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(投稿:by 僻地の産科医)
医療事故、「医療界の意識改革」を
早稲田大学大学院法務研究科教授 和田仁孝
キャリアブレイン 新井裕充 2008年10月3日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18517.html
深刻化する医師不足の原因の一つとして厚生労働省は、医師が患者から訴えられる「訴訟リスク」を挙げている。最高裁のまとめによると、昨年の医事関係訴訟(新規)は前年から31件増の944件。平均審理期間は23.6か月で前年から1.5か月短縮しているものの、約2年間にわたる長い係争が続く。しかし、それ以上に深刻なのは、遺族からの刑事告発だ。業務上過失致死の容疑で警察が医療現場に踏み込み、カルテなどを押収する「強制捜査」に対し、医療現場からの反発は強い。
このため、医療事故の原因究明に当たる中立的な第三者機関「医療安全調査委員会」(仮称、医療安全調)の設置に関する法案準備を自民党と厚労省が進めている。今年6月、厚労省は「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」を公表したが、医療現場からの批判は依然としてやまない。その理由は、医療機関から医療安全調に届けられた死亡事案のうち、「故意」「悪質」「重過失」などの場合を刑事手続きに移行させることができるからだ。これが、“警察権力からの独立”を求める医師らの反発を買っている。
一方、「大綱案」にぶつける形で出された民主党案は、医療事故の調査と刑事手続きが明確に切り離されている。診察した患者が死亡した場合、まず「院内の事故調査委員会」などで原因を調査。医療機関と遺族の“調整役”となる院内の担当者(医療メディエーター)が事案の争点を整理し、遺族の思いをくみ取りながら対話による解決に導く。遺族が納得すれば、医療事故に関する調査は終了する仕組みなので、医療事故と刑事手続きがストレートにつながらない。遺族が医療機関側の説明に納得できないときは、遺族らが調査機関(医療安全支援センター)に申し立て、専門家による調査に移行する。
このように、医療事故を調査する組織の位置付けなどで、「大綱案」と「民主党案」の間には大きな違いがある。次の衆院解散・総選挙後の“政治的決着”により、民主党案をベースにした調査機関を設置することになった場合、院内で医事紛争の解決に当たる「医療メディエーター」が果たす役割が特に重要になってくる。
刑事罰への道を広く確保する「大綱案」か、それとも対話による解決を優先する「民主党案」か―。わが国における医療メディエーター養成の第一人者で、「日本医療メディエーター協会」(理事長=高久史麿・自治医科大学長)の専務理事を務める和田仁孝さんに、医療事故と刑事裁判との関係や、医療メディエーターが果たす役割などを聞いた。
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―産科医が逮捕・起訴された福島県立大野病院事件で、無罪判決が確定しました。
遺族はやり切れない思いだったことでしょう。しかし、もし有罪だったとしても、恐らく、ご遺族の真の“思い”は満たされなかったのではないでしょうか。今回の事件で、果たして何が残ったのか。「医療には、裁判という仕組みがなじまない」ということだけが残ったのかもしれません。医療側も「無罪でよかった」と言うのでなく、より本質的な課題を考えるべきです。医療関係者に刑事罰を与えることで、「医療安全」が高まるとは思えない。むしろ、“委縮医療”につながることは明らかです。しかし、他方、被害者の方が刑事手続きに持ち込むに至る理由、その前に医療側としてすべきことは何かを考える視点が重要でしょう。なお、大野病院事件では、ご遺族が告発されたのではないことも、指摘しておきたいと思います。
―医療事故を刑事手続きで扱うのが妥当かどうかという問題ですね。
以前、米国の学者に大野病院事件のことを話したところ、「医療事故がなぜ刑事の対象になるのか」と驚いていました。それが、医療事故に関する諸外国の一般的な認識です。警察が医療事故にかかわる国はほとんどありません。多くの医療事故は、医師が一生懸命に治療行為を行った結果、発生しています。これを過失として、刑事責任を追及するとなると、リスクの高い診療科を選ぶ人が減るのは当然です。外国のように刑事罰を謙抑的にし、代わって医療界の透明で信頼性の高い自浄的統制システムを確立すべきです。
―しかし、「重大な過失がある場合には処罰するべきだ」との意見も根強くあります。
医療事故を交通事故と比較すると分かりやすいかもしれません。交通事故の場合、居眠りや脇見運転など、「過失」は比較的明確です。事案のパターン化も可能です。ところが、医療行為は事案ごとに個別性があり、類型化することが難しい。もちろん、手術中に居眠りをしてしまう可能性がゼロとは言い切れませんが、極めてまれなケースでしょう。高度化・複雑化している現在の医療では「チーム医療」が中心ですから、執刀医個人の過失責任を追及する仕組みが妥当かどうか疑問です。医療事故を引き起こしたシステム要因を明らかにできなければ、裁判が再発防止につながることはないと言えるでしょう。
