(投稿:by 僻地の産科医)
日経メディカル2009年1月号
特集は 子どもを医者にしますか?
英国の医療改革に学ぶ
医療費を増やし、質の向上目指す
エディンバラ大学国際公共医療政策センター修士課程
(Nikkei Medical 2009.1 p48-51)
英国の医療制度の根幹をなす国民医療サービス(National Health Service、以下NHSと略)は、2008年で満60周年を迎えた。
NHSは、「診療時点の患者の自己負担をなくし、英国に居住する誰もが、お金の心配をせずに診療が受けられる」という受診時の公平性をうたって、1948年に設立された。
NHSの主な財源は税であり、わが国のような保険制度ではない。医療機関の収入は、NHSから配分される予算が主である。また、受診時の患者の自己負担はすべて無料だが、病院への受診は基本的に地元の家庭医(General Practitioner)からの紹介に限定されている。
08年には、NHS60周年を記念して様々な記念行事が行われ、改めてその意義や成果が確認された。中でも、6月に公表された、今後の医療制度改革の方向性を包括的に示した報告書である『High Quality Care For AII』(通称ダルジ・リポート)が注目を集めた。
ダルジ・リポートは、現役の外科医でもあるダルジ保健政務次官率いるチームが、1年間かけて完成させた報告書で、現場の医師や看護師は当然のこと、ほかの医療従事者、患者、住民との意見交換を経て完成させた、今後の英国医療政策の基本方針である。これは、過去10年間の労働党政権による継続的な医療制度改革の成果の上に成り立っている。
“効率”求めたサッチヤー
労働党は、97年の総選挙で、それまでの保守党政権で不満の高まっていた教育と医療に対する改革を掲げて勝ち、政権を寂った。首相に就任したトニー・ブレアは、直ちに医療制度改革にとりかかった。
では、ブレアに敗れた保守党政権の医療政策は、どこが問題だったのだろうか。
79年に誕生したサッチヤー政権は、英国病といわれた経済の停滞と不況への対策として、“小さな政府”を唱えた。国庫負担を抑制し、徹底的な競争原理により、経済の活性化と国際競争力の強化を推進した。その“聖域なき改革”は、鉄道、航空、電話などの国有企業を民営化するなど大胆なものであったが、医療もその例外ではなかった。
NHSの財源は前述の通り、主に一般租税(所得税や法人税などの直接税、消費税やたばこ税などの間接税)とナショナル・インシュランスという労働者・雇用者より徴収される基金より拠出される。先端医療を提供し、増大する患者の要求にも応えるとなると、医療費が増大するのは必然で、それは政府の財政支出に直結する大問題だった。
そこでサッチャー政権が実行したのは、支出を増やすのではなく、“効率”を高める政策を実施することだった。89年に発表された白書『Working for Patients』で示された改革案では、停滞したNHSを活性化すべく、効率を高める競争メカニズムを組み込んだ新しい仕組みが提唱された。具体的には、公的医療機関間の競争の導入と、民間企業による医療提供・医療保険への参入推進であった。
競争が健康格差を生む
こうした保守党による医療改革の結果、医療費の公的負担の増加はある程度抑制できたものの、多くの問題が起こった。
競争の結果、不採算病院の閉鎖とそれによる地域のベッド数の不足、資金不足による新規病院建設の減少と医療職雇用数の減少が見られた。待機リストと呼ばれる病院への入院・手術待ち患者の数は、国全体で116万人、18ヵ月待ちの人に限っても約70万人に膨れ上がった。
これらの改革が生んだものとして注目したいのは、“健康格差”の拡大である。例えば、マンチェスターにおける65歳未満の冠動脈疾患による死亡率は、ロンドン郊外の3倍に上った。また、患者を病院へ紹介した場合に、その患者が13週間以内に受診できた割合は、地域により71%から98%の開きができてしまった。
健康格差に関しては、80年の『Inequalities in Health : The Black Report and the Health Divide』(通称ブラック・リポート)が有名だ。ブラック・リポートは、収入や教育レベルにより平均寿命や乳幼児死亡率などに差があることを明らかにし、政府に対して早期の介入を求めた。
だがサッチヤー政権は、「対策を講じるには費用がかかりすぎる」として、この報告書を意図的に無視したことが明らかになっている。内容には、「エビデンスに欠ける」という注釈が付けられ、公表自体にも様々な制限が付けられたという。公平性をうたうNHSの基本方針が、保守党改革の結果、大きく揺らいでしまったのである。
