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(投稿:by 僻地の産科医)
妊娠とうつ病
武久 徹
(臨婦産・62巻1号・2008年1月 p73-75)
妊娠中にうつ病にかかった場合にうつ病の治療薬,特にパロキセチン(商品名:パキシル)を使用する場合の問題点に関する見解が米国産婦人科学会(ACOG)から出された.そして,ACOG臨床大会でも妊娠中のうつ病の管理の問題点が検討された.本稿では,それらを検討する.
まず,ACOG医療技術情報では,以下のように見解が述べられた.大うつ病の有病率は生殖年齢女性でピークになる.最近の研究では約10人に1人の女性が妊娠のどの時期でも,そして産褥期にうつ病にかかる可能性がある.選択的セロトニン再取込阻害薬(SSRIs)はうつ病の治療によく使われる.妊娠中にもSSRlsは使われてきた.妊娠中にSSRlsがどれくらい使用されるかに関するデータは不足しているが.最近の報告では2~3%と推測される.多くの研究者たちは,妊娠中にSSRlsを使用しても高度胎児奇形のリスクは増加しないと報告してきた.
パキシルの製造元グラクソ・スミスクライン社は,最近の2つの(スウェーデン政府からと米国の保険会社からの)未発表のデータ「妊娠第1トリメスター中にパロキセチンを使用した母体から生まれた児の先天性心奇形(心室と心房の中隔欠損)のリスクが1.5~2.0倍に増加する懸念がある」と発表した.米国食品医薬品局(FDA)は,2005年9月に妊娠中のパキシル使用に関する警告を発表した.そして,グラクソ・スミスクライン社はパロキセチンをカテゴリーCからDに変更した.
カテゴリーCは動物実験で催奇性があることが確認されているが,ヒトでは十分には研究されていない薬である.したがって,カテゴリーCの薬は使用の有益性が胎児に対する危険性を上回る場合にのみ使用されるべき薬剤である.しかし,カテゴリーDの薬はヒト胎児には有害であることが確認されている薬なので,妊娠中に使用すべきではない.
したがって,最近のパロキセチンの添付文書には,パロキセチンの妊娠中の使用はよくコントロールされた,または観察研究で,胎児へのリスクがあることが記載されている.しかし,パロキセチン治療の利点がリスクを上回る可能性もある.妊娠中のSSRI使用で,胎児心奇形のリスクが増加するのはパロキセチン以外ではみられない.
先天奇形の懸念のほかにSSRlsについては,最近の研究で,妊娠後期に服用すると新生児に遷延性肺高血圧症が起こる可能性があることも示唆されている(NEJM 2006年2月9日号).妊娠後期にSSRlsに曝露された児は,一時的な新生児合併症(例:小さな震え,軽度呼吸抑制,一過性多呼吸 弱い啼泣,筋緊張減退,NICU収容)との関連が示唆されている.FDAは,うつ病再発とSSRI使用と新生児遷延性肺高血圧症のリスクに関する警告を出している.妊娠中に抗うつ剤を中止した女性は.薬剤使用を継続した女性に比べうつ病再発率が5倍になることが報告されている.
第2番目の研究は,大規模症例対照研究で,妊娠20週以降にSSRlsを使用した妊婦から生まれた児では,持続する肺高血圧症のリスクが6倍になると報告された.この研究が示唆するものは,より軽度の新生児合併症に加えて,この稀(被曝した1,000人の児の中の6~12人)だが重篤な合併症が発症する可能性があるということである.
また,妊娠後期にSSRIsに被曝した新生児の30%に新生児禁断症候群が発症したという報告がある.妊娠中のSSRI使用で考えられる新生児に対するリスクを考える場合,もし うつ病の維持療法を中止したら,うつ病の再発のリスクはどうなるかということも考慮しなければならない.妊娠中に合併しているうつ病を未治療のままにすると,体重増加不良、性感染症,アルコールと不正薬剤乱用のリスクが増加する可能性がある.
