
さらに、研修医の応募が定員に満たなかった場合、その枠は削減されることになりました。また、病院毎の定員の合計が都道府県毎の定員数に満たなかった場合は、その不足分は地域の大学病院に割り振られます。大学が地域の医師派遣機能を担っていると考えられているからです。
【臨床研修制度の理念と本音】
現行の臨床研修制度は2004年4月にスタートしました。プライマリケアを中心とした幅広い診療能力の習得を目的として、2年間の臨床研修を義務化するとともに、医師法を改正し、適正な給与の支給と研修中のアルバイトの禁止を盛り込みました。すなわち、わが国では、医学部を卒業して国家試験にも合格した全ての医師に、さらに2年の研修が義務づけられたのです。
この制度は、医師の研修を充実させるという意味で、一見よく見えます。しかしながら、世界的には極めて特異です。政府が医師教育の内容を法律で一律に規定してしまっているからです。
日進月歩の医学にキャッチアップするためには、医師は生涯にわたり勉強を続けなければなりません。勉強すべき内容は医師が置かれた状況によって変わり、多様です。そのため医師の教育システムにも柔軟性が求められます。これは皆さんが所属される会社組織でも同様でしょう。
一方、医師と権力の関係は微妙で、国家権力が医師教育を統制する危険性は、歴史が教えてくれています。例えば、第二次世界大戦中の731部隊による人体実験、戦後のハンセン病の隔離政策なども、良心的な医師の反対を押し切って、国家が進めたものです。また社会制度上、官僚は政治家や世論に影響され、政治や世論はときに暴走するため、社会は医師集団に対し、その自律と引き替えに世俗権力から一定の距離をとることを認めてきました。これは、試行錯誤の末、近代社会が獲得した知恵なのでしょう。メディアの方々は、今回の臨床研修制度の医師を新聞記者に置き換えていただくと、この制度がいかに本質的に異常なものかお分かりいただけるでしょう。
ですから、医師教育への国家権力の介入には、私たちは神経質でなければなりません。医学教育をコントロールすることこそ、医師をコントロールする一番良い方法だからです。厚労省による臨床研修制度導入は、その典型です。私はこの制度に託されたプライマリケア推進の方向付け、逆に言えば専門医療の軽視の背景には、その高邁な理念とは裏腹に医療費抑制政策の陰が見えます。患者の生死に直結するような高度医療を抑制すれば、医療費は減少するからです。
【臨床研修制度導入当時の社会背景】
では、臨床研修制度は、どのような背景で発足したのでしょうか。
この制度が発足したのは2004年ですが、これは、2000年前後にマスメディアが横浜市大や都立広尾病院で起こった医療事故を大きく取り上げ、医療界の隠蔽体質を糾弾したことと大いに関係があります。
一連の事件報道によって医療界の抱える問題点が世間にさらけ出されたことは、医療界にとって大きな試練となった一方、それを契機に情報公開が飛躍的に進み、その体質は大きく変わりました。
ちなみに、このような変化は医療界に限ったことではありません。振り返れば、当時の日本は価値観の大きな転換点にさしかかっていました。1980年代前半から地方公共団体では情報公開条例の制定が進み(1982年山形県金山町、1983年神奈川県、埼玉県)、1990年代には説明責任(アカウンタビリティー)や透明性という概念が普及しました。それまでは、組織内で生じた問題は内々で解決する人間が高く評価されていたのに、この時期に続発した不祥事を契機に、情報開示が強く求められるようになりました。皆さんも、1998年の大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶ事件や2000年の三菱リコール隠しなど、思い出されるでしょう。一部のケースでは、企業の方針に忠実に働いていた人たちが遡って糾弾されました。この時期、各業界が多くの返り血を浴びながら、自己改革を進めていきました。
