虎の門病院 産婦人科 東梅久子
(臨婦産 vol60. No11. 2006-11. p1412-1413)
多様性の国インドネシア
インドネシアは赤道直下に浮かぶ17,500あまりの鳥々に約2億2,300万人が暮らす世界最大の島嶼国家である.東西5,000km,南北2,000kmに広がる国土の面積は日本の約5倍,言語の異なった250以上の民族から構成される人口は世界第四位である.
ひとくちにインドネシアといっても,高層ビルが立ち並ぶ首都ジャカルタから裸にペニスケースをつけた先住民族が住むイリアン・ジャヤ州まで幅広く,この国を一括りに語ることはできない。国家統一のスローガンである「多様性のなかの統一」は,国家を統治することの困難性をも表している。
インドネシアの平均寿命は男性65.8歳,女性69.5歳1).死因の第一位は循環器疾患26.4%,第二位は呼吸器疾患12.7%,第三位は結核9.4%である2).広大な国土と多様性が医療へのアクセスを困難なものにし,貧困がそれに拍車をかけるため予防や治療が可能である感染症による死亡も少なくない.
インドネシアのリプ□ダクティブ・ヘルス
女性が総人口の50%を占めるインドネシアでは,その66%が生殖年齢である.平均結婚年齢は2002年において19.2歳,10%の女性は16歳未満で結婚し,41%の女性は18歳未満で分娩する.合計特殊出生率(ferti1ityrate)は2005年において2.28であり,1968年の5.6から約40年間でほぼ半減している.
近代的避妊法による避妊実行率は57%で1〕,方法は注射48.6%,経口避妊薬24.9%,implant10.5%,IUD13-9%,コンドーム0.9%であるものの,これらにアクセスが可能な人は60~80%にとどまっている.
インドネシアの妊産婦死亡
インドネシアの妊産婦死亡は出生10万対230である.これは日本の妊産婦死亡4.3の約50倍であり,1950年における日本の妊産婦死亡176より高い.東南アジアでみるとフイリピンの200とほぼ等しく,マレーシア41,タイ44より5倍以上高く1),経済レベルに比して妊産婦死亡は高いところで推移している.
多様性の国インドネシアにあって妊産婦死亡もまた地域差が大きい.1995年の報告によると,妊産婦死亡はインドネシア全体で出生10万対390であるのに対して,中部ジャワ248,パプア1,025であり,地域によって約4倍の差がある.妊産婦の死因は出血28%,子癇24%,敗血症11%である.医療サービスの不足,不適切な分娩介助,貧困,低栄養,教育の不足などによって,予防が可能であるにもかかわらず死に至る例も多い.
医療サービスのなかでも産科緊急サービスはさらに限られる.インドネシアの妊婦の51%は貧血であり,低栄養による微弱陣痛やそれに伴う弛緩出血のリスクが高いものの,産褥出血の治療を受けることができるのは都市部で61%,地方で40%に過ぎない.
インドネシアの分娩立ち会いと妊産婦死亡
妊産婦死亡の一因として,妊娠中および分娩時のリスク評価の乏しさと搬送・治療の遅れが挙げられる.分娩時には専門技能者の立ち会いが欠かせないものの,インドネシアにおける専門技能者の立ち会いは68%1〕にとどまっている.
インドネシアではドゥクン(dukun:日本語では呪術師または霊媒師と訳される)と呼ばれる人たちが,専門的な知識のないままに経験と伝承によって分娩を取り扱う伝統的産婆(traditional birth attendants:TBAs)として現在でも分娩を取り扱っている.地域によっては医師や助産師がおらず,専門技能者による分娩介助を希望しても伝統的産婆に頼らざるを得ないことも多い.また陣発した女性が家族から離れて1人で分娩し,臍帯を切断する地域もあり,不衛生な操作によって感染する.破傷風は新生児の死因の第6位2)であり,新生児死亡の34%を占めている.
妊産婦死亡を予防する取り組みの1つとして伝統的産婆への専門教育が行われ,分娩取り扱いに対する地域の関心も高まってきてはいるものの,まだその歩みは遅い.
インドネシアの人工妊娠中絶と妊産婦死亡
開発途上国145か国のうち143か国で人工妊娠中絶が認められているなかで,インドネシアでは人工妊娠中絶が認められていない.たとえレイプによる妊娠であっても人工妊娠中絶は許されない.人工妊娠中絶が非合法であることは,安全な人工妊娠中絶へのアクセスを困難なものにし,望まない妊娠をした女性を危険にさらしている.
インドネシアでは年間250万件の人工妊娠中絶が行われており,妊産婦死亡の10~30%は安全でない人工妊娠中絶によると推計されている.インドネシアでは今でも処女性が重んじられ,表向きには初交は初夜と決まっている.未婚女性が望まない妊娠をしたことは婚前交渉をもったことを意味し,そのこと自体が社会的に許容されない.それゆえ若い女性たちは,隠れて伝統的方法で堕胎をも行う伝統的産婆ドゥクンのところに行く.ドゥクンは出血するまで腹部をマッサージをしたり,腹部の上で飛び跳ねるなどの危険な方法で人工妊娠中絶を試みる.その結果,命を落としても,伝統的産婆が責任を問われることはない.
世間では因果応報とみなされ,家族も死の真相を語らない.かくして安全でない人工妊娠中絶を受けて死亡した女性は闇に葬られる.
人工妊娠中絶が非合法であっても,安全な人工妊娠中絶を受けることができる施設は存在する.インドネシアで人工妊娠中絶の手術を受けることができるのは,都市部で27%,地方で18%,流産後に合併症の治療を受けることができるのは都市部で62%,地方で40%である.人工妊娠中絶の費用はおよそ700,000~800,000ルピア(約70~80ドル)であり,日本の経済レベルに対する比率に似ており,決して支払いが難しい額ではない.しかしながら乏しい情報,医療サービスの不足,文化的背景などによって安全な人工妊娠中絶は今なお遠い存在である.
1)世界人口白書2005,UNFPA
2)インドネシア保健省Departmen Kesehatan DEPKES,2001
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