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(投稿:by 僻地の産科医)
医療をまもる 夕張の提言(上) 破たん教訓『公設民営』化
中日新聞 2008年7月24日
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2008072402000115.html
北海道夕張市の2DKの市営住宅。夕張医療センター(旧・夕張市立総合病院)のセンター長・村上智彦さん(47)の来訪に、ベッドの女性(84)の表情がぱっと明るくなった。
「母さん、どうだい。変わりないかい? ご飯食べてる? ちゃんと水分取れよ」
脳梗塞(こうそく)の後遺症で寝たきり。聴診器を当てながら、気さくな口調で健康状態を確かめていく。入れ歯のかみ合わせが悪いとわかり、歯科の訪問診療を組み込むことにした。続いて、介護する夫(84)の血圧測定。「うん、父さん、ばっちりだよ。塩分とか気を付けてるでしょ。偉いね」夫も高血圧の持病があり、同センターに数回入院した。その間は、妻はセンター内の老人保健施設でショートステイ。綱渡りのような「老老介護」だが、妻の世話が夫の生きがいだという。
次の往診先に向かう車の中で、村上さんはため息をついた。
「以前は介護保険の認定さえもせずに、高齢の患者さんを長く入院させるばかり。在宅医療につなげるという発想もなかったんです」
◇
夕張市は人口一万二千人、高齢化率42%。活気が失われて久しい街だ。観光事業の失敗などから六百億円もの負債を抱え、二〇〇七年に財政再建団体となった。百七十一床の市立総合病院も三十九億円もの赤字を抱えており、経営破たんに追い込まれた。立地の不便さに加え、医師・看護師不足で大半の診療科が休止。収入が激減した。地域では以前から「不親切な病院」と評判が悪かったが、救急業務だけは大忙しだった。
経営アドバイザーを務めた伊関友伸・城西大准教授は経営規模を大幅に縮小し、「公設民営」の病院経営をしていくことを提案。昨年四月、医療法人「夕張希望の杜(もり)」が運営する夕張医療センターに生まれ変わった。十九床の有床診療所と、四十床の老人保健施設で、在宅医療、予防医療に力を入れていくことを村上さんは宣言した。総合病院の職員百五十人は解雇され、新規・再雇用者を合わせ七十人の体制になった。
救急対応も、原則として通院中の人と観光客を対象とし、急病でない人が電話で問い合わせてくれば「あす、かかりつけ医を受診してください」と回答した。「救急はできないけれど、こっちから出向きます」と訪問看護や往診につながるケースも増えてきた。
◇
救急と入院の機能の大幅縮小に反発もあったが「“だから財政破たんしたんですよ”と反論できるのが大きかった」と村上さんは話す。入院患者の80%以上が、医療上の必要の乏しい「区分1」の患者。救急の大半は、緊急性のない「コンビニ受診」。行政や住民自身の責任を、堂々と主張できた。
「夕張は気付かないまま、ここまで来てしまった。でも、夕張が特殊なのではなく、日本の近未来の姿といえる。公共サービスを浪費せず、住民が自分の健康管理に責任を持つように“気づき”を広めていかなければ」
過疎の町・北海道瀬棚町(現せたな町)で町立国保診療所長を務めていた村上さんは、住民の健康意識を高めることに情熱を注ぎ、全国ワーストワンだった老人医療費を半減させた実績がある。各地にある高コスト体質の公立病院を解体し「住民のために本来の仕事をしていこう」と提言する。夕張医療センターが生まれて一年四カ月。高齢の糖尿病患者の中で、血糖値や血圧の安定した人が増えるなど、少しずつ成果が出てきた。
しかし、老朽化した建物が“負の遺産”となって、経営の足を引っ張っている。同センターは、三階建ての旧・市立総合病院の一階と二階の一部を使って運営しているが、暖房光熱費が年間約五千万円と、収入の12%にも及ぶのだ。通常の医療機関なら、暖房光熱費は収入の5%程度。暖房システムが適正なら、初年度から黒字になっているとして、村上さんらは夕張市に支援策の充実を求めている。公立病院の「公設民営」の取り組みが広がりつつある中、行政の責任分担のあり方が問われる。
医療をまもる 夕張の提言(下) 高齢者も元気に働こう
東京新聞 2008年7月31日
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2008073102000101.html
夕張医療センター(北海道夕張市)の総合事務員・大坂幹雄さん(70)は、いつも動き回っている。
朝八時すぎから、ボイラー室の燃料計を点検し、蒸気ボイラーの水あかを取り除く。病棟や手術室と連結したボンベの酸素残量を確かめ、自家発電機を試験操作する。トイレ詰まりを直したり、老朽化した施設の手入れも。時間があれば、玄関前の花壇の世話。午後からは、センター長の村上智彦さん(47)らの訪問診療の運転手を務める。十年前までは、同市の消防署長だった。定年後、ボイラー技士として同センターの前身である夕張市立総合病院に勤務。昨年の同センター発足時に再雇用された。
「元消防署長がトイレ掃除なんて、と言う人もいるけど、辞めた日からは、ただの人ですよ。それに、事務仕事よりも性に合っているから」と笑った。同センターは、院外薬局を含めると百人近くの職員がおり、うち一割は六十歳以上。村上さんが掲げる「医療福祉を主体にした街の再生」の理念を反映している。
村上さんは言う。
「大坂さんのように、地域の事情に明るくて、人望が厚い人は、きわめて大きな戦力。日本の高齢者はどんどん働くべきです。何か病気になっても、治そうという意欲が高くなります。そんな人が増えていくなら、夕張市の高齢化率42%は、まったく悲観する必要はない」
同センター発足時から、村上さんは職員たちに「住民に健康意識を植え付けよう」と呼び掛けてきた。外来で患者に指導するだけでなく、事務職員も含めて全員が、地域の人たちに、バランスの取れた食生活や適度の運動を勧めていこうという取り組みだ。その成果か、朝からウオーキングをする住民も増えてきた。
午前六時前に同市の中心部を歩いていた男性(74)は「仕事を辞めて、おなかが出てきたし、足も弱ってくるので、始めました。周りにもけっこういますよ」。
職員たちの意識も変わった。
看護部長の横田久美子さん(49)は「以前は、医師が威張っていて、指示がないと動けなかったけれど、今は訪問看護など自分で判断して処置できることが増えました。やりがいがあります。忙しいし、給料も公務員時代よりかなり下がったけれど、ここでやっていこうという思いのある人が残りました」。
歯科医師の八田政浩さん(47)も「医科と歯科の連携が格段に良くなりました。以前は、内科の先生と連絡するのに書面を作っていたけれど、今はひとこと声をかけるだけ。高齢者の入れ歯も、作って終わりではなく、患者さんの全身状態が改善していく口腔(こうくう)ケアを考えるようになったし、往診で自宅の様子を知ることで視野が広がりました」。
そして大坂さんも「市立病院時代は、患者さんにやさしくない病院でした。村上先生の方針で、スタッフ全員が患者さんにあいさつするようになったし、看護師さんが座っている患者さんに、ひざを付いて同じ目線で話している姿を見て、ずいぶん変わったと思いました」。財政破たん、市立病院の解体…。どん底の中で夕張市民が得たものは、これからの高齢社会の中で輝きを増していきそうだ。
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