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自治体病院の現場からみた地域医療の破綻の姿 毛利 博
医療立国 医療費増額と関連産業再建が医を荒廃から救う 大村昭人
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医療立国 ――医療費増額と関連産業再建が医を荒廃から救う
医療費を目の敵にしたときから、目本の医療の荒廃は始まった。
アメリカ、イギリスの失敗の轍を踏まないためにも、
健康保険制度の充実と、医療産業の立て直しを目指さなければならない
犬村昭人
(中央公論2007年6月号 p50-62)
すべての誤りは「医療費亡国論」から始まった
これほど医療制度が崩壊の危機に瀕している状況は日本の歴史でかつてなかったのではなかろうか。
世界に冠たる国民皆保険制度ばWH0によって世界で1位という評価を受け、かつ対GDP比の国民医療費は0ECD各国のなかで常時17位から18位を占めてきたものが、二〇〇四年には21位まで後退しているにもかかわらず、医療費高騰のかけ声のもとに危機感を煽って強引な医療費抑制政策が進められている。日本の医師数は0ECD各国の人口当たりの医師数に比較すると、三分の二にすぎず、実質10万人以上の医師不足という厳然たる事実があるのに、医師の偏在が原因という事実を曲げた議論が、厚生労働省や一部の医療経済学者の間で堂々とまかり通っている。
一方ではアメリカの表面だけをまねた卒後研修必修化によって地方の国公立大学では医学部卒業生がほとんど大学に残らなくなってきているため、医療現場の混乱のきっかけになっただけでなく、医学部教育そのものが存続の危機にさらされている。最近、ようやく新聞などで報道されるようになった病院勤務医師の劣悪な労働環境と急噌する医療訴訟に耐えかねて、医師たちのなかには萎縮医療に走るだけでなく、病院を去って開業するものが跡を絶たない。
こうした背景をもつ医師不足が深刻化して医療へのアクセスの制限が出始めている。特に、自治体病院の診療サービスが次々と縮小されており、多くの地域で、医師不足による外来や病棟の閉鎖、病院の廃業などのニュースは枚挙にいとまがない。また、救急医療や外科系医療を志望する者が激減していて、患者の行き場が次々と制限され始めている。特に産科、小児科医の不足が深刻で、たらい回しで患者が亡くなる事例まで報告されている。こうした状況を反映して医療側から、「崩壊」「危機」といったタイトルの出版が相次いでいる。
しかし、国民にとって重要な医療提供体制の状況がこれほど深刻であるのに、マスコミの報道は単発的で、持続的な取り組みもなく、政府も政治家たちも、さらに日本医師会でさえ、最優先事項として扱う様子もない。まことに理解に苦しむことである。さらに問題を複雑にしているのは医学界でオピニオンリーダーと自任する人たちが問題の本質に目をつぷって、財務省、経済財政諮問会議、規制改革・民間開放推進会議など、医療の素人たちが喜ぷような表面的な改革を提案していることである。厚生労働省もこうした方向にそって根本的な問題を避けて通りながら、手をつけやすいところのみをいじりまわす「マイクロマネジメント」的施策に終始するために医療現場はさらに混乱して危機を悪化させてしまっている。このように真に憂慮すべき事態が急速に進行しているのである。
筆者はこうした状況を憂慮して、問題の根本を解析するなかで医療に投資することで国民皆保険制度をさらによいものにして、そのうえ、経済活性化の大きな原動力にできると確信している。この医療立国論の対極には1983年に当時の厚生省保険局長、吉村仁氏が『杜会保険旬報』に掲載した論文「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」で展開した医療費亡国論がある。
「医療費亡国論」の呪縛 医療を負債と考える愚かさ
深刻な状況にもかかわらず、現在、もっとも幅を利かしている論議が、経済成長に合わせた医療費の伸び率管理論などに代表される医療費抑制政策と、保険診療と自由診療を共存させる混合診療全面解禁論などに見られる医療の市場原理化である。これらの考えは根本的に間違っており国民皆保険制度を崩壊に招く可能性が高いことを筆者は
