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(投稿:by 僻地の産科医)
少しづつですが、近づきつつあるように思えますo(^-^)o ..。*♡
それはきっと、医療崩壊よりも遅い歩みですが、
ないよりもずっとマシ。
この記事を読んで、まだ捨てたものじゃないな!
と感じました。
記者の皆さんにわかっていただけていないのは、
多くの医師は転勤族だと言うことです。
去年、受けいれる立場にいても、今年は送る立場だったり。
技術があろうとなかろうと、
医師は「機器」や「病院」の力で
同じ治療をやれたりやれなかったりするだけだったりするんです。
だから、「怠慢」で受けないなんてことはない。
そういったこと、ちょっとでもわかっていただけたらと思います。
「たらい回し」「搬送拒否」は適切な言葉?
河合 蘭
All about 2008年12月03日
(1)http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20081203A/
(2)http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20081203A/index2.htm
医療者から起きる反発の声
妊婦さんの搬送受け入れがうまくいっていないことが問題になっていますが、さて、報道で繰り返されている「たらい回し」「搬送拒否」という言葉は適切でしょうか?実は、医療関係者からは、この言葉に対する強い反発の声が聞かれます。
病院バッシング?
日本赤十字社医療センター産科部長の杉本充弘医師は「正しくは『受け入れ不能』あるいは『受け入れ困難』でしょう」と言います。「たらい回し、拒否といった否定的な言葉が出てくるのは、どこかに病院バッシングの気持ちがあるからではないでしょうか?」
.
NICU(新生児集中治療室)では刻々とベッド状況が変わります。このとき空いていたのは1床。それも、少し前、ひとりの赤ちゃんに別施設へ移ってもらい、やっと空けたベッドでした。
【神奈川県立こども医療センターで】
最近出産したあるお母さんは、「たらい回しという言葉を聞くと病院が何の努力もしていないように感じる」と言いました。確かに「たらい回し」「搬送拒否」という言葉には「本当は受け入れられるのに、面倒だから受け入れない」という職務怠慢・職務不履行のニュアンスが含まれます。そこが、医療者たちを「違う!本当に余裕がないんだ」と叫びたい気持ちにさせるのです。
受け入れられない場合は他の病院を紹介している
医療者たちが「自分たちがしていることは搬送の拒否ではない」と主張する理由は、ひとつには本当は「受け入れたい」と思っているということです。また、総合周産期母子医療センターは、受けられない人を、その場で投げ出してしまうわけではありません。担当地区内の発生については、他の病院をあっせん(紹介)するのがふつうです。
自分の病院ではなかなか受けられないが、ブロック内では9割を収容
日赤医療センターの場合、同病院に通院していた妊婦さんの緊急事態であれば、これは全員受け入れます。センター病院にはハイリスク妊娠が一帯から集まりますからこれだけでかなりのベッドが埋まりますが、医療センターはブロックの要になっている総合周産期母子医療センター。ですから担当地区内の緊急搬送についても責任を果たします。ブロックの中で診療所などから搬送が発生した場合は、自分の所あるいはブロック内のほかの病院(このブロックにはほかに国立東京医療センター、成育医療センターというふたつのセンター病院があります)で収容できるようにコーディネートをするのです。こうして、西南ブロックの中では9割が行き先を確保できている状況です。
重症度に応じた振り分けをしている
病院それぞれに「どれくらい小さな赤ちゃんを診られるか」「母体の治療にはどこまで対応できるか」に特徴がありますから、それらも考慮しながら、総合周産期母子医療センターは搬送先を決めています。この振り分けは、限りある高度医療のベッドを最大限有効に使うくふうでもあります。
「本当にベッドがない」という深刻な現実