あまり議論されていませんが、この頃を境に、医療界への官僚統制は格段に強化されました。その一つが臨床研修制度の導入という見方も可能です。
医療に限らず、業界の不祥事が露見した場合、世論は政府による規制を求めます。世論に後押しされた政府は業界への規制を強化し、社会の要望に応えようとします。冒頭にご紹介した「臓器を見て人を見ない医師ばかりになって日本の医療が荒廃している」という主張も、医師が社会からの信頼感を失っていたため、当時の日本人に疑問なく受け入れられました。そして、国家が医師という専門職の教育課程を規制することに対し、大きな反対も起こりませんでした。
【臨床研修制度により焼け太る役人】
2004年に発足した臨床研修制度では、医学生と病院とが全国一斉に“集団お見合い”するような「マッチング」という仕組みで研修病院を決定することになりました。当然、相当量の事務作業が発生しますので、それを処理するスタッフが必要になります。
その仕事を担当した先こそ、厚労省の外郭団体である「財団法人 医療研修推進財団」です。臨床研修制度の創設が、厚労省とその外郭団体に、新たな仕事と多額の補助金を与えることになりました。さらに当然のごとく、この財団には複数の“渡り”の官僚(医系技官)が理事として天下ることになりました。財団では、研修システムの開発とその実施、支援等を行っているとしていますが、医師の臨床教育のメニューを決めるのに臨床経験が乏しい役人を入れる必要は、もとよりありません。また、多額の補助金は、それを獲得するために、厚労省や与党との特別な関係を生み出しやすくなります。本来、このようなお金は、診療報酬として病院に直接支払われ、病院長がその裁量で適切な使途を決めるべきものです。
そして今回の臨床研修制度の見直しでは、全国すべての病院の研修医配置数を厚労省が決めることになると同時に、2年間の臨床研修期間が維持されました。前者は医師数の計画配置権限を役人が獲得したことを意味し、後者は研修期間が実質的に1年間に短縮されてもなお2年分の予算とポジションを維持できたことを意味します。
【医師不足を研修医の強制派遣で補う愚】
今回の臨床研修制度見直しについて穿った見方をすれば、厚労省の官僚(医系技官)たちは、医師教育と医師不足問題を意図的に混乱させ、自らの権限の焼け太りをはかったと考えることも可能です。私の知る限り、大学を卒業した医師に全科目のローテーションを義務化している国は日本以外にありません。何より、わが国では、すべての診療科を回るスーパーローテートは、大学医学部での実習で既に行われています。全身を診ることが出来る医師を養成するなら、まず大学教育を充実すべきです。卒業までにその技量が身についていれば、卒業後速やかに戦力となり、医師不足のわが国にとって理想的です。
しかしながら今回、研修制度見直し委員会が文科省と厚労省の合同で開催されたにもかかわらず、このような意見は検討されませんでした。何故、もっともシンプルな解決法が議論されなかったのか、私にはわかりません。
今回の制度見直しのもう一つの問題は、臨床研修と医師不足問題を一緒くたに議論していることです。一人前になっていないから研修が必要なのであって、そのような医師を医師不足地域に派遣するなどというのは、派遣先の地域住民に失礼な話です。また、研修医の教育を疎かにすることは、長期的に国民につけが回ってきます。
地方の医師不足については、研修を終えた医師のインセンティブの確保、開業医と勤務医の協同(ドクターフィー制度、ホスピタルフィー制度の運用)、コメディカルの活用で解決すべき話です。
【権力にすり寄る学者たち】
このように、今回の研修制度見直しは、多くの問題点を含んでいます。ところが、見直しの議論においてなお、現行の制度を強く擁護する人たちもいました。その代表が篠崎英夫氏です。篠崎氏は、制度創設時の医政局長で、現在は国立保健医療科学院院長に天下りしている医系技官です。今も現役の審議会委員を務めるなど、厚労省への強い影響力を持ちます。これでは行事が相撲をとっているようなものです。
