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(投稿:by 僻地の産科医)
ジャミックジャーナル2009年1月号よりo(^-^)o ..。*♡
特集は 2009年の医療界 どうなる?どうする?
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佐藤一樹先生の連載です(>▽<)!!!
最近、先生御自身が文字化してくださるので、
ちょこっとサボっておりましたが、すこし事情がありまして。
第4回は「事情聴集―医師の“良識”が狙われる」です!
では、どうぞ!!!
リヴァイアサンとの闘争
―正当な治療行為で冤罪にならないために―
事情聴取― 医師の“良識”が狙われる
綾瀬循環器病院 心臓血管外科
佐藤一樹
(JAMIC JOURNAL 2009年1月号 p34)
優等生と「道徳の時間」
「罪を憎んで人を憎まず」。捜査官には、被疑者を「本当は能力のあるよい人間(医師)なんだ」と評価する傾向があります。取り調べ中に怒鳴り上げるのは、「被疑者を憎んでいるのではなく、本当はよい人間でありながら誤りを犯しているのに認めないから」であり、警察や検察という道徳的権威の前で「被疑者は素直で従順な態度であれ」といった倫理的規範に訴えます。これは、学校で教師が生徒を叱責する論理と似ています。教師の問いかけに素直に従ってきた優等生の「良識」が権威に逆らうことを邪魔します。「古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔する。何びとも何かに懺悔せずには娑婆苦に堪えることができない(芥川龍之介『性情の言葉』)」。
「担当した患者が目の前で亡くなった。その責任をとるのは、人として常識だろう」などと言われればそんな心境になってしまい、誘導されて捜査官のストーリーに乗ってしまう。これが、常識的・一般的な問いかけから「捜査官製事実」を導く、医療者から簡単に「自白調書」を作成する手法です。しかし、思い出してください。現実に起きたことはそんなに単純ではないはず。微妙で複雑な事実を知っているのは、捜査官でなく「医療行為をした」あなた自身です。実体験について供述する取り調べで、一般的な問いかけには答える必要はありません。そんなときは、答えずに質問の前提を確認し、限定する。抽象的な問いは具体的に聞き直す。相手の質問をよく聞いて、聞き返す。そのとき、何を見て、何を聞いて、何をしたか、5WI Hを大切にして確実な事実だけを簡潔に話す。嘘は言わない。わからないなら「わからない」と答える。知らないことは「知らない」でよい。言えないことは言わなくてよい。黙っていてもよい。黙秘権・供述拒否権・自己負罪拒否は、憲法第38条で認められています。
医療者の論理と捜査官の心理
「ちゃんと話せば、医学的科学的論理を理解してもらえれば、わかってもらえる」との常識的な考え方が取り調べで通用すると思うのは大間違いです。相手ははなからわかろうとはしていないので、仮に正確な知識を理路整然と話したとしても、屁理屈として取り扱われます。すでに、「有罪推定」を前提とする捜査官の職業的使命感や表面的な道徳的正義感が、事実の確定よりも先に駆け出しているからです。熱意や正義感を動機づけるものは基本的に主観的思い込みであって、客観的、合理的判断ではありません。「思い込み」には、客観的判断とのズレが必ず生じます。しかし、客観的判断で、感情の独走を抑制できるほど人は器用ではありません。「証明してやろうなどと意気込まずに、考えるままに率直に述べるのが常によいやり方である。なぜなら、私たちの持ち出す証明はことごとく、私たちの意見の変種に過ぎないのだから。そして、反対意見の持ち主は、そのどちらにも耳を傾けはしない。私がよく知っていることは、自分だけのために知っていることである。口に出した言葉が物ごとを促進することは稀で、大抵は、反論、停止、停滞を惹起する(ゲーテ『箴言と省察』)」。
フランチャイズの「医学」ではなく、ビジターの「捜査」のスタジアムで、「捜査官との医学理論合戦」に完勝することには意味がありません。同じことを繰り返し聞いてきたとしても、いろいろな方法で説明するのではなく、同じことを100回でも200回でも繰り返し言えばよいのです。
最終的最重要事項「調書」づくり
「供述した事実」や「話をした事実」は重要ではありますが、録音、録画、記録はされません。「話」は最終的には残りません。残るのは「書証」です。裁判上の証拠は、「実際に何を供述したか」ではなく、「調書に何が書かれているか」です。安易な署名と押印が人生を変えてしまわないように、いよいよ次回から「調書」づくりについて述べます。
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