ブレアの医療改革
前述の通り、97年の総選挙で政権を取った労働党は、マニフェストで公約した医療政策改革に乗り出した。 2000年の白書『The NHS plan』では、「医療への公的支出増加」と「医療従事者の増員対策」の2本柱を打ち出し、サッチャーおよびメージャー保守党政権の方針から大きく転換を図った。
結局のところ、医療に関する問題を解決するにはお金がかかる。財務相から諮問を受けた委員会による02年の報告書『ヴァンレス・リポート』は、国民に必要とされる十分かつ質の高い医療を確保するには著しい財源不足であると指摘し、今後20年にわたって医療政策を推進するには大きな投資が必要であるとした。
ヴァレンス・リポートは、国民医療費の伸び率を最大5.2%、5年間の医療費の増加分は28億ポンド必要であると推計。実額では、97年の456億ポンドから年7%の成長を続け、現在は当時の2倍以上になっている。
また、国民医療費の対GDP比は、2000年には7%以下だったのが、05年には8.3%になり、08年には9.2%に達すると予想されている。増加分の財源は、様々な形での増税で得られた一般租税財源からの支出増に加えて、先に挙げたナショナル・インシュランスという給与所得税の一種の増額分からの繰入額増加で賄われた。
これまでの10年間の医療改革の成果としてゴードン・ブラウン現首相が報告するところによると、看護師8万人増、医師3万8000大増を達成し、医師のうち5000人は、地域で身近な医療を提供する家庭医を確保したとしている(表1の参考資料参照)。また、待機リストの人数も減少し、心血管疾患や癌治療などの質の向上に注力した結果、24万人の命を救ったと宣言した。
「ターゲット政策」が奏効
先に挙げた国民医療費の増加分は、ただ単に診療報酬を上げて医療機関の収入を増やすことに使われたのではない。注目すべきは、英国政府は様々な政策的手法を駆使して、戦略的に費用のかかる医療制度改革を行っていることである。以下、「ターゲット政策」と「規制政策」の2点について解説したい。
医療制度改革の目的に対する数値目標を設定し、その達成を目指して計画・実施される政策を、ターゲット政策と呼ぶ。
一見当たり前のように見えるこの政策の本質は、医療の質改善の方略として、「医療機関同士の競争」から、救急外来における待ち時間を減らすといった「個々の医療機関が明示的な質目標に向かって努力する」ことに転換したことにある。その背景には、競争原理を導入し、効率を追求したサッチヤー保守党改革では、社会全体としての医療政策目標が達成しにくかったことがある。
労働党改革においてターゲット政策の優先分野となったのは、国民の間で不満や格差の大きかった「健康状態の改善」「医療機関へのアクセスの向上」「長期的にケアの必要な人のサポート」「患者が経験する医療の質の改善」の4分野だ。
特に「医療機関へのアクセス」では、救急外来での待ち時間を4時間以内に、家庭医への受診を48時間以内になどの目標が設定され、各医療機関に達成率の報告を義務づけた。情報の収集方法にも細心の注意が払われ、高い達成率には予算増で応え、目標に達しなければ罰金が科せられるなど、経済的な誘導策が取られた。
これらの目標設定によって、待機リストの患者は、97年の120万人から、07年には80万人にまで減少。特に6ヵ月以上の入院待ち患者は、04年末時点で6万6000人だったのが、05年末には48人と劇的に減少した。
しかしながら、ターゲット政策には弊害もあった。例えば“ゲーミング(gaming)”と呼ばれる不正が多数報告され、特に救急に関するターゲットは格好の新聞ネタになっていた。例えば「救急外来の患者は4時間以内に診療」は98%の達成率が目標と設定されていたが、それを達成もしくは罰金を避けるために、救急車を病院の外に並べて救急外来に入らないようにし、診療待ち時間のカウントが始まるのを避けていた事例(写真1)が報告されている。
国の責任の明確化と規制
ブレア政権はまた、医療の質が低下している状況を受けて、医療職自身の自主規制に質のコントロールが任されていた「医療職“内”での規制」から、国が関与する「医療職“外”からの規制」へと転換を図った。つまり、医療職と協力しながらも、医療に関する目標を政治的に設定し、国が医療の質に責任を持ち規制を行う体制を構築したのである。