■避けられない「リスク」がある
―医療者個人の「不注意」が医療事故を引き起こしているという側面はありませんか。
確かにその可能性もあると思いますが、医療行為が本質的に備えている「リスク」を考慮する必要もあるでしょう。米国のある統計に基づいて推計すると、医療事故による国内の死者数は年間約4万人です。交通事故による死者数は年間約8000人ですので、この5倍の人が医療事故で亡くなっている計算になります。交通事故の5倍ということは、それほどまでにリスクが高い領域だと考えるべきです。ですから、医療事故を交通事故と同様に扱うのはどうかと思います。
また、「なぜ医療事故だけを特別に扱うのか」という意見を聞きますが、交通事故についても、海外では刑事罰が適用されることはよほどの場合に限られています。刑事罰が「不注意」の抑止にあまり効果がないことは、共通した認識です。「過失」について刑事罰を厳しく適用するのは、わが国固有の傾向と言えるでしょう。ただ、何度も言いますが、医療事故への刑事罰の適用はできるだけ回避すべきですが、その代わり医療側は自己統制システムを確立し、被害者への対応など、きちんと課題に取り組まなければなりません。
―しかし、遺族としては、「真相を明らかにしてほしい」と願う。医療機関としては、医療事故が報道されると致命的なダメージを受けるので隠そうとする。そこで、遺族は「真相を究明するには裁判が必要だ」と考えるのではないでしょうか。
裁判は、「有罪」「有責」という法的効果を導くために必要な要件事実を明らかにするシステムです。個々の患者の健康状態や手術時の状況などを考慮すると、個別性が強く、過去の判決(判例)の考え方を適用することが不適切な場合も多々あります。「標準的な医療行為から著しく逸脱したか」という過失の判断や、「当該行為から当該結果が生じたことが相当か」という因果関係の判断が難しい。しかも、「どうして事故が起きたのか」という微細な真相究明を願う患者さんに対して、裁判の事実認定には限界があります。「客観的な医学的原因究明」と、「そこで何が起こっていたのか」について、より微細な情報の共有が求められているのだと思います。それに適したシステムが必要です。
―民事裁判には弁護士費用が掛かります。そこで、民事で争う前に、刑事で「過失の認定」を勝ち取っておきたいという思いはありませんか。
弁護士の戦略として、刑事告発により証拠収集を容易にするということがあるかもしれませんね。米国では、医療事故などの事案では「完全成功報酬」が多く取られています。いわば、着手金もなく無料で訴訟を引き受けて、勝ったら報酬を受け取り、負けたら一切費用は取らないというシステムです。日本でも、2004年4月1日から弁護士報酬が自由化され、医療事故につき同様の仕組みを取る弁護士も出始めています。ただ、医療事故は決まったパターン(定型性)が少ないため、個別の案件ごとに時間と手間がかかります。弁護士にとっても大変な労力が必要で、それほど報酬が得やすい領域とは言えません。
■裁判外の紛争解決は「対話自律型」も
―日弁連は9月、「裁判外紛争解決手続き」として、医療紛争を処理する第三者機関(医療ADR機関)を全国に広げる方針を決めました。
昨年4月に施行された「ADR法」(裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律)では、「合意型ADR」も「法的紛争解決」をするものと定義されています。「ADR機関」は法相の認証を受けることができますが、それには弁護士の助言を得るシステムを完備させることが一つの条件です。英米では、「合意型ADR」は、むしろ法から距離を置いた紛争解決や対話の場と考えられています。あくまでも当事者が解決を図る場であって、第三者は評価や解決案の提示などを一切しません。
そもそも、医療事故を裁判外で解決する「医療ADR」の必要性が主張された背景には、「医療事故を法律的な枠組みで解決することに限界がある」との認識があったからです。従って、法律的な解決方法を「医療ADR」にまで広げる考えには疑問を感じます。弁護士会の医療ADRは、医療側・患者側の弁護士が一定の解決案を提示するようですから、そういう意味では、従来型のADRの仕組みに近いと思います。もちろん、訴訟と比べてさまざまなメリット、有効性はあるかと思います。
―そのような「従来型の医療ADR」は、今後広がるのでしょうか。
ADRでは、医療機関側と患者側の双方が応じないと手続き自体が始まりません。患者側としても、医療側との直接の対話、説明を求めることも多いでしょう。弁護士会ADRがどういう手続きをとるか不明ですが、従来、多いのは、当事者が直接向き合うのでなく、順次、第三者が別途に各当事者と話す「別席方式」です。むしろ、同席での直接対話の機会を提供するADRが必要だと思います。
