(関連目次)→医療事故と刑事処分 目次 08’秋の通常国会への動き
(投稿:by 僻地の産科医)
樋口先生のファンなんです~(>▽<)!!!!
福島県立大野病院事件◆Vol.31
「不幸な転帰をたどった医師法21条」
東京大学大学院法学政治学研究科教授
樋口範雄氏に聞く
聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)
福島県立大野病院事件で、異状死の届け出を定めた医師法21条に関する弁護側の意見書を書いたのが、東京大学大学院法学政治学研究科教授の樋口範雄氏だ。
(1)医師法21条をめぐるこれまでの動き
(2)医療事故と刑事裁判のあり方
(3)大野病院事件の判決の21条と業務上過失致死罪についての解釈
(4)診療関連死の死因究明などを行う“医療事故調”のあり方について、樋口氏に聞いた。
(1)http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080929_1.html
(2)http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080930_1.html
(3)http://www.m3.com/tools/IryoIshin/081002_1.html
(4)http://www.m3.com/tools/IryoIshin/081006_1.html
樋口範雄氏は、日本内科学会などが2005年9月から開始した「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の運営委員会委員長、厚生労働省の「診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する検討会」の委員を務める。
――まず医師法21条をめぐる経緯について、先生がどう見ているのか、お聞かせください。
医師法21条については、「誤解を含む善意の積み重ね」でここまで来てしまったと考えています。1990年代の初頭までは、診療関連死を警察に届け出なければいけないとは、厚生労働省も、また医療者も誰も考えていなかった。 ところが、94年に日本法医学会が診療関連死も届け出るべきだというガイドラインを作成しました。その背景に、日本の剖検率が諸外国と比べて低く、死因が分からないケースが少なくないという問題意識があったと思います。異状死の定義を広げれば、剖検率は高くなります。それは公益につながることですが、臨床現場の混乱を来しかねなかった。94年当時は誰もこのガイドラインを注目していなかったのですが、99年の横浜市立大学と東京都立広尾病院という、いわゆる大病院で、しかも患者の取り違えと薬剤の誤投与という初歩的なミスが生じた。その上、都立広尾病院では隠蔽があった。「これは警察が出てこないと問題だ」とされた。
そこで、「警察を頼りにしなければいけない」としたのは、当時の厚生省です。2000年8月に同省の国立病院部「リスクマネージメントスタンダードマニュアル委員会作成報告書」で、医療過誤による死亡もしくは傷害が発生した場合、またはその疑いがある場合には、施設長は速やかに所轄警察に届け出るルールを定めたわけです。
多くの医療関係者は、それを見て「ばかげたこと」と思ったでしょう。しかし、警察に届け出ないと社会が納得しないということで、厚労省に続いて、日本外科学会を初め、複数の学会が21条の届け出範囲を広く解釈するガイドラインを作成しました。「事故は隠しません、透明性を確保します」という姿勢を示したわけです。
しかし、本来、警察が捜査しても、死因などが分かるわけではありません。2002年の日本外科学会ガイドラインでは、死因究明などを行う第三者機関の必要性を打ち出しており、診療関連死を広く警察に届け出るのはそれまでの間としています。結果的に2000年代に入り、警察への異状死の届け出が増えたわけです。ですから、医師法21条は不幸な転帰を迎えた。
――異状死の警察への届け出は、90年代は年間数十件でしたが、2000年以降増加し、ピーク時には年間約250件になっています。
警察や検察は、医療事故をどんどん刑事事件にしたいと思っているわけではありません。ただ、業務上過失致死傷罪には、捜査しやすいという側面はあります。初めから、「容疑者」を特定でき、しかもその医療機関にいるわけですから、「逃げない」。過失の立証は大変ですが、とりあえず容疑者を「捕まえる」と、警察は喝采を浴びるわけです。医療分野でも一時は「よくやった。また医療事故か」とされ、そうした報道もなされていました。だから、警察や検察もがんばったのではないでしょうか。
