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(投稿:by 僻地の産科医)
面白い記事がありましたのでo(^-^)o ..。*♡
「患者学」は医療不信の危機を救えるか
キャリアブレイン 2008/10/16
(上)http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18693.html
(下)http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18694.html
「患者学」という言葉を耳にする機会が増えてきた。しかし、現状で使われている「患者学」は学問として確立されているものではなく、時と場合や人により、使い方や意味もばらばらだ。そうした中、日本血液学会と患者支援団体が共催で開いた公開シンポジウム「患者と医療者が一緒に考える患者学-患者学はじめの一歩」は、「患者学とは一体何か」という問いに、正面から取り組んだ。研究者や国立病院長、外資系広告会社の担当者などが、それぞれの立場から主張を展開した。彼らの問い掛けは、今後どのように生かされていくのだろうか。
【今回のシンポ】
「患者会」との公開シンポを初開催-血液学会
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■患者と医療者の「思い」に注目
田中祐次・東大医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門特任助教
わたし自身は血液内科医で、東大医学部附属病院や都立駒込病院の血液内科の患者のOBやOGを中心とした患者会「ももの木」の理事長をしている。全人的医療を行う血液内科医としてトレーニングを受け、患者会にもかかわってきた。
そこで感じたのは、患者・家族の思いや、医療者の思いがなかなか表に出てこないこと。双方が表に出てお互いに知り合えばもっといい関係がつくれると思う。患者や医療者の思いに注目していきたい。
医療者が医療の外の研究分野とコラボレーションしていくことが重要だと思うので、「患者学」というものが必要になると思う。「患者学」は、医療者や研究者、患者・家族など、皆が皆のために皆でつくるものだと思う。今日はその一歩目。二歩目をまたやっていきたい。
■患者学の体系化が、医療の信頼回復に
土屋了介・国立がんセンター中央病院長
「患者学」はまだ一般的に定着していない言葉だが、なぜ最近よく言われるようになったのだろうか。患者から「昔は医師が患者の話を聞いてくれ、生活のことも知ってくれていたのに、最近は医師が忙しすぎて十分に思いを伝えられない」などと聞く。昔は医学が学問として未発達だったので、患者に対してできることが限られていた。だから、それを補うために心の問題を解決してあげようとする時間の余裕が医師にはあった。
しかし、最近は医療機器が発達し、データも迅速にたくさん出せるようになり、一人の患者について色々考え、情報を調べられるようになり、大変忙しくなった。さらに、医療関係者は自然科学的手法の「EBM(Evidence-Based-Medicine)」に基づいて話し、論理的に解決しようとする。患者は「なるほど」と思う反面、論理的にまくし立てられると反論できず、十分納得できずに、悶々(もんもん)としている。医師は「こうやれば治る」と分かっているから、早く治したいと思うが、患者は思いを整理するのに時間がかかる。
解決法としては、医師が泰然自若として「大丈夫ですよ、時間をかけて考えてください」、という態度でいれば、患者さんは「そうですか」と安心して、質問できる。そうすれば少しは患者さんの満足度も高くなる。
こういうことを科学的に分析し、どう対処したらいいか考えるというのも患者学の一つでは。これらの対処は生物学や物理学など自然科学の手法ではなく、「心のあや」を解いていくもので、人文科学的な知識がないと一般化できない。医療関係者が考える古典的な医学だけでなく、患者さんの生活にはさまざまな要素があって総合科学的な側面があるので、その橋渡しが「患者学」という言葉で表せるのではないか。
