医師の使命感に危機 国立長寿医療センター総長 大島伸一
4月29日付中日新聞愛知県版
昨年は医療界で、医師の「立ち去り型サボタージュ」(「医療崩壊」小松秀樹・朝日新聞社) という言葉が流行語になった。医療を取り巻く環境の厳しさに、病院の医師が使命感と
自分の人生との板挟みにあい、病院を辞めてしまうことを、こんな言葉で表現したのである。 サボタージュとあるが後ろめたさのある、追いつめられての行動である。 後ろめたさとは、自己防衛のために使命感を放棄することだ。
昨年は、六千人以上の医師が病院を辞め開業したという。病院の医師不足という地域医療の直接の原因がここにある。何故、こんな事が起こるのか、病院の医師の求められるものの大きさに耐えきれなくなってしまったのである。
医師はプロとして誠実に医療を行い、患者さんや社会に喜んでもらい認めてもらうことが生きがいであり。誇りでもある。そのためなら、相当に厳しい勤務にも耐えられる、そのうえ仕事は服務規程や自分の都合にではなく、患者の都合に合わせなければならない。ひとの生命にかかわる仕事とは、そういうものだ。無論、それに見合う人員や給与などの待遇は重要である。
だが、医師を根本で支えているものは、住民の健康を守るという使命感であり、その使命感を 支えているのは、社会、国民、患者からの敬意であり信頼である。 今はこの支えが崩れかかっている。最近の医師はとにかく元気がない、 ときに、おびえているのではないかとすら見える。ささいなことで怒鳴り込まれ、 訴えるぞと迫られる。意図して手を抜いたとか、やるべきことをサボったとか、 そんなことがあれば、厳しく糾弾されなければならない。
だが、 どれほど誠実に対応しても結果が悪いことがある。この区別は難しい こともあるが、
このごろは結果がよくなければ問答無用である。
人の身体、命を何と考える、謝れ、責任をとれ、罪を償え、やるべきことは やったのに、なお、責められれば糸は切れてしまう。
この世に生きている限り、どこにでもリスクがある、なかでも病院はリスクの高いところだ。そのうえ、医学も医療技術もどれほど進歩しても未成熟で完全にはならない。
悲しいことだが、人が人に行うことに百パーセント確実はない。
こんなことは誰もがわかっているけれど、自分の身体や命は一つである、完全を求めて何が悪い。完全を保証できない医療を行う者と、医療に完全を求める者と、この矛盾する谷間を埋めるにはどうすればよいのか。
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