しかし、医療者は当然ですが、「これは大変だ」「道を誤った」と、すぐに気付いた。日本外科学会は、「ガイドラインを作成したものの、医療界がどんどん悪い方向に行く。やはり自分たちで診療関連死の死因究明などを行う第三者機関を作らなければ」と考えた。そこで2005年、日本内科学会が中心となり、診療関連死を調査するモデル事業がスタートしたわけです。内科学会と外科学会が共同すれば、医師の大半が関係することになります。そこに厚労省も予算を付けた。国の予算規模からすれば、約1億円という額は微々たるものですが、役人は「自分たちが誤っていた」とはなかなか言わないものなので、予算を付けることに意味があったわけです。
モデル事業で、医師をはじめ専門家の手で死因究明を行う仕組みを作り、実績を積み重ねる。そうなれば警察に届け出なくて済み、医師法21条を改正して、「元の趣旨に戻す」ことが可能になります。
私はこのモデル事業の運営委員会の委員長を務めています。これまで調査報告書作成までに至ったのは全国で約60件と少なく、件数的にはモデル事業が成功したとは必ずしも言えない面がありますが、ゼロか60件かは大きな違いです。医師も臨床医、病理、法医、さらには看護師、弁護士をはじめ、多数の方がモデル事業に関与しました。それぞれが自分の経験を踏まえ、次にどんな制度を作るべきかを語ることができるので、非常に意義がある経験です。
「刑事裁判は○か×かを決めるゲーム」
――医療事故を警察が捜査する、刑事事件化することについて、先生はどうお考えですか。
そもそも刑事裁判は、遺族のためにやっているわけではありません。公の安全、秩序維持のために刑法があるわけです。したがって、遺族が刑事裁判に期待することはできません。しかも、「疑わしきは罰せず」「間違って無罪にすることがあっても、それは構わない」のが刑法の基本であり、これは諸外国でも同様です。「90%以上は有罪である」と思うケースしか有罪にはしません。60%、70%程度疑わしくても、これは無罪放免です。
私は大野病院事件については、当事者に直接お会いしたことはなく、ご遺族の話も、テレビで記者会見を聞いただけですが、「大野病院の院内事故調査委員会で3つの過失があると認めた。しかし、裁判になったら、医師も弁護側も過失はない、仕方がなかったと言う。こうした話は聞きたくなかった」との趣旨で話していました。しかし、刑事裁判のシステムでは、そうならざるを得ないのです。有罪か、無罪かを決めるのが刑事裁判なのです。弁護側は通常、「犯罪者になるほどの過失はなかった」と主張します。一方で、検察はどんなことでもいいから、相手を有罪にするための証拠を探してくるわけです。
例えば、大野病院事件では「難しい症例は他の病院に送るべきだ、と指摘した」「もっと輸血を準備しておくべきだった」などの証言が公判で出てきたわけです。しかし、これらを初めて公判で聞いた遺族は、「裁判で分かったことがある」となりますが、前述のように刑事裁判は遺族のためにやるわけではない。真相究明のためでもない。刑事裁判は「○か×かを決めるゲーム」なのです。こうした刑事裁判で果たして真相究明ができるでしょうか。
――だから医療事故を刑事事件として扱うのは馴染まない、業務上過失致死傷罪を適用するのには無理があると。
今回の大野病院事件で、仮に有罪になったからといって、果たして遺族は満足したでしょうか。「有罪でも、無罪でも満足できなかった」というのが遺族の本音なのでは、と思っています。遺族にとっては、ある日突然、家族が死亡した。思いがけず、突然不幸に見舞われたわけです。しかも、子供が誕生し、新たな生活が始まるはずだった。それが断ち切られる。
こうした不幸に対して、日本の社会がどんなシステムを用意しているでしょうか。現実は、刑事裁判のような「荒っぽい」システムしかない。メディアも含めてです。メディアは事件が終われば、それで終わりです。有罪か無罪かではない、別の方向で考えるシステムがあってしかるべきではないでしょうか。隠蔽防止などに対しては刑事裁判は意味があるものの、有罪か無罪かで騒ぐシステムは、あまりにも子供っぽく、無責任だと思います。
――だからこそ、何らかの機関が必要だと。
