私たちは「柏原病院小児科を守る会」の方々に感謝しています。
平成20年1月現在、兵庫県立柏原(かいばら)病院
小児科がまだ存続しているのは・・
革命的とも言える「柏原病院小児科を守る会」ができたからです!
市民の皆さん、皆さんは「医療崩壊」という言葉をご存知でしょうか? 昨年末の重大ニュースにもなりませんでしたから、多くの皆さんはあまり関心を持っておられないかもしれません。 しかし、「医療崩壊」は確実に日本の社会を蝕み続けており、現在の政治方針や国民の認識が変わらなければ、今まで当り前に存在した地域の医療が消滅していくことになります。
自分の身に直接困難が降りかからないと、「そこに問題があること」に気づかないことはよくあることですが、現在、この地域の医療体制もすでにかなりの重症に陥っており、もはや風前の灯と言ってもよい状態であることを理解して頂きたいと思います。
県立柏原病院も、平成19年12月で脳外科の入院と耳鼻科の診療は休止してしまいました。これまでまがりなりにも地域の中核病院として脳血管疾患、心疾患、小児医療などの二次―準三次医療担ってきた県立柏原病院も、このままではさらに衰退していく危機感を抱いています。本当に県立柏原病院が無くなってしまうと、この地域の医療はどうなっていくのでしょうか? 地域や近隣には優れた民間病院もいくつかありますが、県立柏原病院がこれまで果たしてきた従来の機能を代行することはできません。県立柏原病院が今まで担ってきた医療が全く無くなってからでは、遅すぎる(多大な犠牲が出る)ことをご理解して頂きたいと考えます。
私たちは1年以上も前にこの地域の「医療崩壊警報」を出しましたところ、丹波新聞社の熱意ある記事のおかげで、広く市民の皆様が地域医療の危機的状況について理解を深められ問題意識を持って頂ける様になったと思っております。勤務医という医療に関する専門家が、毎日働きながら、自分たちの働いている地域の—この丹波市を危険だと判断し「警報」を出し続けたのです。幸い、丹波市には私たちの発した警報を真剣に受け止め、行動を起こす市民の方々がおられました。そして今、その人々の起こした市民運動は、全国の医療関係者から驚嘆のまなざしで迎えられ注目の的となっています。
その市民運動は「柏原病院小児科を守る会」と名付けられ、「コンビニ受診を止めよう、お医者さんを大切にしよう」、そして「本当に必要な人が必要なときに診てもらえるように」というスローガンを掲げています。この市民運動は、これまでの一般的な市民署名運動と異なり、行政や病院への「要求」を声高に求める形ではなく、現在の医療崩壊の原因と再生への現実を深く見据えたものでありました。私たちは、このような運動こそ「市民の皆さんが自分の子供をまもる最善最短な方法だ」と直感しました。
永年にわたり県立柏原病院に小児科医の派遣を続けてきた神戸大学の松尾教授は、この運動を「日本の小児科医を救う革命的な住民運動」と評価されるコラムを神戸新聞に寄稿されました。そして現在、教授とともにこの市民運動を理解し共感した大学医局の小児科医たちと、県立こども病院の小児科医たちが、交代で週に1〜2回のペースで神戸から遠い柏原まで手伝いに来てくれるようになっています。
県立柏原病院に限らず多くの勤務医は、これまで、労働時間を無視して働き疲弊し、貴重な生命を扱う重責に押しつぶされそうになりながら頑張ってきました。しかし、自分の生活を犠牲にして続けているそうした努力は、単に「医師の義務」という言葉であたりまえに扱われており、多くの医師は当直・救急を含めた過労の中でその意欲が色褪せつつあります。