また、今回の臨床研修見直しのための検討会には、5年前に制度創設に協力した委員が多数選ばれました。今回の委員会の主旨を考えれば、彼らは参考人として招聘すべきであり、委員会の公正な運営に疑問が生じます。委員会の人選の実権を握っているのは、厚労省の医系技官です。
2月18日に開催された臨床研修検討会では、舛添厚労大臣も危ういものを感じたのでしょう。「最大の問題は国が枠を決める、統制すること。できるだけ統制したくない」「憲法上の職業選択の自由に反するが、公共の福祉のためにどこまで許されるのか」「学生の意見もあるだろう」と、懸念を示しました。しかし舛添大臣の懸念は、とりまとめには全く反映されませんでした。
このようなやりとりから脳裏に浮かぶのは、昨年10月に読売新聞社が社を挙げて打ち上げた「医師を全国に計画配置」という提言です。読売新聞にこのアイデアを吹き込んだのは誰でしょうか。新聞発表のわずか2日後、「計画配置をする考えはある。よい規制だ」と発言したのは医系技官の佐藤敏信・保険局医療課長でした。興味深いやりとりです。
【全人的医療とは?】
最後に、臨床研修制度が目指す「全人的医療」とは、そもそも何をいうのでしょう。また、日本の医師は本当に「全人的医療」ができなかったのでしょうか?おそらく「全人的医療」に込める意味は人によって異なり、時代や地域に影響されるでしょう。このように定義が不明瞭な言葉を用いて臨床研修の目的を表現することに、私は危険を感じます。
一般論として、米国のように訴訟を前提として診療し、自分の専門領域以外には手を出さない医師たちに比べて、日本の医師たちは、地域性や患者個別のニーズに柔軟に応え、自分の専門領域を持ちながらも幅広く診療しています。
例えば、厚労省の調査によると、わが国の診療従事医師数は263,540人ですが、従事している診療科(複数回答)は計432,779に上ります。日本の医師たちは平均一人二役をこなし、実際の人数の2倍近い医療を幅広く提供しているわけです。
また、230人の血液内科医の学会調査では、133人(58%)が腹部エコー、96人(42%)が上部消化管内視鏡、26人(11%)が気管支内視鏡ができると答え、総合診療を担っていることを示しています。これは訴訟大国の米国では考えられないことです。このような事実を考慮すれば、専門医とプライマリケア医師の分離が厳格な米国と比較して、日本はその中間状態にあると言うことができます。
もし、このようなわが国の医療の現実を十分に説明することなく、「すべての医師にプライマリケアを」という理念を掲げれば、どのような事態を招くでしょうか。おそらく、多くの国民は、一人の医師が多様な患者のニーズすべてに対応できるし、そうすべきだと感じるでしょう。しかしながら、これは不可能であり、このような前提で医療制度を構築している国はありません。世界のどこにも存在しない医療制度を理想とし、国民に提示すれば、期待と現実のギャップはますます開きます。そして、医療不信・医療訴訟など、トラブルの温床となっていきます。
このように考えてみても、全医師に一律にプライマリケアの習得を強いる現行の臨床研修制度は、その必要性にも論理的整合性にも、最初から疑問があったと言わざるを得ません。制度導入時といい、今回の見直しといい、そこには役人(医系技官)の思惑と辻褄合わせが見え隠れしています。医療現場、とくに当事者である研修医、医学生は、彼らに翻弄され、疲弊するばかり。国民も医師不足にさらされています。
実現不可能な理想を掲げることに何の未来もありません。国民の信頼をますます裏切ることは自明です。むしろ必要なことは、医療のあるがままの姿を社会に提示し、限界も含めともに考えていくことができるよう、情報を公開・共有していくことでしょう。
勤務医 開業つれづれ日記・2様のところと2重投稿になりますが関連していますのでお願いします
厚労省みごとなり
別のところに書き込まれたある先生から了解を得たうえで転載いたします
今のところ自分たちの目的はほぼ100%達成している。
敵ながら見事。さすがは選良と呼ぶべきか?