誰が考えても、その方向に進むのが穏当です。医師だって、たまたま医療事故を起こしたとしても、それまでは何人も人を助けてきたわけです。医師を辞めさせるのではなく、引き続き人を助けてもらうための仕組みを作る。よほど悪徳な医師、何度も同じミスを繰り返す医師は辞めさせた方がいい。しかし、医師、そして遺族、それぞれが事故後も生きていかなければならないのですから、その人のためになる、その人が生きていくことが他の人のためになる。こうした方向性を探るのは当然ではないでしょうか。
「医師法21条違反だけ有罪は最悪だと思った」
――どんな経緯で、医師法21条に関する弁護側の意見書を書かれたのでしょうか。
大野病院事件の判決のシナリオとしては、3つ考えられました。業務上過失致死罪と医師法21条違反で起訴されたので、
(1)両方とも無罪
(2)医師法21条だけ有罪
(3)両方とも有罪、です。
(2)の意味ですが、業務上過失致死罪はなかなか立証ができなかった、犯罪とするほどの過失であるかどうかは、専門家の証人に聞いても分からなかった。しかし、その場合でも、24時間以内に警察に届け出ていないわけですから、医師法21条違反は成立するということです。
業務上過失致死罪が成立するか否かは医学的な問題なので、法学に携わる私の立場としては、(2)が最悪だと思った。だから弁護側から意見書を依頼された際、引き受けたのです。検察は国会答弁などで、「医師法21条違反で起訴するのは、業務上過失致死傷罪の疑いがあるときだけであり、21条違反のみでは起訴しない」と説明しています。つまり、医師法21条違反だけを有罪とするのは形式論にすぎないわけですが、とんでもない裁判官であれば、有罪とすることがあり得た。
――その前提として、そもそも今回の事件が異状死に当たるか否かの判断はどうなりますか。
日本外科学会をはじめ、「過失を伴うような診療関連死を届け出る」と言っており、この事件も診療関連死であることは間違いなく、(警察の捜査の端緒となったとされる)「県立大野病院事件医療事故調査委員会」の報告書では過失であることを認めているわけです。十分に医師法21条の届け出対象であるわけです。
福島地検は21条違反だけが有罪という形でも、完全無罪よりもよかったのかもしれませんが、それでは臨床現場では「業務上過失致死傷罪が成立しないものでも、どんどん警察に届け出なければならない」ことになってしまいます。
検察のトップあるいは上層部は、「21条違反だけでは起訴しない」と言ってはいますが、現場にはどんな検察官がいるか分かりません。医療界の中には怯えがありますから、今回の裁判で21条違反だけが有罪になれば、多くの事例を届け出ることになるでしょう。しかし、それでは警察も検察も困ってしまう。結局、「誰もが喜ばない」システムになってしまうのです。それはおかしいことで、私は最悪だと思った。だから私は意見書を書いたわけです。もっとも、裁判所はこの意見書は読んでいませんが。
――先生の意見書は証拠として採用されなかった。1)
「常識的な裁判官」だったということでしょう。意見書を読まなくても、「21条のみ有罪」とするのは、非常におかしな話であることは分かりますので。
――では、21条に関する判決はどう解釈すればいいのでしょうか。
判決ではごく簡単にしか触れておらず、解釈は難しいところですが、「過失がない診療関連死は、そもそも異状の要件を欠く、異状死ではない」としています。
業務上過失致死罪が立証されて初めて、その前提条件としての医師法21条が問題になるわけです。今回の場合、業務上過失致死罪が立証されていないので、「異状死」に当たらないわけです。なお、判決では、業務上過失致死罪について、非常に厳しい成立要件を課しています。21条よりも、こちらの方が重要です。
――その辺りを詳しくお教えください。
注目すべき点が2つあります。
一つは、「ほとんどの医師がやっていること、つまり医学的準則があるにもかかわらず、それをやらなかった場合」に刑法上の過失に当たるとしている点です。この医学的準則については、「ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じている程度の、一般性あるいは通有性を具備したもの」としています。今回の場合は、胎盤剥離が困難になっても剥離を継続したことが問題視されましたが、検察がこれを過失とするためには、「ほとんどの医師はこれをやる(胎盤の剥離が困難になった場合、中断して子宮摘出術に移行する)」ことを立証しなければなりません。
ただし、判決では、「刑罰を科す基準となる医学的準則」としているので、これは前述の通り、刑法上の「過失」の考え方であり、民法上の話はまた別です。
――ではもう一つの注目点は。