その背景には、地域や医療機関によって提供される医療内容や質にばらつきが広がり、医師任せの医療内容や質の管理に疑問が呈されていたことがある。また同時期に、医師による連続殺人などの犯罪や、小児病院でのひどい手術成績などが明らかとなっていた。こうしたことから医師不信が増大し、医療への信頼を回復させるには国の介入が必要と考えられ、規制政策が後押しされた。
健康格差問題は、労働党政権で改めて検証された。 98年の『アチェソン・リポート』で、性差、社会経済的地位、教育レベル、生活条件の違いによって、平均寿命、罹病率、死亡率が大きく変わることが示され、政府による介入を支持する方策が必要とされたことも見逃せない。
具体的には、重点対象(高齢者、小児)や重点疾患(高血圧、糖尿病ほか)について、National Service Frameworks(NSFs)と呼ばれる「求められる医療の内容、体制とその質の指針」を、保健省主導で作成。新たに設置された公的監査機関のHealthcare Commission(保健医療委員会)で、各地域でのNSFsの遵守・達成を監査・報告する体制を構築すると共に目標を達成できなかった病院への指導も行われるようになった。
評価された内容は一般に公開され、患者が医療機関を選ぶ際の有用で客観的な情報を提供している。疾患別のNSFsを見ると、予防、診断、治療からその地域で備えるべきサービスの内容まで言及しており、きめ細かい。また医学的知見に関しては、治療や医療機器に関する医療技術評価機関であるNational Institute for Clinica1 Excellence (NICE:国立最適医療研究所)が設置された。 NICEはいわゆるエビデンスに基づいた最良の診療に関する情報を提供し、その成果はNSFsにも反映されている。
これらの政策に関して財政面で注目すべきは、既存の行政機関を使わず、予算を投じて公的機関を新設した点だ。設立時点における年間予算額は、Healthcare Commissionは約7870万ポンド、NICEは1760万ポンドと、いずれも巨額の予算が役人されており、政府がいかに力を入れていたかが分かる。
ブレア政権とその後を継いだブラウン政権の医療改革は、上記以外にも様々な試みと見直しが繰り返された。ただこれらは政局に左右されることがあり、「政策のフットボール」と揶揄されることもある。政治主導の医療改革のため、医療現場が改革のスピードに付いていけないことが問題視され、英国の医療関係者の間では、「改革疲れ」も指摘されている。
今後は質の向上に注力
最後に冒頭で紹介した『High Quality Care For AII』(ダルジ・リポート)について触れたい。
ダルジ・リポートでは、今まで医療関係者が汲々としていた「待機リスト」や「何分、何時間、何日で対応するか」といった問題から離れ、その名が示すように今後は「いかに質のよい医療を全国民に提供するか」ということに注力する方針を示している。具体的には、「患者安全」「ケアの効果」「患者経験の改善」を質の3本柱に据え、中央政府が決めるターゲットや規制ではなく、より地域の状況に即した、地域主導の医療の質改善を推進するとしている。
NHSで働く医療従事者の教育や研修への投資を重視することが明言されていると同時に、注目に値するのは「医師の役割の重視」である。医療の質指標の開発や、地域での医療システムの構築に対する医師のリーダーシップ発揮への期待が示され、医療不信から医療再評価への希望を感じさせる。
09年初頭時点では金融不況の影響が大きく、財政的には厳しい状況ではあるが、英国政府による医療制度改革の舵取りは、今後も注目に値しよう。
小泉改革は“遅れてきたサッチャー″だったのか(編集部)
日本と英国は、国内総生産(GDP)に占める医療費の割合(対GDP比)で、G7の中で最低を競ってきた。 95年以降、日本の方が英国より高い時代が続いたが、04年に追いつかれ、06年はついに英国(8.4%)が日本(8.1%)を上回った(OECD Health Data 2008)。
英国はブレア改革により医療費を増額してマンパワーを増やし、日本は小泉改革により社会保障費の自然増を毎年2200億円ずつ減らすという、対照的な政策の差を反映している。
財源やアクセスなどの点て、わが国の医療制度とは大きく異なる英国の経験は、参考にならないと考える人がいるかもしれない。しかし、投資という“アメ”と規制という“ムチ”の両刀遣いで、目に見える形で質の向上を図ろうとしている英国の姿勢には、見習うべき点があるのではないだろうか。
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