断片的な技術を応用していく状況が、今の「患者学」だと思う。そのうち「こうやったらいいのでは」という「公式」ができてきて、それらがまとまって患者学が体系化されていくのでは。その時に、患者さんの日本の医療に対する信頼が回復すると思う。それが解決しないためにあちこちでほころびが出て、残念ながら今の医療不信がある。個々の医師が頑張っているが、それを統合していく努力が必要。今後の患者学に期待したい。
■患者=患者+生活者。医師との感覚にズレ
西根英一・マッキャンヘルスケアワールドワイドジャパン・ヘッド・オブ・パブリックヘルス兼シニアエディター
広告心理学や行動経済学の観点から「なぜ患者と医師は理解し合えないのか」というテーマで話してみたい。
医師と患者は向き合っているが、その間には壁がある。医師は科学的根拠に基づいた診断治療や健康増進など、「エビデンス・ベースド」で語る。患者は気持ちに基づく医療や健康といった「インサイト・ベースド」で考える。インサイトというのは「深層心理」などを意味する広告業界の専門用語だ。
さらに次の壁がある。患者は、「患者インサイト」と「生活者インサイト」の二つを持っている。患者インサイトは病気の進行度などを考えながら治療に向かい、加えて、世代や居住地、男や女としてどう生きるかという生活者インサイトとしての側面がある。医師と患者の満足の「ピーク」と「エンド」は、それぞれズレがある。医師は、治療による成果が出た時に、満足のピークとエンドがほぼ同時にくるが、「患者インサイト」のエンドは、「生活者インサイト」の新たな出発点になる。また、患者にとってのピークとエンドは遠く離れている。こうしたピークやエンドのズレが治療行為全体に対する印象を変えてしまっている。これが壁だ。
さらに次の壁だ。患者は、患者としての価値観や期待値を持つが、生活者の立場に移っていくと、欲求が「歩けない→歩きたい→走りたい→山に登りたい」と変化する。しかも、人は簡単に満足しないし、満足したら飽きて次を求める。
こうした患者の「ふわふわした気持ち」へのコミュニケーションアプローチが必要になる。患者に対し、何が必要で何を優先すれば幸福かということ。誰に対してどう発信するかを含め、情報やコミュニケーションを開発していくことが重要だ。このような意味で、「患者学」は医療の将来を描くグランドデザインになる。患者を真ん中にした産「患」官学共同という形になっていくのがよいのではないか。
■「患者学」誰のためのものか
埴岡健一・東大医療政策人材養成講座特任准教授
「患者学」とは何かということが、実はよく分かってない。分かりにくいがすごく魅力的で、頭に揺らぎをもたらす。「何なのだろう」という着眼点があり、いいことだと思う。
「患者学」は誰が何をどう考えるものだろうか。患者の体や心も扱う。臨床試験、治療、ケア、心のケア、社会活動、患者支援サービス、広報、コミュニケーションなどが対象領域として語られていくと思う。学問手法としては、これまでやってきた生物学、生化学、分子生物学などがあるが、経営学、倫理学、社会常識、経済社会学、情報工学、人文科学、アートなども入るだろう。
誰が考えていくかというと、これまでは行政の研究班などだったが、学会や患者などもやってほしい。医師だけでなく看護師やコメディカル、サイコオンコロジスト、公衆衛生学者、社会学者、情報工学者、心理学者、患者・市民代表、民間企業など実務の専門家も入る。そして、研究にはお金がいる。これまで基礎医学的なものに使われていたものをシフトしていくことや、新しく基金などを考える必要もある。学際的な専門性を持ち、多様な立場のメンバーがかかわり、問題解決を結果として出していく。患者の視点を大事にすることが必要になる。
「医療者の医療者による、医療者のための患者学」になると、論文などの手段となってしまうリスクがある。「患者の患者による、患者のための患者学」では、情緒に引っ張られ、専門性が欠如する恐れや、資金力の弱さがある。「患者学」が、誰に帰属し、誰のためのものかという根本を考えないといけない。「医療者と患者による」とすれば弱点を補える。新しい学問の形として、患者と医療者が共にやっていくことが必要。
今回は「患者学」の最初の一歩。日本血液学会がリードするといいと思う。血液分野の患者学研究基金を設立するという手もある。研究を公募して審査し、来年の学会で発表・表彰というのはどうだろうか。
■インフォームド・コンセントに理解示す医師「5%」
