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コメント

子持ちししゃも

藤枝の件、本当に2人で700分娩なんて無理です。

今まで当直料7400円でこき使っていたと以前の記事にありました。

今度の医師派遣でたった一人の医師を確保するのに、
派遣元の病院の損益保障に3000万+医師への給与+派遣先への寄付2530万なんて!!
こんなに負担してでも維持したいなら、その分最初から負担して(約7000万)もともといた先生を大切にすればよかったのです。

一産婦人科医

この地域の崩壊は、昭和大学が派遣していた榛原病院の産科が2人辞めて休診となり、その200-300件の分娩が隣の島田市民病院に流れ込んだのが始まりです。
島田市民病院は、NICUもあり京都大学から7人の医師派遣で700分娩していたところが一気に900分娩になり、悲鳴を上げていたところ、一人が産休に入り、その補給要員が京都大が手配できず、そのせいにして(ほんとに卑怯な報道でした!まるで産休のせいで休診になったかのようでした)内部崩壊して、京大が全面撤退し、産婦人科が休診になりました。

その1年前ほど、藤枝市民病院から東京大学が6人全撤退し、その後を浜松医大が頼まれて4人(途中から研修医ひとりが追加になりました)で引き継いだのです。
島田の突然の休診で、900の分娩難民のほとんどが藤枝市民に津波のごとく押し寄せたのです。最盛期は1100分娩ほどを5人で扱っていました。

このように、藤枝に派遣された浜松医大の先生方はもともと、それはそれは大変な勤務だったのです。(島田(京大)の7人+藤枝(東大)の6人の分の仕事を5人でしていたのですから!!!)
その後、榛原が復活(3人)島田が1人で月に10件の分娩ではじまり、産科医院が出来て、現在700分娩程度になっているのです。

いまさら困ったからなんて、こんな大金をかけた対策をとったポーズをしているのが馬鹿にしています!

隣の焼津市民病院の産婦人科も東大で、大変だそうです。藤枝が休診となれば焼津も沈没するでしょう。

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