患者側には、説明不足や誠意の欠如など病院の対応への不満や感情の揺れがあります。お金や攻撃が目的ではありません。他方、医療側はそれをクレーマーと位置付けていたりします。大きな認識のギャップがあります。だからこそ、情報を共有し、感情的な葛藤に対応できる「直接的な対話の場」が必要なのです。紛争解決というより「関係の再構築」が必要とされているのです。それが満たされないと、ADRでの解決もニーズに応答的にはならないかもしれません。当事者同士が向き合い対話するという意味での「対話促進型ADR」も必要と考えます。また、ADRではありませんが、院内での初期対応で、まず医療機関が患者さんにきちんと向き合う仕組みが必要です。院内の医療メディエーターもその一つです。
―法的な解決方法が医療事故の特殊性になじまないことは理解できました。しかし、「医療メディエーター」や「院内の事故調査委員会」ならば、事案の真相を明らかにして遺族の感情に応えることができるのでしょうか。医療機関側の“手先”として、防衛的に機能する恐れはありませんか。
院内の医療メディエーターは、医師の代弁をしたり、評価や解決案を提示したりしません。あくまでも医療側と患者側を直接向き合わせ、対話の場を設定し促進する役割です。院内メディエーターや、院内事故調査委員会が機能するためには、医療機関が積極的に情報を開示する姿勢を持つようにならないといけません。全国社会保険協会連合会(全社連)が真実開示・謝罪促進と院内メディエーションを連動させる試みをしていますが、こうした姿勢が必要です。「卵が先か、鶏が先か」という話になりますが、情報開示と院内初期対応システムが連動していかないと、いずれもうまくはいかないでしょう。また、姿勢や文化、意識の問題ではあっても、精神論でなく具体的なシステム、モデルとして提示・展開していく必要があります。
■「情報開示法」の制定が必要
―医療機関側の意識改革が必要でしょうか。しかし、「悪いうわさ」が外部に広がることを医療機関は嫌います。
院内メディエーションや医療ADRが機能するために、わたしは理想的には「情報開示法」の制定が必要と考えています。米国でも幾つかの州で制定されています。対話による合意を図るのであれば、医療機関が事故に関するすべての情報を開示することが前提になります。医療機関が保有する一定範囲の情報を開示することを法的に義務付けた上でなら、院内の事故調査委員会の透明性も増します。ただし、その前提として、刑事適用の回避と、それに代わる医療界の透明な自己統制システムの確立が必要でしょう。
―最後に、医事紛争を院内で解決する「院内医療メディエーター」をめぐる現在の状況や今後の課題をお聞かせください。
05年より日本医療機能評価機構で養成を始め、現在ではいくつかの常設プログラムのほか、全社連、国家公務員共済連合会、地方医師会など、継続的、組織的に導入を図る団体も出てきています。個別病院では、武蔵野赤十字病院や北里大学病院、大阪けいさつ病院など10を超える病院で、院長主導で積極的に導入しています。専従メディエーターだけでなく、メディエーションの発想が日常診療やICの場面でも適用できる、患者と医療者との関係構築に役立つという理解からです。今年度だけで、延べ1000人に研修を提供するまでになりました。
ただ、メディエーターを導入することで、医師が患者対応で楽になるとか、厄介事を減らせるとか、そういう発想で導入しようとするのは間違っていますし、期待に応えることにはなりません。なぜならメディエーターは、患者と医師を向き合わせることが役割ですから。患者のための医療、情報開示、真実開示、そうした姿勢を実現し、促進するのが院内メディエーターの役割です。医療界が率先して、医療事故をめぐる患者さんへの対応の改善に取り組んでいけるかどうか、医療界の意識改革が求められていると言えるでしょう。
【略歴】
1979年 京都大学法学部卒業
82-84年 米ハーバード・ロースクール客員研究員
86年 京都大学大学院法学研究科博士後期課程修了
88年 九州大学法学部助教授
93年 法学博士(京大)
93-94年 米スタンフォード大学客員研究員
96年 九州大学大学院法学研究院教授
96年 ニュージーランド・ビクトリア大学客員研究員
2004年 現職
【これまでの医療羅針盤】
第30回・伊関友伸さん(城西大経営学部准教授)
第29回・白髪宏司さん(埼玉県済生会栗橋病院副院長)
第28回・工藤高さん(株式会社MMオフィス代表)
第27回・鶴田光子さん(「MICかながわ」理事長)
第26回・吉冨裕子さん(「海を越える看護団」事務局スタッフ、看護師)
【医療情報番組 メディカルTV】
医療紛争解決に医療メディエーターを~北里大学病院の取り組みから~
http://www.medical-tv.jp/backnumber_vol85.html
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