「医療行為を中止する義務があるとするためには、当該医療行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにした上で、より適切な方法が他にあることを立証しなければならない。(中略)その立証のためには、少なくても相当数の根拠となる臨床症例、あるいは対比すべき類似性のある臨床症例の提示が必要不可欠である」としている点です。
つまり、検察が有罪とするためには、「この医療行為を実施したら、必ず死ぬ。他にも先例がたくさんある。それなのに、その医療行為をやった」ことを立証しなければならないとしたのです。これらで二重の縛りになっているので、業務上過失致死罪の立証について、検察側からすれば、すごく厳しい基準が示されたわけです。
控訴すれば、検察はそうした臨床例(胎盤の剥離が困難になった場合に、剥離を継続したら死亡する例)を数多く集めなければならないのですから、断念したのでしょう。そのほか、検察が控訴を断念したのは、世間が味方をしなかった点も挙げられます。一時期、医療事故を刑事事件化する傾向が見られました。しかし、風向きがここ2~3年に変わってしまった。「医師不足になったのは、検察のせいだ」などの批判も出た。本当に悪質なケース以外は、医療事故を刑事事件につなげても、誰も幸せにはなりません。
――厚労省の“医療事故調”に関する大綱案では、「故意や標準的医療から著しく逸脱したケースについては、警察に通知する」となっています。
その「標準的医療から著しく逸脱した」の解釈として、今回の判決を使用すればいいわけです。「ほとんどの医師がやっていることもやっていない」「今まで相当数の対比すべき臨床例で死亡しているにもかかわらず、その行為をやった」事例が、「標準的医療から著しく逸脱した」例に当たると解釈するわけです。
――もっとも、“医療事故調”ができるのはまだ先のことです。それまでの間、医療者は21条にどう対応すればいいのでしょうか。今回の判決は見方を変えれば、「過失があれば、診療関連死を届け出なければならない」ことになりますか。
そうした反対解釈ができるかどうか分かりませんが、率直に言えば、医療者は医師法21条を気にしすぎではないでしょうか。医療現場で、「さあ、事故だ。24時間以内に対応しなければならない」と考える気分は分かります。しかし、繰り返しになりますが、業務上過失致死罪を適用すべき事故か否かが基本です。21条はその端緒にすぎません。今回の判決が、「過剰な対応はしなくていい」「立件送致されるような事例だけを届け出ればいい」というメッセージであることだけは、間違いありません。
現場の院長などには、「何もかも届け出る必要はないんだ」との印象を与えるでしょう。こう考える院長は、従来からそのように対応していたのではないでしょうか。実際には、今までも対象となる事例が全件届け出されているわけではありません。また届け出られた異状死のうち、立件送致、さらには起訴されるのはわずかです。そうなると、届け出は何だったのかとなる。関係者の皆が嫌な思いをするだけです。
警察が来れば、容疑者として取り調べを行うわけです。警察は本来、問題がある場合にのみ、出て行くべきなのに、平時なのに届け出があれば、警察は出て行かざるを得ない。これはシステムとしておかしい。だから、“医療事故調”につながるわけです。
【補足】
2008年10月2日に、以下の点を補足しました。
1)本文で言及している「意見書」は2007年秋に提出されたものの、証拠としては不採用になりました。しかし、樋口氏が有斐閣「法学教室」(315号117~132ページ)に執筆した論稿は証拠採用され、第4回公判期日で証拠調べが実施されています。
「弁護士と同様の自律権を獲得するチャンス」
――では、“医療事故調”についてお聞きします。まず第三者機関への届け出ですが、厚労省案のように、一定の基準を満たした診療関連死は全例届け出るべきなのでしょうか。一方、民主党案では、まず院内で調査し、患者さんと話し合う、それでも紛争が解決しない事例について、届け出る仕組みです。
その二つには、大きな違いがあります。民主党案は、当事者が納得しない場合、トラブルになった場合に“医療事故調”を利用する仕組みです。ある意味では、非常に現実的な案です。しかし、医療安全、つまり同様の事故を起こさないための教訓にする、公共の利益のために皆が動くシステムを作るのならば、全例の届け出が必要です。
――今の日本医療機能評価機構がやっているように、匿名性を担保した上で死因究明・再発防止を行う仕組みと、実名での死因究明・紛争解決、両者を別建ての仕組みにすることはできないのでしょうか。