憂慮する。こうした安易で誤った議論が出てくる背景に「医療費亡国論」がある。その後、この論文の呪縛から国も医療従事者も抜けられずに24年間、継続して医療費抑制政策が採られ続けてきた。
吉村氏は論文のなかで次の三点を強調した。
①医療費亡国論:このまま租税・社会保障負担が増大すれば日本杜会の活性が失われる。
②医療費効率逓減論:治療中心の医療より予防・健康管理・生活指導に重点を置く必要がある。
③医療費需給過剰論:医療の供給は一県一大学政策もあって近い将来医師過剰が憂えられ、病床数も世界一、高額医療機器導入も世界一多い。
これらの論点は一般論としては間違っていないが、個々の論点には現実的な背景となるデータなどが不足していただけでなく、その後の推移においても大きなズレを生じた。たとえば「医療費亡国論」における杜会保障負担では、図1に見るとおり、日本における国民の租税、社会保障負担率は現在でもOECD各国のなかで最低レベルである。図に見られるようにデンマークなど北欧諸国の負担率は非常に高い。
これは自分たちが払う租税や保険料が必ず国民のために使われるという、国に対する信頼感があるからである。前述したように二〇〇四年の対GDPでの医療費は0ECD30ヵ国中、21番目と、後ろから数えたほうが早い。(図2)
また、予防医療に力を入れて国民の健康を維持することは非常に重要な政策である。が、大方の予想に反して予防接種による疾病流行防止などの一部の介入を除くと、一般的に疾病の発病や進行を早期介入によって抑えても、介入そのものによるコストに加えて、平均寿命を廷長する結果、最終的には医療費総額を押し上げることは医療経済学者の間では確立された理論になっている。国民病として今や流行語になっているメタボリックシンドローム(いわゆる生活習慣病)を予防することが国家的なプロジェクトになっているが、このように医療費を削減できる可能性は低い。もちろん予防医療に力を入れることは国民が健康で幸せな生活を送れるだけでなく、労働生産性を上げるという大きなメリットがあるのは言うまでもない。しかし医療費削減を期待することはできないのである。
さらに、医師過剰が医療費を上昇させるという経済原則は正しくとも、そもそも日本の医師数は対病床数で見ると欧米の三分の一から五分の一ときわめて少なく、人口一人当たりでも0ECD各国の三分の二という現実がある。日本の医師数は現在20万人とされる。この数には家庭に人ってほとんど働いていない女性医師や研究にのみ従事している医師も含まれている。一方、アメリカがOECDに報告しているのは週二〇時間以上勤務している医師数である。この事実を無視して厚生労働省はアメリカと日本の医師数を1対0・9としているが実際には1・5対1とするのが正しい。単純計算でも日本の医師数を0ECD並みに増やすとすると13万~14万人不足していることになる。
このように吉村氏の予測とは逆に現在でも医師不是、特に病院勤務医師の不是が深刻で医療危機のもっとも核心部分を占めている。病床数や医療機器が欧米に比べて異常に多い点を除くと、吉村氏が主張した三つの論点の前提がほとんど崩れてしまうのである。しかしながら、国も財界もさらに医療界ですら、この吉村論文の呪縛から逃れることができずにおり、すべての医療政策がこの誤った前提を出発点としているために深刻な医療崩壊の危機に直面していると言っても決して過言ではないのである。
こうした憂慮すべき状況に対して、筆者は、「医療費亡国論」どころか、医療・介護に力を入れることによって、経済活性化が可能で、日本を豊かにするだけでなく幸せにもできる「医療立国論」ともいうべき、まったく異なる見解を持っている。
安易な医療費抑制政策と市場化が危機を招いたアメリカ