一方には患者さんの「医療に対する高すぎる期待と理不尽と言える要求」が存在し、それは医療者と患者さんの間に越え難い深淵となっています。治療行為の結果が、患者さんや家族の方の期待に沿えなかった場合には、憎まれたり、訴訟されたり、稀には刑事事件で逮捕されるといった事案が、新聞やテレビで報道される度に、勤務医は、リスクの高い医療現場を離れていきたくなる欲求に駆られています。そして、外来などの多忙な日常診療の中では、本来築いておかなければならない医師—患者間の信頼関係を築く時間すらないのが現実です。医療に100%の確実性はあり得ません。医療は不確実なのです。人間の顔や性格がみな異なっているように、検査や治療行為に対する患者さんの反応もさまざまなのです。医学はそうしたさまざまな反応性を統計的な確からしさで判断することで発展してきた領域なのです。「医療の不確実性」・・それはご理解し難いことかもしれませんが、私たちはこれも前述した「コンビニ受診抑制」とともに、医療崩壊を食い止める、あるいは崩壊後の再生を考える上で非常に大切なキーワードだと考えています。
このような状況のなかで、この丹波地域では「お医者さん(医療資源)を大切にします(無駄使いしません)」 「自分の子供の健康・命を守るために医療に興味を持ち、自分たちに何ができるかを考えます」という5万5千筆の署名を添えた「守る会」の叫びが、私たちはもちろん全国で同じように悩んでいる医師の心に響かないわけはなかったのです。
私たちは今、毎日の医療現場で、この丹波市のお母さん方の「本気」をひしひしと感じてきています。県立柏原病院の小児科医は、平成18年に3人から2人に減り、平成19年4月からは1名が病院長業務を兼ねて小児科診療を続けています。
一方、近隣の病院を見ますと、平成19年春に柏原赤十字病院から小児科が無くなり、兵庫医大篠山病院小児科は人員減少し、市立西脇病院や中町赤十字病院そして三田市民病院もすでに小児の入院治療ができなくなっています。そのため今年の冬は重症患者さんが当院へ集中しました。かなり重症で神戸方面の専門病院へ搬送することも11月後半から年末までに7件ありました。都会の高次病院へ重症患者さんをこれだけ搬送しても、当院の小児科病棟は満床が続きました。以前のような軽症も重症も混在した「コンビニ受診」が続いていたら、と思うと背筋が凍る気がします。この「守る会」の理解や協力がなければ柏原病院の小児科は確実に消滅していたにちがいありません。
もし「医療崩壊」の現実をあまり気づいておられなかった皆様がおられたとすれば、現在の丹波地域の医療事情について考えてみる時間を作ってみてはいかがでしょうか? そして、自らと自らの家族を守るために、今何が必要なのか? 何をやってみることができるのか? を考えてほしいのです。まだまだ歯抜け状態の小児救急体制なのですが、実は小児科にはまだ綱渡りの綱があるだけでもましなのです。綱渡りをしようにも綱渡りの綱を見失っている診療科、あるいは綱はあっても曲芸師(医師)自身が消えてしまった診療科に比べれば・・・。
私たちはこの運動がこの地域に残された医療再生への最後のチャンスだと考えています。まだ少しでも医療資源たる医師の残っている間に、全国に先駆けて医療の「新しい波」を起こす「守る会」の運動を拡げていただけませんか?
小児科だけでなく、他科の医師、全国の医師たちにも希望を与えているこの
「守る会」の運動(医療者と市民の相互協力・相互理解の運動)は日本全国の医療崩壊被害拡大を防ぐ可能性もあるのです。
最後になりましたが、私たちは「守る会」の皆さんに対してもう一度感謝の言葉を述べたいと思います。私たちにとっても、現在の丹波地域にとっても、この「守る会」は恐竜化石(注釈:平成18年、丹波市では恐竜の化石が発見され話題となりました。)以上の宝物だと思っています。
県立柏原病院小児科(丹波地域の周産期・小児医療)を守ってくれてありがとう。
そして、丹波地域の小児を守ってくれてありがとう。
あなた方の市民運動は間違いなく「革命」なのです。
たとえ、この地域が医療崩壊の焼け跡になったとしても(考えたくはありませんが)、その功績は必ずや将来の地域医療再生の道標となることを確信しています。
兵庫県立柏原病院
院 長 酒井 國安
小児科 和久 祥三
コメント