(関連目次)→大野事件 医療事故と刑事処分 目次
(投稿:by 僻地の産科医)
大野病院事件はまだ終わっていない
MTpro 記事 2009年2月2日
篠原 伸治郎
http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/0901/090119.html
第27回日本周産期・新生児医学会周産期学シンポジウム (1月16~17日,福島県郡山市)が開催された。福島県立医科大学(産科婦人科学講座)教授の佐藤章氏は「周産期医療と刑事訴追」というテーマで講演を行い,医師法21条や刑法211条の問題点や矛盾点を指摘。大野病院事件の担当弁護士などによる改善策や対策を紹介した。
医師法21条,刑法211条には何らの改善もない
昨年(2008年),医療従事者はもちろん国民全体が注視するなか福島県立大野病院事件に対し,福島地方裁判所は「無罪」判決を示した。その後,検察側が控訴を控えたためその時点で「無罪」が確定し,この判決に医師の多くが安堵した。被告にされた医師の指導教授だった佐藤氏は,“医療裁判における争点について専門家の意見が尊重されるべき”という今後の在り方が裁判によって最終的に示されることにつながったため,一定の評価を示している。
一方で起訴理由としては(1)刑法211条(第1項前段)の業務上過失致死,(2)医師法21条の死体または妊娠4か月以上の死産児の検案で異状がある場合の24時間以内の所轄警察署への届け出義務,同33条の2の罰則規定-の違反適用が挙げられている。
同氏はそれらについて「法改正もなく,また改善策も示されていない」ことを指摘した。
「福島県立大野病院事件はまだ終わっていない」と言う。
裁判の過程では,(1)クーパーの使用に関連した出血状況,(2)止血処置状況,(3)応援医師を呼ぶかどうか,高次病院への転送をすべきかどうか,(4)警察への届出に関する状況-など,医療行為における状況判断についての“注意義務違反”が争点になった。医療行為における注意義務違反を巡っては,判決で示された(1)予見可能性(予見義務),(2)結果回避可能性(結果回避義務)についての見解に疑問が残るという。
判決時に示された見解で,同氏が疑問を感じた部分は以下の通り。
(1)(癒着胎盤の)剥離を継続すれば,大量出血し生命に危険が及ぶおそれがあったと予見する可能性はあった,(2)直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行は可能,(3)(子宮摘出術)移行などによる大量出血回避の可能性はあった。
同氏は,上記(1)~(3)の疑問点や矛盾点をそれぞれ次のように示す。
(1)当該医師に法的な予見可能性(過失を問うための)があったと言えるか,(2)直ちに子宮摘出手術などに移行すれば,生命の危険性はないと言えるのか,(3)移行等による大量出血の可能性はないと言えるのか-などである。
判決では「医療行為を中止する義務があるとするためには,検察官において,当該医療行為に危険があるというだけでなく,当該医療行為を中止しない場合の危険性を具体的に立証しなければならない」としている。同氏は「検察側に対しても,そうした立証を行うためには,根拠となる相当数の臨床症例,対比すべき類似性のある臨床症例の呈示が必要であることが,この判決で示された」という。
実際,公判では東北大学,宮崎大学,新潟大学の産婦人科や長い臨床経験を有する産婦人科医でも「用手剥離を開始したものは出血があっても剥離を完遂していること」が報告され,現在の通常の治療行為であることが明らかになった。
ただし,これらのことはこの裁判を通して弁護側が調査を行った結果,初めて判明したことである。同氏は,今回のような例で,手術中に咄嗟に判断できることが前提にあるような(1)予見可能性(予見義務),(2)結果回避可能性(結果回避義務)を争点とすること自体の不合理性を指摘している。
“原因を追究する”のか“人の責任を追及する”のか
現在,医師法21条における「異状死」の解釈について,医療裁判では日本法医学会による「異状死ガイドライン」が拡大解釈され,診療行為の結果にまで適応させていることに問題がある-と多くの医療従事者が指摘している。また,この件における“過失の認定”を福島県や佐藤氏が行ったことに関しては「“再発防止の観点と過失を前提とする損害賠償保険“の適応を配慮して作成されたもの」という背景が事実としてあり,“過失の認定”の文書作成時には逮捕・勾留・起訴なども想定外だった。
佐藤氏は,調査自体には関わらなかったが「最終的に示された調査の結果報告書では,明確な事実の記述に加え別の方法を行う可能性などに言及するような内容ならともかく,明言こそしていないものの“医療過誤と思われる内容”となっており,書き直すよう要望した」という。
しかし福島県側の担当者との話し合いの結果「家族に対する保険金支払いのためにこの内容で認めてもらわないと困る」ということになり,刑事訴追のことなど念頭にもなく調査報告書を認めるに至ったと経緯を説明した。同氏は医療事故調査報告書が一人歩きしてしまう危険性を指摘する。
さらに「“人の責任を追及するのか”あるいは“原因を追究するのか”本来の目的があいまいなところが日本における医療裁判の一番の問題点だ」とした。
医師法21条の届け出は“過失”を認めることに?