アメリカの医療費は図2に示すように0ECD各国のなかでダントツに多く、対GDP比で見るとOECD各国の平均が8・5%であるのに比べて14%を超えていて、二〇〇三年の医療費総額は二〇〇兆円と日本の6・5倍もかかっている。一九八○年代に当時のレーガン大統領が高い伸び率を示す医療費対策として二つの公的保険(Medicare 高齢者および身障者対象、medicaid 低所得者対象)に包括払いシステム(DRG/PPS:diagnosis related group/prospective payment systemと呼ばれ、疾病を診断群に分類して保険給付の上限を決める包括払い制度)を導入すると同時に、一九七〇年代にできた民間医療保険法(HMO法:Healthj Maintenance organization)を大幅に規制緩和した。これによってそれまで主体であった非営利の民間医療保険に代わって営利型のHM0と総称される民間保険会社が次々と医療界に参入してきた。その後、このHM0は急速な伸びを示してアメリカの医療界に大きな」影響力をもつようになった。HMOのなかにはWell Point社やUnited Health社のように2000万人以上の加入者を擁するような巨大なものも出現して、その数を背景に医療提供側と有利な交渉を進め、支払う医療費を削減することに成功して莫大な利潤を上げるようになった。
ところがHMOの広まりは、レーガンや国民の期待に反して医療費はますます高騰してしまい、しかも二〇〇五年時点で国民の16%、4700万人が医療保険に加入できていない悲惨な状況が生じてしまった。さらに悪いことには、財政状況が厳しい公的保険が人件費や運営費を節減するために希望者を募って、加入者一人当たり一定額をHM0に支払って外部委託を行ったところ、HMO側は健康な加入者のみを選んで引き受けたために公的保険の財政状況は、さらに悪化して財政破綻の危機にある。
こうしたHM0の台頭で医擦提供者側はHM0の条件を呑まないと患者が来ないために不利な条件で契約せざるを得ない。このために医擦提供者側の力は大幅に低下し始めた。HM0は保険給付を盾に診療方針にまで口出しをするようになって医療側の裁量権が侵害される例が跡を絶たない。アメリカの医療の中で大きな役割を果たしてきた家庭医たちも例外ではなく、できるだげ患者を医療費が高い専門医に回さないように圧力がかかり、HMOのためのゲートキーパーの役割を果たさざるを得なくなってしまった。一方、これまでは福利厚生の一環として被雇用者に医療保険料を補助してきた企業も保険料の急速な上昇に対して、安く、条件の悪いHM0に乗り換えて補助の縮小、撤廃を行うものも出てきた。HMOが主張した効率重視の管理医療にもかかわらず医療費が高騰した理由に、アメリカでは新薬や新しい治療技術の開発と導入競争が激しく、この費用がすべて上乗せされるためにコストが高くなるという背景がある。また新しい診療技術が導入されてもそれまでの診療にすべて置き換わるわけではない。たとえばCTやMRIが導入されても胸部エックス線撮影が不要になるわけではない。また、アメリカでは医療機関の外部評価が徹底していて、特に設備、運営、診療成績まで詳しく評価されて、その結果は公表される。このために各医療施設は競って新しい診療技術を取り入れて診擦成績の向上に努力する。これが結果的に医療費を押し上げることになる。
この結果、日本に比べて提供される医療の質の標準化が進んでおり、医療施設に対する信頼感が高い。しかし、一方では高い医療保険料(十分な医療サービスを受けるには家族加入で年170万円以上)のために4700万人もの国民が無保険のままである。こうした人々は病状が深刻になると救急室を訪れるが、その医療費が払えないため、病院側が負担することになる。これを国や州がある程度補填するために医療費をさらに押し上げるという悪循環に陥っているのである。一九九三年に当時のクリントン大統領夫人が日本並みの国民皆保険制度の創設を試みて失敗して以来、連邦政府はなんら有効な対策を出せないでいる。
経済を立て直したが医療を崩壊させたサッチャー政権
イギリスも70年代までは「ゆりかごから墓場まで」という言葉のとおり、非常に手厚い杜会福祉制度のもとで医療制度も比較的うまく機能していたが、財政危機が国を揺るがしたために80年代にサッチャー首相が思い切った市場原理化策を採った。これで経済は立ち直ったが、同時に実施した医療費抑制政策が医療制度を根底から揺るがしてしまった。制度が荒廃したために現場の士気は落ちて医療事故も増え始めて国民の評判はすこぷる悪くなった。入院・手術待ちも一年以上が当たり前になって、政府がお金を払って多くの患者にフランスで手術をさせるという事態まで起きた。また、五年前にインフルエンザが流行したときには、病室に収容しきれなかった高齢者たちが病