それは、日本医療機能評価機構の「医療事故情報収集等事業」が成功しているか否かの判断に左右されるのではないでしょうか。死因を詳細に調査するためには、ある程度、個人が特定できるような情報まで必要です。そこまでの調査を今、同機構は実施しているでしょうか。
死因調査の際、重要なのは、調査結果を当事者の処分・制裁には使わないようにすることです。医療事故の当事者になると複雑な気持ちにもなりますが、それでも皆が協力して、医療安全の仕組みを作りましょうというのが、全例届け出の仕組みです。ある意味、理想論とも言えますが、本筋はこちらでしょう。
こうした大義名分があるからこそ、警察も独自に動かず、まずは“医療事故調”を使うという話になります。民主党案だとそうはならない。
――“医療事故調”に全例届け出を行う仕組みの場合、調査結果が出るまでの間、医療機関と患者側の話し合いが中断されるといった懸念もあります。
当事者間でコミュニケーションが成立している場合は、基本的には院内調査でやるべきでしょう。ただ、その場合、密室の調査にしないことが重要です。“医療事故調”から、院内調査委員会に委員を派遣するなどの形で支援して行う。その結果を、“医療事故調”に提出すればいいわけです。現実的に、全例届け出の仕組みを作っても、すべてを“医療事故調”が調査するのは不可能に近い。
“医療事故調”を作るのは、非常に大変なことですが、やる価値はあります。大野病院事件の判決以降、“医療事故調”設置への機運が高まってきています。最初から完璧な制度を作るのは難しいので、できるところからやっていくことでしょう。また、残された課題もあります
――「残された課題」とは何でしょうか。まだ議論されていない部分は何でしょうか。
医療事故の再発防止をどう進めるかに関係しますが、行政処分の在り方です。形式的に「戒告」などの処分を行うだけでいいのでしょうか。再発防止のためには、プラスアルファが必要なのではないでしょうか。また弁護士は、自らが懲戒する制度を持っています。弁護士は約2万5000人しかいませんが、都道府県別の弁護士会が懲戒を行っています。一方、医師は25万人以上いますが、厚労省による行政処分という仕組みが一つあるだけです。
医師の処分は、自律的組織を作り、医師自らが行うべきです。医師は、人の命を救うことができる仕事です。「この事例は問題だ。しかし、再教育すれば対応できる」など、可能な限り医師を生かす方向で検討すべきでしょう。こうした処分は、厚労省にできるはずがない。“医療事故調”の議論は、医師が弁護士と同じくらいの自律権を獲得するチャンスでもあるのです。“医療事故調”を行政機関に作るなどの議論もありますが、日本医学会などに作り、そこに法的権限を与えるやり方もあるはずです。
――ところで今後、“医療事故調”の議論はどう進むと見ていますか。
今のような国会情勢の中で、法案を出してもすぐに通る見込みはないでしょう。厚労省は、今の機運の高まりをいかに維持するかを考えているのではないでしょうか。本来、“医療事故調”は、厚労省が大臣以下、一丸となって取り組めば、一大キャンペーンが打てるテーマです。消費者庁以上に、医療安全は重要な問題であり、さらには社会保障も含めた「安心」をキャッチフレーズにできるわけです。しかし、実際には医療界の一部に反対派がいて、なかなか議論がまとまらない。厚労省案と民主党案の比較で言えば、厚労省案については、厚労省が動き出したので、法務省と警察庁との調整が進んでいます。一方、民主党案には法務省や警察庁などは関係していません。どちらの案でまとまっても、今よりはいい状況になると思いますが、民主党案では医療への警察の介入は排除できません。
法務省と警察庁、さらには法制局など、省庁間の調整は大変なことです。厚労省は、自民党も何とか説得して「大綱案」を作った。患者団体は早期の実現を望む一方で、ブレーキをかける人がいる。民主党案はどの程度党内で合意が得られたものなのか、誰を相手に説得すればいいのかが分からない。これが今の状況なのでしょう。そして総選挙を控えています。
本来ならば、“医療事故調”は政治課題ではないのです。予算を付けてスタートし、問題があれば、修正をすればいい。医療事故を調査できるのは、医療者しかいないのですから、警察の介入はやめて、本来の医療に戻そうというのが、今の“医療事故調”の議論です。したがって、方向性としては間違っていないのです。
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