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(投稿:by 僻地の産科医)
安全支える仕組みを
コロンビア大学肝小腸外科部長
加藤友朗
朝日新聞 2009年2月16日
http://www.asahi.com/health/essay/TKY200902100261.html
僕が医師になってからの約18年の中で日本で過ごした時間はあまり長くない。そんな僕が主にアメリカから日本の医療現場の事情を見聞きして感じるのは、病院や医療従事者に向けられる人々の目が昔に比べはるかに厳しくなったということである。
この10年ぐらいの間、日本の病院や医療従事者は厳しい批判にさらされてきた。もともと医療不信ということはよく言われていたが、医療ミス、医療事故、患者のたらいまわし等が公表され頻繁に報道されるようになったのは最近のことだ。もちろん医療不信を生んだのは医療を供給する側の責任である。
「最近の医師にはモラルが欠如している」と言う声をよく耳にするが、果たして本当にそうなのだろうか。僕が日本の医療従事者と話して感じるのは、患者さんのことをとても親身に考えていて、厳しい批判を受ける中でも何とか現状を打開するために努力したいと考えている人が多くいるということだ。
■事故を防ぐかぎ
一口に医療ミス(医療過誤)と言ってもその中身はいろいろだ。僕は医療ミスには大きく分けて二つのパターンがあると思っている。ひとつはいわゆる「うっかりミス」である。「うっかりミス」は人間のすることである以上必ず起こりえる。点滴を間違える、患者を取り違える、手術する側を間違える(左の肺を手術するはずだったのに右の肺を手術してしまうなど)などはこの部類に入る。
もちろん患者の取り違えや点滴の間違いなどはあってはいけないことで、うっかりで起こってしまっては困る。そんなあってはならないことが必ず起こりえることだなどと開き直るなんてとんでもないとお思いになる方も読者の中にはいると思う。
しかし実はこの「ミスはあってはならないこと」→「ミスがないようにしなければならない」という考え方が、このような医療事故を繰り返す根源にある。アメリカはご存じのように訴訟社会である。病院や医療従事者もずっと前から今の日本の病院と同じように厳しい批判にさらされ続けてきた。
アメリカの病院ではよく「患者の安全(Patient Safety)」という言葉が使われる。安全というと防災や防犯などのことを指すように思うかもしれないが、ここで言う安全はもっと広い範囲で、うっかりミスから患者を守ることも含まれる。うっかりミスから患者を守るなどというと、これもまたミスが起こることを容認しているようでけしからんと思われる方もいると思う。しかしミスが起こることを受け入れることこそが医療事故を防ぐかぎなのである。
つまりここでは
「ミスはあってはならないこと」→「ミスがないようにしなければならない」
という考え方ではなく
「ミスは起こりえる」→「ミスから患者を守る」
という考え方なのだ。
具体的にはどういうことか。
アメリカでは麻酔をかける前に必ず麻酔科の医師と外科医が看護師と一緒に患者の前でどのような手術をするのかを確認する。麻酔前であるので、受けるはずのない手術の話が出れば当然患者さんにはわかる。最近では、肺のように右左のある臓器の手術では右か左かを確認し、ペンで印をつけることも義務付けられている。
さらに、麻酔がかかったあとでもう一度看護師が患者の名前をリストバンドで確認し、外科医が執刀する前に看護師、麻酔医、外科医でどのような手術をどちら側にするか声を出して確認しない限り、手術は始めさせてもらえない。これだけやれば、たとえどこかで誰かがうっかりしてもそれが最終的に患者の取り違えになることはそうそうあるものではないだろう。つまりここで言うミスから患者を守るというのは、うっかりミスが起こってもそれが患者に影響を及ぼさないようにするということなのだ。
■厳しい審査
アメリカでは、こんな患者の安全のためのルールを決める団体がある。ジョイント・コミッションといわれる団体である。この団体が取り決めたガイドラインに合うように患者の安全を守るための取り組みをしている病院には認可が与えられる。ガイドラインは毎年更新されていくので、病院は常に最新の取り組みをすることを要求される。ジョイント・コミッションの認可を受けていないと、アメリカではちゃんとした病院だと認めてもらえない。
いったん認可されても、それで終わりではない。一定期間ごとに査察が行われる。査察がいつになるかは直前まで病院側に連絡はなく、基本的には抜き打ちである。ジョイント・コミッションの査察官はとても厳しい。査察官には勤務中の看護師を捕まえて質問することも許されるし、入院中の患者に質問することすら許されている。ジョイント・コミッションが来るとなれば病院側は戦々恐々となる。認可をはずされれば営業に大きく響くからである。
この、うっかりミスを防ぐのではなくうっかりミスから患者を守るという考え方は今ではアメリカのスタンダードである。どのようにすればよいかを指導するのがジョイント・コミッションであるが、実際にそれを徹底させることは病院側の責任である。正直言って、僕もこんなルールにしばられたやり方は面倒くさいと思うこともある。しかし、決まりを守らない限り病院で手術をすることは許されない。もちろんそれが医療事故を防止するのだと思えば、当然やっていかなければいけないわけだ。
■医師を育てる仕組み
さて、うっかりミスでないもうひとつの医療ミスのパターンは、知識や経験のないために間違った判断や治療をしてしまうことによるミスである。これにはどのように対処すればよいのだろうか。このパターンのミスは、病院ではなく医師の側の責任である。医師の側で、きちんとした知識を持って経験を積んだ医師を育てるようにしなければいけないのだ。
アメリカでは研修医制度、認定医制度がどちらもとても充実している。それを支えているのが研修認定委員会(ACGME)と認定医試験委員会である(Medical Specialty Board)。研修認定委員会は研修施設の基準を細かく定めている。研修認定施設になるためには、まず審査を受けて認定を受ける必要があるが、認定を受けたあとでも、研修施設は定期的に査察を受け、きちんと研修を行っていない施設は研修プログラムの認定が取り消される。プログラム側からすれば認定が取り消されると大変だ。研修医がこなくなってしまってはプログラムが成り立たなくなるからだ。
そんな研修を終えた後に今度は認定医の試験を受けることになる。この試験をするのが認定医試験委員会である。アメリカで認定医の資格を取るのは簡単ではない。認定医の試験でもっとも重視されるのはそれぞれの疾患に対する標準的な治療法である。この疾患の治療法を三つ挙げよとか、これこれの時にはどのような手術をすべきかなど、かなり突っ込んだレベルの質問に即答できるようになることが要求される。このようにアメリカでは研修、認定制度を通じて一定の知識と経験を持たない医師を排除してゆくのである。
医療は常に進歩し複雑化している。医療現場で医師や看護師が携わる診療は30年、40年前のものとは大きく様変わりしている。そんな中で正しい医療を安全に行うのは容易なことではない。日本にはジョイント・コミッションはないし、研修プログラムや認定医制度もよく整備されているとはいえない。医療事故を起こさないための努力は個々の医療従事者や病院に任されているのが現状だ。そんな中で世界の最先端にある日本の医療を支えている医師・看護師たちはとてもよくやっていると思うのだ。モラルの欠如した人たちにできることではない。しかし一方で、個人や個々の病院に頼ったやり方は限界に来ているのではないか。日本の現状に合ったしっかりとした制度の整備も、「温かい医療」のために不可欠である。
加藤友朗(かとう・ともあき)1963年東京生まれ。東京大学薬学部、大阪大学医学部を卒業し、マイアミ大学移植外科教授などを経て、2008年に現職。著書に「移植病棟24時」(集英社)、「移植病棟24時 赤ちゃんを救え(集英社)」がある。
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