院の廊下でストレッチャーに寝かされ、入院できない患者は自宅で亡くなるということが現実に起こったのである。
サッチャー政権の過ちに対して大きな批判が巻き起こったため、ブレア首相は二〇〇〇年に医療費を50%増やす政策を発表してEU諸国の平均であるGDP比の9・4%まで医療費を引き上げる政策を開始した。一方で、臨床現場に近い人々に大きな権限を与えて自己裁量権を保証したのである。また医学部定員を50%増員することも決定した。
10県立大学と自治医科大学で毎年各10名増やすだけという日本とは対照的である。イギリスの政策は日本の常識から言えば想像できないほど画期的である。しかし、これほど思い切った政策転換を行っても国民の一評価が改善したという証拠はない。一度、医療制度が崩壊するとその立て直しには大きな資源と時間がかかるということである。
アメリカ、イギリスの失敗を繰り返さないために
現在、日本では、アメリカやイギリスの失敗から学ばずに、まさに同じ道をたどって国民皆保険制度を根本から破壊するリスクを内在した政策が提案あるいは実施されようとしている。公的保険と民間保険の並立案のほかに混合診療全面解禁という問題がある。日本では欧米で既に認められ使用されている新しい医療機器や抗がん剤などの導入が何年も遅れるなどで杜会問題になっているのは周知のとおりである。厚生労働省は「特定療養費制度」という分かりにくい方法でこの問題に対処しているが、それでも、あまりにも遅い承認プロセスのために制度は機能していない。二〇〇五年に制度改革が行われたが、現状は、まったく変わっていない。
遅い承認制度に対して規制改革・民間開放推進会議は、保険診療と患者が財布からすべて支払う自由診療を併行させれば解決すると主張する。保険適用承認までの間、自由診療の部分に民医療保険を参入させれば患者の直接の負担も少なくなるというわけだ。一見、大変よい考えのように聞こえるが、実は大きな間題がある。自由診療が拡大すると、迅速で客観的な評価制度が確立していない日本では、治療効果が確実でないものまでどんどん医療の現場に入ってくる可能性がある。迅速で信頼できる評価制度と不遮切医療に対する厳しい監視制度がなければ消費者自身が評価せざるを得ない。医療提供者と消費者(この場合は患者)の間には大きな情報の非対称性があり、治療の有効性を評価かつ確認するうえで消費者は非常に不利な立場に置かれる。テレビで問題になった『あるある大事典Ⅱ』のようなことが医療の現場で起きてもこれを防ぐ術がないのである。
また本来、公的保険で診るべき診療を消費者や民間保険に肩代わりさせる危険もある。この間題の解決には欧米で承認されたものは自動的に100%日本でも承認すればよい。これを認めた場合、民族差のリスクを懸念する人たちがいるが、これは市販後の監視制度を強化して迅速に対処すればよい。欧米ではこのための人員を確保して体制を整備している。市販後に予期せぬ副作用、合併症が起きる例は、厳格な評価のもとで汎用されている薬剤であっても、いつでも起こりうる。まれなリスクを恐れてハードルを高くすれば、多くの患者が新しい抗がん剤などの恩恵から取り残される問題は永久に解決しない。国民に情報を開示して選択してもらうしかないのである。
皆保険制度は市場経済を支え医療は経済活性化の鍵を握る
年金や医療・介護という杜会のセーフテイーネットをきちんと整備することは、国民が安心して経済活動や杜会活動に専念するために大変重要なことである。これこそ、国家が責任を持って維持していかなければならない重要な分野である。特に医療や介護の経済への波及効果や雇用創出効果は非常に大きく、関連産業を除いても公共事業を上回っている。医療を負債と考えるのではなく、EUの国々のように医療のいろいろな分野に積極的に投資することで経済をさらに活性化して、その力で国民皆保険制度を維持していくという前向きの発想転換が今こそ求められている。