臨床研修医制度について「そんな制度じゃ良い医師は育たない。門外漢はだまっていろ」と考えたり、今回の研修定員のコントロールについて「医療崩壊対策としては急ごしらえ で意味のない愚策」と考えたりするお医者様がいるとするならば、まさに厚労省の優秀さを示している。
そもそも厚労省の目的は唯一つ「自分たちの権力、利権の拡大」しかありません。
これからの高齢化社会や規定事実である混合診療解禁を控え、もともと自分たちが受け取る(べきだと思っている)利権を他者に渡さないために、自分たちに隷属する(べきだと 思っている)医師達に対する支配力を強めたいというのが一連の行動の動機です。
1、第一次研修医隷属作戦
自分達の保護下にて仕事をしている(と考えている)くせに、プライドが高く言う事を聞かない小生意気な医師どもの取り崩しをどのように行うかが、最初のポイントでした。
医師の中から、弱い立場である研修医という存在を抜きだして他の医師より分離し、自分達がコントロールする作戦。教育目的という言い訳もきくし、医師達も自分のことではな い(と思わせておく)ので反対が少ない。妙案でした。
この作戦により厚労省は医師支配の第一拠点である研修医のコントロール手段を手にしたことになります。
2、第2次研修医隷属作戦
次に「自分達が人事権を握ること」これが厚労省の狙いでした。
強制的に医師を配置するのは、いろいろな問題があり至難でしたが、これについては、前回作戦の研修医に対する支配力について物を言わせることで解決しそうだと判断しました 。これがこのスレの本題である「研修医定員コントロール作戦」です。
この作戦の目的は、むろん研修医に対する支配力を高めるところにもありますが、むしろ「教育という名目があれば、行政により医師の配置をコントロールすることが可能」とい う実績作りにあります。
後先が考えられず、目先の安い餌につられて賛成する地方病院管理者達も味方に引き入れ、成功間近となっています。
3、もちろん厚労省の狙いは「研修医」などではありません。もともと彼らは自分達の権力拡大のために「医師すべてを支配化におく」ことを目指しているのです。次の作戦は「 専門医隷属作戦」あるいは「家庭医隷属作戦」になるのではないかと予想します。
「研修医コントロール作戦」が成功しているのですから、同じことをこれから作り出す「専門医」や「家庭医」で行えないわけがありません。「研修医コントロール」での実績があるという大儀名聞も、民衆向けに広く訴えることも可能です。医師達の批判は簡単に抑えられるでしょう。「研修医コントロール」の時に反対していないのですから‥
4、最後に「開業医撲滅作戦」が開始されます。一番最後まで厄介だった開業医も勤務医の隷属化が終われば、雑魚のようなものです。単純に開業医の保険点数を極端に下げればよい。そのための民衆に対する洗脳は恐ろしいほど成功しています。結果ほとんどの医師を厚労省の意のままに動かせる体制の出来上がりです。
彼らは恐ろしく優秀です。
それに比べお医者様方は、自分の足を食われようとしていることすら気づいていない。
まずそのことを自覚しなければ、赤子の手をひねるように簡単に奴隷化してしまう。平和ボケしている場合ではありません。
投稿情報: ななしななし | 2009年3 月 5日 (木) 17:24
>彼らは恐ろしく優秀です。
そうですかね?
人を支配したいという権勢欲はあるかもしれませんが、現場の臨床医としての経験がごく浅い彼らが、将来の見通しもなく、臨床医のの行動原理や労働市場のダイナミズムへの理解もないままに、場当たり的な政策を撒き散らしているだけのように思えますが。
臨床医がやりがいを持って働ける職場環境を構築する機会を妨害する連中がいるとすれば、そういう連中を駆逐して軌道修正するのも現場の第一線の臨床医の責務です。
投稿情報: 鶴亀松五郎 | 2009年3 月 5日 (木) 18:08