残念ながら、やりくりをしても今の状況では限界はあります。日赤医療センターも、他のブロックや他県から来る搬送依頼は半数程度しか受け入れられていません。ただ、担当地区内の受け入れ責任をギリギリで果たせるか、果たせないかの瀬戸際にある病院がそれ以上のことを求められても、それは現実的ではありません。断られた人たちはみんな「たらい回しにされた」と感じているかもしれませんが、本当に受け皿が足りなくなってしまったのです。
少し良くなった赤ちゃんはNICU(新生児集中治療室)をすぐ出る・・・それでも足りない・・・
神奈川県立こども医療センターも同様でした。川滝元良・豊島勝昭両医師によると、ここも、ほとんど毎日が満床で、受け入れるのは他病院では治療出来ない赤ちゃんだけ。他の赤ちゃんはその子の重症度に合った病院を探してあっせんします。それでも、どうしても県内にベッドがなく、県外に赤ちゃんを送らざるを得ない日もあるといいます。少しでも空きを作ろうと早期退院、転院につとめても今の状況ではそういう日が出てしまうのです。NICUを必要とする患者数と医療の供給が明らかにアンバランスだからです。
記者の中からも「決めつけだった」という声が
マスコミ関係者の中にも、表現を見直したいという気運が現れています。何名かの声をご紹介しましょう。
ある新聞記者は「受け入れ不能」という言葉がいいのではないか、と言います。「マスコミは、問題が起きた時に『本当は受けられたのに断った病院もあっただろう』と疑念を持って「たらい回し」と言い出したのでしょう。でも、現場取材に行くと、病院はこんな苦労をしてきたのかと実態がわかって、今は認識を改めつつあるところだと思う。先日の厚生省事務次官殺人事件で当初『テロ』という言葉が使われたように、マスコミは、実態がよくわからないうちに決めつけをしてしまうことがある。それは自戒しなければならないのでは」
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NICUのベッドは寝台というよりも生命維持の装置。自力呼吸ができず、機械で息をしている赤ちゃんもたくさんいます。
【神奈川県立こども医療センターで】
番組の中で話し合い「たらい回し」という言葉は使用しないことに
民放TVでニュース番組を担当するあるディレクターも、現場取材をしたスタッフから「『たらい回し』という言葉は実態に合わない」という意見が出て、この言葉を番組内で使わないようになったと言います。ただ、かわりのいい言葉が見つかったわけではなく「搬送を断った」と表現することが多く、字数を節約する必要があるテロップでは「搬送拒否」となることが多いそうです。
受け入れてもらえない患者のやりきれない気持ちは、医師もわかってほしい
一方、しっかりと患者側に立った視点が大事だ、と考える報道関係者もいます。ある新聞記者はこう言います。「『たらい回し』は患者の実感そのものを表した言葉。それを『違う』と強調されると『医療者は断られた人の気持ちを理解していないのではないか』と世間から見られるだろう。『受け入れ不能』にすべきだ、という意見もあるようだが、それは個々の病院の状況を表しているだけで患者の困窮を表してはいない。『たらいまわし』という言葉を否定するには、さらなる検証をおこなうことも必要。ほとんどの医師は最大の努力をしているのだろうが、そうではない病院もあるかもしれない」
お互いの立場をわかり合いたい
「たらい回し」「搬送拒否」という言葉をめぐる報道関係者の思いはさまざま。でも、ひとつの共通項があるように思われてきます。それは、医療者、マスコミ、患者の間で「相手の事情が見えない」というコミュニケーション不足が起きているということです。
NHKで報道番組に携わるあるディレクターは「医療者と私たちが話し合える場を持ちたい。私たちも、医療との間に溝のようなものがあるように感じている。まずはそれを解決したい」と言いました。
はじめのコメントをくれた記者からは、こんな声も聞かれました。「こんなに困っていたのなら、医療側からもっと早くマスコミに発信してほしかった、という気持ちはあります。医療を責める表現になってしまったのは、お互いに日頃のコミュニケーションが不足していた」
願いは同じはず
産科救急や新生児医療のベッドが不足している状態は放置しておいてよいはずはなく、少しでも早い解決を願う気持ちは誰もが同じはずです。
「たらい回し」「搬送拒否」それとも「受け入れ不能」?この議論にはそこには、立場の違う人同士が共通認識を持つことの難しさが表れています。
あなたはどう感じますか?