もちろん市場経済とグローバリズムは避けて通れない。しかし、要所要所で国が手綱を締めなければ市場は必ず弱肉強食が行き過ぎて強者はますます強くなり、弱者に二度と立ち直る機会を与えてくれない状況が起きるのは多くの経済学者が警告している。ワーキングプアや格差杜会はまさにこれを実証している。
この点、北欧の国々のように社会保障の基盤を国が確実に保証するなかで、どうせ医療にお金をかけるのならぱ、逆にこれを経済活性化に生かすという発想はきわめて賢明なアプローチである。European ommissionの2005年8月のレポートではEU全体では医療への投資が経済成長率の16~27%を占めており、EU15ヵ国に限ると医療制度の経済効果はGDPの7%に相当し、金融の約5%を上回っている。また、EUの製薬産業連合の2005年11月のレポートでは、EU圏の貿易バランスで製薬産業は2003年度で3兆6000億円の黒字で第一位であり、二位の動力機械産業の約1兆4700億円を大きく引き離している。GDPの7%という数字をもし、日本に当てはめた場合は年間三五兆円ほどGDPを押し上げることになる。
国民の高い租税・杜会保障負担率にもかかわらず、北欧やEUの国々は経済競争率でも世界でトップレベルを維持している。(図3)
この成功の陰には人々が安心して暮らせる杜会を築くことを最優先するなかで、高い技術を育て、これを輸出に向けるという国の政策があり、そのなかの優先順位の高い位置に医療や福祉も入っている。筆者はISO/TC121という医療機器の国際規格を作成する専門委員会の日本代表を務めているが、こうした委員会に北欧やEUの人口1000万人以下の国々から政府、企業、ユーザーである医療従事者の代表たちが出席して、自国のために一丸となって発言をするのにいつも感銘を受けている。一方、多数の世界的企業を抱える日本の大企業は治療に関係する医療機器はリスクが大きいと考えて尻込みしているために、重要な医療機器、先進技術などの開発はすべて外国企業で占められており、その莫大な利益もすべて彼らに持ち去られている。高い先進技術、知識、資源を豊富に持つ日本の大企業たちが政府と一丸になってその力を医療に投入すれば、世界をリードする医療技術大国を目指すことは決して難しいことではない。世界で一目置かれている日本の高い環境技術、省エネ技術もこうした現場での必要性に加えて国と企業の強い意志があったからこそ世界をリードすることが可能になったのである。しかし、大企業がこうした先端技術を医療の分野に応用しようという目立った動きは非常に少なく、医療機器の輸出が年々減している事実がそれを裏付けている。
日本は医療機器を開発して市場に出すにはあまりにも規制(改正薬事法などの問題)が多く、ベンチャービジネスも育たない環境にある。医療界に市場原理を持ち込むことを声高に主張する経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進会議の人たちは自分たちのビジネスチャンスを広げることには熱心だが、この点については誰も発言しない。こうした背景があるために日本からの医療機器の輸出は、輸入に対しどんどん減少しておリ、ついに20%を切ってしまった。
医療従事者の大幅増員は必須であり可能である
厚生労働省は50年も先の人口減少をあてにして、とりあえずは医療施設の再編統合によって深刻な医療従事者の不足は解消すると考えているようだが、現実には大学病院の教育スタッフと医学部入学者を大幅に塘やすことは喫緊の課題である。
四年前にアメリカのマッチングシステムを真似て導入した卒後研修必修化は、初期診療の重要性を強調するあまり、欧米では医学部高学年で教えている内容を、義務化した卒業後に各科を細切れに巡る研修で習得させることとした。卒前(文部科学省管轄)、卒後(厚生労働省管轄)の整合性が取れていないことから、少ない教育スタッフで卒前の臨床教育にカを入れていた大学にとっては大きな負担となった。しかもアメリカでは一般病院と大学病院が協力して教育にあたるのに、日本では大学と一般病院を競争させたために、経済的に条件がよく診療技術を学びやすい一般病院に医学部卒業生が流れて、特に地方大学では卒業生がほとんど大学に残らなくなった。これが大学の人手不足に拍車をかけ大学は自治体病院などから医師を引き上げざるを得なくなって、しばしばマスコミで報道されるように自治体病院の病棟や外来閉鎖などを招いたのである。