なお,裁判の公判前整理手続では,裁判の争点を決めることになるが,それについての証拠を提出することが検察側と被告側双方に求められる。つまり裁判が始まる前に証拠がほぼ揃うことになるわけだ。しかし,証拠となる文書が医療裁判において恣意的に選択・用いられることがあるようだ。
例えば,医療事故調査報告書については「“再発防止の観点と過失を前提とする損害賠償保険“の適応を配慮して作成されたもの」と弁護人が主張して以後,検察側はこの事故調査報告書を一切公判で出してくることはなかったという。また,争点となった癒着胎盤におけるクーパーの使用の是非について,検察側は「クーパーの使用は無謀である」と主張した。
弁護側は「一部に癒着があれば,incision(切開)したほうがよい」と記した英語の文献を公判前整理のときに提出した。すると検察側は「incisionしたほうがよい,という部分を削除すれば弁護側が提出した証拠として扱う」と述べたという。また,癒着胎盤に関する論文を読んだ検察側は「前回帝王切開の切開創の前置胎盤があるならば,約25%が癒着胎盤であり,予見性はあったはずだ」と主張した。
弁護側は「問題となる後壁癒着が認められるのは約5%に過ぎず,またMRIや超音波検査で後壁の癒着を診断することは,今のところ不可能に近い」と述べたが,検察側はこの部分には触れず主張を変えなかったという。
判決では,そうした報告を受けて「過失なき医療行為をもってしても,避けられなかった結果といわざるを得ないから,医師法21条にいう異状がある場合に該当するということはできない」ことを示した。佐藤氏は「判決を聞くと,医療行為に“過失がない場合”は,“届け出の必要がない”」ことが示されており,逆に言えば「“届け出すること”は“過失があると認めること”に繋がるおそれがある」と指摘する。
医師法21条では「(前略)異状がある場合は,24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」としているが,同氏は「本件で過失の有無を判断するのに約2年半を要した」ことを指摘し,「貴病院には,その判断能力があるか」と24時間以内にそうした判断をすることが可能か問いかけた。同氏は,医師法21条のこうした不条理性に対する医療現場やこの件の担当弁護士・安福謙二氏による改善策を紹介した(表1,2)。
産科医療の無過失補償制度の保険金運用は見直しが必要
佐藤氏は,こうした報告に加え,同じく安福氏から聞いた「刑事訴追を避けるためにすべきこと」「医療訴訟において心がけておくべきこと」「弁護士への依頼」など,医療訴訟における実践的なアドバイスを紹介した。同氏は次に現在議論に上がっている医療安全調査委員会(医療事故調査委員会)の問題点や,裁判外紛争処理(ADR)など医療紛争処理制度について紹介した。
さらに,医療界内部の自己浄化・監視機能を設立し,刑事訴追に先立ち,問題が明らかなケースは処分することで,国民から信頼されるよう努めることも重要だとの見解を示した。これらに関連して,会場からの質問では「産科医療における無過失補償制度が始まったが,財団法人『日本医療機能評価機構』の保険金の運用について,保険金収入と実際の支払額の乖離が大きく,その余剰金の使途が明らかにされていないという批判があるが」という指摘があった。
この点について佐藤氏は「確かに運用のしかたに問題がある。しかし産科補償制度自体の発想は間違っていないと思う。実際の運用は民間の保険会社が行っており,保険料率と支払い額のバランス,余剰金の使途など,運用の透明化といった軌道修正が必要だ」との見解を示した。
コメント