河合蘭のall about記事の、一つ前は「フリースタイル分娩」=分娩監視装置が装着できない=無過失保証対象外)、二つ前は無痛分娩(麻酔科医は手術麻酔だけでも不足しているのに、どこからマンパワーを調達するかはスルー)です。
この記事を読んで安心しても、次回には相変わらずアチャーな記事を書いているんじゃないでしょうか。
投稿情報: clonidine | 2008年12 月 7日 (日) 20:45
脳死移植のドナー患者さんの家族は、遺族?
昔、脳死移植が日本でもはじまった時、マスコミのみなさんは、脳死患者さんのドナーの家族を、ドナーの死後、亡くなった患者さんの家族だからと遺族と報道していました。その中で、ある「遺族」の一人が、まだ、ドナーの臓器は、レシピエントの体の中で生きている。家族の体の一部が生きているのだから、『遺族』と言わないで、、といったことから、「家族」と報道されるようになったと記憶しております。たしかに、法律の上では脳死判定後、ドナー患者さんは「死亡」していることになります。しかし、移植が成功した場合、普通の死と違って、亡くなった方の体が細胞レベルまですべて死滅するのとは違って、臓器の単位で、何人もの患者さんの体の中で生き続けることになるのです。
なるほど、普通の死体や死とは違う概念が必要です。
それと同じで、受け入れ不可能なことを拒否とか、たらい回しと表現するのは、日本語のプロとして、御家族にたいしてネガティブな印象を植え付けるように思います。まるで医療ミスをしたがごとくの印象操作です。
日本語のプロの方々に、どうか、現場も納得する表現を模索して頂きたいと思います。
GWにホテルが満室でも,ホテルがたらい回ししたとか、宿泊拒否したとかいわないでしょう。
受入拒否と文字数が限定されているならば、受入不可でよいと思います。
だって、できないことはできないんですから。
投稿情報: 麻酔科医 | 2008年12 月 7日 (日) 21:31
追加
不幸にして母体死亡になったケースのご家族を「遺族」と連呼するのも、ちょっと違和感があります。たしかに亡くなった患者さんの家族=遺族なんでしょうが、産科の先生が必死に救命した患者さんは、母体だけじゃなくて、こどもも患者さんだったのではないのかな?
だとしたら、産科の先生が助けたこどもが生きているのだから、助かった患者さんの家族を遺族というのもおかしい感じがするのです。
それに、病院の中では、亡くなった患者さんのご家族にいきなり、「遺族」といいますでしょうか?すくなくとも、霊安室にいっても、私は、「ご家族」ということばをつかっています。亡くなったらいきなり「遺族」ということばを病院内では使わないです。でも、新聞報道では、亡くなったらそく、遺族ですよね。
なまじ、同じ日本語を使用しているので、違和感を感じるのかもしれません。
投稿情報: 麻酔科医 | 2008年12 月 7日 (日) 21:44
まったくですね。
あ、河合蘭さまの記事のことは私も存じています。そして、前の記事は一応スルーで載せてみました。
はっきりと勉強不足な方だと思っております。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2008年12 月 8日 (月) 00:04
「て ・ お ・ く ・ れ」。
以上。
自分は悪くなかったんだ風後付け言い訳は、醜いだけ。
投稿情報: 惨禍医 | 2008年12 月 8日 (月) 12:23
そうね。ほんと。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2008年12 月 8日 (月) 13:28
この方、どっかで聞いたことがあるな~と思っていたら
奈良でまた起きた妊婦さんたらい回し
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20070831A/
って記事書いていた人だった。
「タイトルのたらい回しという表現はやめてほしい」というメールを送ろうと思っていたんだけど、思い出しました。
記事自体は、まあまあなんですけどね。
投稿情報: pan | 2008年12 月 8日 (月) 21:56