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(投稿:by 僻地の産科医)
過労死の父が娘に残した手紙を公開
キャリアブレイン 2009年2月3日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/20419.html
「健康には十分留意して、幸せな人生を送っていただきたいと思う」-。薬剤師の業務に加え、「コンピューター西暦2000年問題」に対応する病院の薬剤管理システムの開発責任を負うなど、過重な労働によって亡くなった三浦恵吾さん(当時39歳)が、長女に宛(あ)てた手紙を妻の久美子さんが公開した。三浦さんの過労死をめぐっては、久美子さんが国に対して労災不支給の取り消しを求めた行政訴訟で、東京地裁が昨年11月、訴えを棄却。久美子さんが東京高裁に控訴し、手紙を裁判資料の一部として提出している。長女は高校受験の約2か月前に父の死に直面し、現在も「思い出すのがつらい」状態だが、両親と同じ薬剤師を目指しており、手紙を時々、読み返して心の支えにしているという。
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三浦さんは1997年4月、青森労災病院(青森県八戸市)に主任薬剤師として着任した。同病院の薬剤管理システムでは、「2000年問題」に対応できず、三浦さんが新たなシステムの導入を任された。このため、三浦さんは本来の薬剤師と新システムを構築する業務に従事することになったほか、システム開発で多忙な時期に薬剤師としての研究発表などで3回にわたる出張を命じられ、十分に休日を取ることもままならなかった。仕事の質・量ともに大きな負荷を受け、うつ病を発症。職場復帰後の2000年12月11日に自殺した。
三浦さんが、長女に宛てた手紙は、小学校の卒業に当たって作られた「タイムカプセル」に入れられていた。タイムカプセルは、卒業生が20歳になった時に開封する計画で、久美子さんが三浦さんに頼んで書いてもらったという。
手紙は、「8年後に読まれるということを想定して書くということは、今の私にとってはとても難しい」という書き出しで始まっている。また、三浦さんは、タイムカプセルが地中に埋められるだけに、「この手紙が果たして貴女(あなた)の許(もと)に届くかどうかも分からない」としながらも、大人の仲間入りをした長女の姿を思い浮かべながら、父として、また、人生の先輩として、職業や人生設計などについて約8000字にわたって記している。
職業については、成人した長女が薬学部に進学して、自分と同じ薬剤師の道を歩んでいることも想定している。「全(すべ)て書ききれないので、この話は8年後にしたい」とした上で、一つだけ言っておきたいこととして、「医学は自然科学であるが、医療は社会科学で解決していかなければならない問題が多い。同一の病名・治療方針・治療薬剤といっても、個々の薬学的管理は異なる。例えば患者の家族構成・収入・宗教などに関しての対応は自然科学では明快に回答されていない」とアドバイスしている。そして、「人生を選ぶときは『有利だ』という理由で道を選ぶべきではない。自分の好きな道を選ぶべきである。(中略)。もう一度自分は何が好きなのかを問い直して進路を決めて欲しい」と伝えている。
また、人生設計については、結婚のことも挙げており、「(職業と同様に)結婚も自由に選択されるとよい。(中略)。どうしても相手が見つからないなら、私がいい婿殿(むこどの)を見つけてくるから、結婚して子宝に恵まれていただきたい。できれば一緒に同じ職場で仕事をしたいものだ」と、長女が自分と同じ道を選択し、幸せな結婚生活を送ることへの願いも込めている。
このほか、「私の職場で、40代後半の薬剤師が窓口で、80歳の老人の患者に対して、『あなたの人生は、もうおまけの人生だから云々(うんぬん)』といったことに対して、激しい怒りを覚えたことがある。卑(いや)しくも人の命をあずかる職業を選んだ者が、そのような言葉は決して発してはならない」として、他人を思いやり、命を大切にすることを求めている。
手紙は、「健康には十分留意して、幸せな人生を送っていただきたいと思う」と締めくくられているが、「まだ書き足りないが」との言葉が添えられている。書き出しでは、8年後に成人となる長女に何を伝えるかで戸惑いながらも、実際に書き進めると、伝えきれないほどの言葉が次々と浮かんでくる三浦さんの長女への思いがあふれている。
三浦さんが2000年に亡くなった後、久美子さんは長女と次女を連れて東京に戻ったため、手紙は長女の同級生の保護者から届けられた。久美子さんは手紙を頼んだものの、内容は知らず、約8000字にわたって生真面目に記された文面を目にして驚いたという。
長女は父の死に直面した際、まだ中学生だったため、「当時のことを思い出すのはフラッシュバックするのでつらい」と話している。しかし、「両親の跡を継ぐことを子どものころから“洗脳”されていた」とも言い、現在、薬剤師を目指して学んでいる。手紙の存在については「時々、読み返して心の支えにしている」。裁判には「思い出すのがつらく」数回しか足を運んでいないが、三浦さんの両親と共に、裁判で闘う久美子さんを応援しているという。
久美子さんは「労災病院は本来、労働者を守るべき組織なのに、逆に過労自殺に追いやるなど許すことができない。関西方面では派遣労働者を契約の途中で切っているという情報もある。国家の未来のためには、労働者を守る必要がある。薬剤師だけでなく、医師や看護師など医療現場で働く人たちと手を取り合って裁判を闘っていきたい。とりわけ、次の世代と未来をよりよく築いていきたい」と意を強くしている。
三浦さんの過労自殺については、久美子さんが01年3月27日、八戸労働基準監督署に労災申請。しかし、同署は03年2月18日、不支給とした。これ以降、審査請求、再審査請求がともに棄却され、07年2月26日、労災不支給の取り消しを求め、久美子さんが東京地裁に提訴した。
昨年11月13日の判決では、中西茂裁判長が「業務とうつ病の発症には、因果関係が認められない」などとして訴えを棄却。久美子さんら原告は同25日、「本来の薬剤師の業務に加え、コンピューターのシステム開発の業務を負わされた過重な労働の負荷を司法が正しい判断をしていない」などとして、東京高裁に控訴した。
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