会場:神戸市内の中規模の急性期病院でボランティアをしている一般参加者だ。患者と医療者の共同という観点でインフォームド・コンセントについて考えると、中立的な立場の人がかかわらないと難しいと思う。その場所だが、大学病院は病院と大学の研究機関が連携しているためやりやすい。しかし、一般の病院は難しい。理解を示す医師は5%で、95%の医師が共感に至っていない。その中でどうやって場を作るかを考えている。ここで、「患者学」がどうかかわれるのか、それがよくつかめない。
西根英一・マッキャンヘルスケアワールドワイドジャパン・ヘッド・オブ・パブリックヘルス兼シニアエディター:米国では「ヘルス・コミュニケーション」という言葉が生まれている。国内でも大阪大、九州大、京大などの医学部や、国立がんセンターなどでこれを学んでいこうという動きが出ている。ヘルス・コミュニケーションを学問として体系立てて考えていくことで整理していきたい。
田中祐次・東大医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門特任助教:理解を示す医師の「5%」とは何なのか。インフォームド・コンセントにかかわる言葉の問題なのか、なぜ「5%」なのかを調べていくことも必要。
■主治医と、間に入る医師との関係性は
会場:血液内科の医師をしている。田中先生は、現場での一つひとつのかかわりを大事にし、小さな人間関係をいくつもつくりながら各地を回っていて、感銘を受ける。わたしの病院に来てもらってインフォームド・コンセントを助けてほしいとも思うが、わたしの考えとは違うことを言ってもらうと、その情報ギャップをどう埋めていくかという不安もある。田中先生は患者会で人間関係をつくられているが、患者さんには主治医がいる。その辺りのコミュニケーションをどう考えるか。
田中:多くの患者会は、主治医のファンクラブ。例えば、ある患者会に自分が参加していても、主治医の先生が来たら、患者さんたちは皆「先生、ここ、ここ」と、自分の隣の席を空ける。患者さんたちが医師に感謝し、頼りにしているというこのような声が、表に出てきていない。そういうギャップを修正したい。医師が普通に話した言葉で、わたしが見ても血液内科医としては普通であっても、患者さんの受け止め方が違っていることがある。そういう場合に、主治医とその方との関係がよくなるようにしていきたい。
会場:小児科医だが、小児医療の中での患者学の論点は?
田中:「患者学」はまだ学問領域ではない。緩和ケアの方から出てきた言葉ではあるが、患者中心のケアというところで始めていけば何か出てくるのではないか。逆に、小児医療の中ではどういうことが対象になってくるだろうか。
埴岡健一・東大医療政策人材養成講座特任准教授:患者の自律という視点が入ってくるのでは。患者が大人の場合、医療者と患者という関係になるが、子どもの場合は、親もその関係性に入ってくる。
■「自分なりの答え」の手助けに
会場:血液内科の医師だ。「患者学」がどういうものかはまだ分からない。医学を修めた人間が優秀な医者になるとして、同様に患者学を修めた患者が立派な患者になる、と考えるのか。「立派」とはどういうことか。患者になって試行錯誤がいっぱいあり、自分なりの答えを出す。その道筋に論理を立てて、正しい答えに早くたどりつかせてあげるのが学問だと思う。「患者学」は医療そのものの問題を含め、一つに収まり切らないだろう。そうした雑多なものが一つに集まって、「立派な患者」や「幸せな患者」にたどりつく一つの助けになるといい。
個人的な希望としては、こういった分野が存在感を示してアピールし、医師の側からも発信していくことが重要ではないか。10年前にはセカンドオピニオンという言葉はなかったが、今では患者の方から言われるほどになった。普通に使われるようになることが大事で、病院はそのためのソリューションを提供しなければならない、という環境になってほしい。
http://www.shinchosha.co.jp/magazines/nakaduri/408/
「内部告発文書飛び交う国立がんセンターの医療崩壊」
実質土屋院長つるし上げ記事ですが
投稿情報: 匿名希望 | 2008年10 月17日 (金) 18:20
国立の病院長なんて、
所詮、厚労省との板ばさみ。
中間管理職で何もできないのが実情なんですよね~(>▽<)!!
なのでとりあげるのをやめてみました。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2008年10 月17日 (金) 20:49