201例の大うつ病の既往歴がある女性を対象に多施設前方視的研究が行われた.その女性たちは,受精時には臨床的にはうつ病ではなかったが,抗うつ剤を使用していた.抗うつ剤を中止した女性の約2/3は妊娠中にうつ病が再発した.一方,抗うつ剤使用を継続した女性の妊娠中のうつ病再発率は26%であった.ほとんどの女性はSSRlsまたはSNRTsで治療を受けた.うつ病の期間が長かった女性と再発を繰り返した既往歴がある場合は,抗うつ剤を変えても,妊娠中の再発と関連があった.
ACOGの見解は,「米国産婦人科学会産科医療委員会は妊娠中のSSRlsまたはSNRTs療法は個々の症例で考慮することを推奨する.うつ病治療の決定は精神科と産科の臨床的専門家が共同で行うべきである.現時点では,妊娠中や妊娠計画中の女性にはパロキセチンは可能であれば避けるべきである.妊娠初期にパロキセチンに曝露された場合は胎児心エコー実施を考慮すべきである.パロキセチン使用を急に止めると禁断症状が出てくる可能性があるので,製薬会社の指示書にしたがって行うべきである.妊娠前に産科医,精神科医と患者が相談して決定すべきであるが,約50%の妊娠は計画外の妊娠なので,うつ病女性の妊娠前カウンセリングは必ずしも行えない.したがって,SSRTs療法に関する決定は間違いなく妊娠中にしなければならないだろう」ということである.
見解が出され半年後にサンディエゴで行われたACOG臨床大会で,以下のような講義が行われた.講義は,GluckPA,Zinberg S, Phelan STによって行われた.その要旨は,以下のようなものである.
産婦人科医は,ほとんどの妊婦や新しく母親になった女性が精神科疾患を含め,いろいろな病気の相談をする最初の医師である.しかし,多くの産婦人科医はうつ病の診断や治療には自分たちは不適格と考え回避してしまう.さらに2006年12月にACOGから出された妊娠中のSSRls使用の安全性に関する疑問は,産婦人科医が妊娠中のうつ病治療にかかかるという問題をさらに遠いものにしてしまった.ある調査では,産婦人科医でうつ病のスクリーニングを行っている医師は50人中2人だけであったと報告されている.女性のほうが男性よりうつ病にかかる率は高く,約2倍である.そして,女性が一生のうちでうつ病にかかる率は20%である.そのピークは出産年齢のころである.
産婦人科医は,妊娠中と分娩後の女性の管理で,肉体的な健康の問題だけではなく,精神的な健康の問題も診療する必要がある.妊娠中のうつ病を治療しないで放置すると流産,死産,早産,子宮内胎児発育制限,低体重児のリスクがより高くなる.うつ病妊婦は外来受診回数が減り,食事や睡眠状態が不良になり,アルコール,タバコ,不正薬剤などの使用が増加する傾向があり,母児の健康面に重大な悪影響を及ぼすことが示唆されている.
産褥うつ病の既往歴があると再発のリスクが高くなる.産褥のうつ病を治療しないと,母と子の絆に悪影響を及ぼし子供の感情的,社会的,知能的問題の原因となる可能性がある.証拠はないが,妊娠はうつ病から女性を守ると考えている医師がいる.また,産褥うつ病は女性自身が自制できる範囲と考えている医師がいる.これらは非現実的な期待である.いくつかの症状は妊娠中や新しく母親になった女性の正常サインと共通点があるから,うつ病の診断は難しい可能性がある.治療が成功するか否かは,半分は疲れ切った妊婦または産褥女性とうつ病のエピソードに苦しんでいる女性の区別を付けることにかかっている.
産婦人科医は,うつ病の診断に不確実としても、うつ病のスクリーニングを妨害すべきではない。有効で実行が簡単なスクリーニングを補助する自分で実施するいくつかの方法がある.うつ病が正確に診断されたら,産婦人科医は精神科の専門医に紹介することができる.スクリーニング以外に.医師はほかの健康の問題を除外しなければならない.以上の問題は,産婦人科医は避けて通れない問題である.
うつ病が社会的に大きな問題となる可能性があるだけに早期に産婦人科医がうつ病の診断に一役買うことができれば,女性の生活の質も向上するであろう.
参考資料
1)ACOG Committee Opinion.#354,December 2006
2)OBG Management.2007年6月号
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