筆者としては医療の分野では管轄する省庁を一本化して教育スタッフ、医学部の定員ともに大幅に増員したうえで一般病院と連携した総合的な研修制度に改めるべきと考える。このような「勇気ある選択」は、現在の縦割り行政の文部科学省や厚生労働省が個別にはとてもできないであろう。政治家がビジョンを持って、医療に関わる省庁を一本化する、制度の抜本的なオーバーホールが必要である。
保険者の再編統合だけで医療を支える資源ほ拡大する
日本の国民皆保険制度は、大きく分けて被用者保険と国民健康保険の二本立てになっており、これまでは非常にうまく機能してきた。しかし最近では市町村国民健康保険は多くが赤字に転落しておリ、被用者保険のなかにも財政状況が厳しい組合が少なくなくなってきた。これらの保険組合は業種や地域別に細分化されていて、その実態も保険料率が国で定めた年収の8・2%(雇用者と被雇用者で折半)という上限を大きく下回っている黒字の組合から、上限で運営しても赤字になってしまう組合まで、まちまちである。
保険組合は、その規模が大きいほど財政運営が楽になる。こうした細切れの保険組合をもっと大きい単位に再編統合するだけで、医療費は十分まかなえる。日本医師会のシンクタンクである日本医師会総合研究所の保険組合再編案では、医療費の最高額と最砥額の倍数が大幅に縮小するとしている。このような再編統合を行うのは大変なことだが保険者の財政某盤を万全なものにするには避けて通れない。
企業は欧米並みの社会的貢献を果たすべきである
日本企業は、今、法人税の負担軽減を求めているが、これは国民に甘えているのである。欧米の企業が負担する法人税と社会保険料の合計は日本よりはるかに大きいことは日本ではあまり知られていない。経団連は「医療は企業の国際競争力に悪影響を及ぼす」といっているが日本の企業の社会保障負担率は、高いといわれる法人税を考慮しても図4に示すように国際的に見て低い。
例を挙げると、フランスの企業が負担する医療保険料は21・5%で日本の企業が負担する最大4・2%に比べてはるかに高く、被雇用者負担は0・75%で日本の最大4・2%に比べてはるかに低い。日本の企業が欧米並みの社会的責任を果たすだけで医療と年金は継続可能なのである。
また、非正杜員が労働人口の三割を超えて、非常に低い賃金と昇給もない身分に甘んじざるを得ないというのは異常な事態で、企業の競争カは一時的には高まるだろうが、彼らが企業の製品を買う可能性まますます小さく、いまだに低空飛行である個人消費が伸びるとは考えられない。また、非正祉員が支払う社会保険料は少なく、医療や年金の将来像はますます暗くなる可能性がある。低貧金を武器に世界で競争しようというのは開発途上国並みのメンタリテイである。技術大国日本の自信はどこに消えたのか。
時代に逆行する改正薬事法は医療ベンチャーの芽を摘む
2005年4月に医療産業に大きな影響を与える法律が改正された。改正薬事法と呼ばれるこの法律はその名称とは異なリ、医薬品だけでなくすべての医療機器をも対象とする法律である。しかし、この法律に対して関係者たちは異口同音に「医擦機器産業の窒洞化を招く悪法である」という認識を持っている。改正によって、医療機器企業は機器の製造を行う「製造業」、国に申請し承認を得る「製造販売業」、機器を病院に納人する「販売業」の三種類に分類された。しかし、従来どおり一貫して事業を紋続するためには所定の資格要件を満たした複数の専任責任者を配置することが義務付けられており、他のスタッフが兼任することが許されないためたとえ中小企業であっ
ても一定の人材を配置しなければならなくなった。
この法律の本来の趣旨は医療の安全強化と考えられるが、医薬品と医療機器を同レベルで考えたことに大きな問題がある。医療機器は、機器そのものがいくらパーフエクトであっても、使い方によって不具合が生じる。これは医薬品の副作用とは質的に異なる。医薬品は副作用を起こせば身体に重大な影響を与える。一方、医療機器には、人工呼吸器、人工心肺など高度の機能と安全を要求されるものも少なくないが、三〇万種類あるといわれる医療機器の多くは日常の診療に使用する単純なものである。実際の医療現場では機器の不具合で患者に傷害が起こることは非常にまれで、ほとんどが誤操作などのヒューマンェラーによる。この背景には前述したように日本の医療の現場ではあまりにも医療スタッフが少なく、皆が過労になっていることや、こうした人たちが安全に医療機器を扱えるようにするトレーニングの制度が確立していないことがある。
医療の安全と質を確保するためには薬事法を厳しくするのではなく、正しい医療提供制度改革が必要なのに、国が自ら医療産業の芽を摘んでいるのである。日本の高い技術を医療産業に応用して世界の市場に参入すればその利益は欧米の企業や国家の例が示すように莫大で国家経済の重要な柱になりうるのである。もったいない語である。
きわめて遅い承認制度 日本の役人の数は大変少ない
医療機器の進歩は非常に遠く、二年もするとより安全で質の高い改良型が登場する。にもかかわらず目本は、外国製の機器の輸人に限っても、その審査承認プロセスは欧米に比べて非常に長く、新しい機器をすぐに使用することは不可能に近い。二〇〇五年に在日米商工会議所の医療機器関係の委員会が厚生労働省などに提出した意見書では「日本の医療機器は患者が使えるようになった時には、二、三世代前の製品になっている」と指摘している。この指摘は決して誇張ではなく、日本の遅い審査承認システムの現状を正確に反映している。欧米で使用されている、解像力が一段とアップした最新型のCTやMRIなどはいまだに日本に入っていない。
また、世界的な米企業であるメドトロニック社が開発した最新型の埋め込み型心臓ぺースメーカーも欧州では九九年、米国では〇二年、中国では〇三年に発売され、現在ではアジアのほとんどの国で使用されているのに日本ではようやく最近使用の目処が立ったばかりである。
この承認年度の違いから分かるようにヨーロッパでは一定の基準を満たせば比較的簡単に承認が得られる。その代わりに市場に出た後の監視は厳しく、何か不具合があるとその対応も早い。医療の質と患者の安全を守りながら、いかに早く先進医療の恩恵を患者が受けられるかを重視した姿勢が見て取れる。このために資金のある日本企業はやむを得ず、大金を払って海外で治験を行っている。
日本の公務員数は、実は諸外国に比べて非常に少ない。日本の人口当たりの公務員数はアメリカ、イギリス、フランスの半分以下で、少ないと言われるドイツに比べても六割程度である。国の命運がかかっている分野には、もっとお役人が必要なのである。日本の仕組みでは医療機器の承認は厚生労働省が行うが、審査を円滑に行う趣旨で2004年から独立行政法人・医薬品医療機器総合機構を発足させた。しかし医療機器の審査を扱うためのスタッフの数はたった26名である。ちなみにアメリカのFDA(食品医薬品局)では総勢8500名のスタツフを抱え、医療機器担当だけでも1000人を超える人数を配置している。
この問題の解決には思い切った対策が必要で、政府や業界が一体となって取り組む必要があるが、規制改革・民間開放推進会議のメンバーたちは、自分たちが関係する医療保険など利益の大きい分野には熱心だが、医療機器のこうした間題にはまっ一たく関心を示さない。まず先進国で承認された医薬品、医療機器は短期間で承認し、不具合や副作用に迅速に対応できるシステムを構築することが重要である。
欧米ではインキュベータと呼ばれるベンチャー技術を市場に出す民間システムがある。これらの会杜はベンチャー技術を評価して、市場での可能性を見極めるだけではなく、政府の承認手続きを代行して、さらに投資家から資金まで集めてくる。たとえばFDAのあるアメリカのメリーランド州には医療関係のインキュベータ会社だけでも六社ある。回本でこのようなインキュベータ会杜を立ち上げるための手続きを簡素化して環境整備をすることこそ、規制改革・民間開放推進会議が取り組むべき課題であって、市場原理化を言うならば目先の利益を追って国民皆保険制度を危うくするのではなく、もっと重要で国のためにやることが数多くある。政治家や国や企業や杜会福祉は国の負債であるといった誤った考えを転換できれば医療は国の活性化の大きな原動力になり、日本の医療制度の将来は明るいのである。
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